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2014年9月 7日 (日)

小澤征爾『おわらない音楽』を読みました。

『オーケストラがやって来た』のDVDが出た、と知ったときには、狂った喜びで跳ね上がってしまいました。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00G370PLI/

子供のころ毎回とても楽しみに見ていた『オーケストラがやって来た』を、また見ることが出来るのです。
でも、お店に行って手に取ってはためらい、ネットショップで見つけてはためらいました。4巻もあるし、とても見る時間がない。CDならまだ寝床でも聴けるのですけれど。

やっと思い切って買って、帰るとテレビは子供たちの見たいものがついている。じゃあ、と思ってパソコンの方で映してみて、ファゴットのN川さんとか出て来て
「これ(ウチ中でファンをしている音楽家の)Oさんのオジさんだよ」
と水を向けてみても、N川さんの顏が映っているところを
「ふーん」
とチラ見するくらいで、まったく興味を示してもらえない。

失意の父ちゃんは、日曜日、子供たちが出掛けたあとでのっそり目を覚まし、ようやく『オーケストラがやって来た』1をプレステに入れて(ウチはDVDデッキがないのでプレステで再生します)、やっとテレビの大きな画面で見たのでした。
パールマンだのエッシェンバッハだの、と、錚々たる音楽家さんたちがゲスト出演していたのでしたね。見ていた当時は有名音楽家なんてカラヤンしか知りませんでしたから、記憶にありませんでした。日本人もN川さんの他に、歌の丹羽勝海さんや岡村喬生さんだの指揮の森正さんだの。まだ若々しい井上道義氏が髪の毛ふさふさで・・・いけないんですが、気が塞いで眺めていたのに、つい吹き出してしまったりしました。

そして何より、『オーケストラがやって来た』当時の小沢征爾さんの、ほんとうに若々しくてカッコいいこと!
あのころの僕の中で彼がたいへんなアイドルだったことをはっきりと思い出して、つい、涙でグチャグチャになって見入ってしまいました。

あこがれだけの時期のあと、念願だった「オーケストラで弾く」が高校生からかない、音楽教育機関には行けませんでした(し、そんな才能もなかったのでしょう)ので、それからずっと、アマチュアオーケストラでヘタクソなヴァイオリン弾きを続け、8年前に妻を失った前後から、便利になったネットの上で、自分のリハビリのつもりでブログをぐたぐたと綴って来たのでしたけれど、なつかしいこんな映像を見ていると、いったい自分は何を考えて音楽好きをやってきたのかなあ、と、腹の底から残念に思うこともいくつもあります。

直純さんにしても斎藤秀雄さんの弟子で終生先生思いだったし、小澤さんや、やはり素晴らしい指揮者で大好きな秋山和慶さんにしても今なおそうで、サイトウキネンオーケストラなんてのが出来てしまったほどです。
で、こちらは小者ですが僕、がお世話になって来た人たちは、お弟子さんたちの方に対してはともかく、斎藤秀雄ノー、を表明する人が少なくありませんでした。ひとこと断っておくなら、その人たちだって立派な人たちです。

先般、クラシック大好きなある先生とお話していて、近衛秀麿だの山田一雄だのという名前をこちらが口にしたら、
「あ、私は桐朋系ですから」
と拒否反応をお示しになって、びっくりさせられました。でもその先生の前では誰々の名前を出したり誉めたりしてはいけないんだな、と知りましたから、以後それはこころがけて、楽しく喋らせていただいています。
同時にハッとしたのは、ああ、自分もいつの間にかアンチ桐朋だったのか、と気づかされたからでしょう。桐朋さんゴメンナサイ、そんなふうに自分が思ってるだなんて、微塵も意識したことはなかったのです。
で、斎藤秀雄さんのことはともかく(指揮は分かりませんが『指揮法教程』は一生懸命読みました)、サイトウキネンはなんか学閥のオーケストラ版みたいな印象で、毛嫌いして聴きませんでした。同時に、小澤征爾指揮の演奏にも見向きもしなくなって、ほぼ三十年経ってしまったのでした。
娘が(桐朋でない)音大に入りましたので、その親たちの会にもちょっとだけ参加させて頂きましたが、酒席で
「子供がせっかく小澤塾に受かっていたのに、小澤さんの病気でふいになってしまった」
と歎いたかたを見かけたことがあって(言っちゃってよかったのかしら?)、なんだよ小澤征爾、これから、という若者を身代わりを立ててでも救済しないのか、とひそかに憤ったこともありました。

でもようやく最近、指揮者の棒が本当に適切なのかそうでないのか、恥ずかしながらようやく理解出来るようになって、あらためて若き小澤征爾のタクトに目を釘付けにしてみると、顏をどう作っているかに関わらず、どんだけその棒が冷静で的確か、もう過去の自分が全て恥ずかしくなるくらいに見せつけられるのでした。

居ても立ってもいられなくなって、DVDを止めて、近所の駅ビルに走りました。
都会の大型店ではないけれど、あのなかのショップにはたしか小澤征爾CDがあった、こないだは売り切れていたけどもしかしたら、最近出た小澤征爾著『おわらない音楽』もまた本屋に入荷になっているかしらん?

で、どちらも見つけるなりせっかちに手にとって、ためらうことなくレジに持って行きました。
あ、財布のお金で足りました。

CDは"20-CENTURY BACH"(日本語タイトルは『小澤征爾プレイズ・バッハ』、ボストン交響楽団、1989〜90年録音)。

帰宅するなり、自分のおんぼろMacBookでこのCDをかけながら、『おわらない音楽』を一気に読みました。CDが全曲終わるのとほぼ同時に、読み終わってしまいました。

細かい感想は、とても言えません。

ただ、音楽家さんが書いた(口述で誰かに書いてもらったのだとしても・・・けれどもこの本の語り口には別の人の影だなんてものはまったく感じません。ちゃんとナマの声だ、と信じています)、音楽家さんが自分を語った本として、久しぶりに素直でさわやかで、読んでいる自分の(ちっぽけな)アマチュア人生を深く反省させてくれる、すばらしいものでした。『ボクの音楽武者修行』と内容のダブるところが多いのは、ご存じ日経新聞の「私の履歴書」を本にしたんだから仕方ないし、当時と違った思いがちらちら見えるのだから良しとすべきだと思います。

ともあれ、こんだけあれこれ苦しんで、いまだにあちこちで毀誉褒貶いろいろで、でもいつも「なんとかしよう」精神でがんばってきた人なんだもの、病気でこけたからどうの、どっかで名前を使われることになったからどうの、って、まわりが騒いでなんの意味があるのよ。若い連中だって、いや、もう定年間際のオヤジだって、この千分の一くらいはこっから学んで、「なんとかしよう」と思う心を捨てないでいかなければいけない。
(と、あまりにもありきたりな道義的感想文!)
・・・そろそろ自立していかなければならない子供を持つ身としては、まあそう思ってしまうと、これまたどうにも切ない気持ちもこみ上げるのですが。

アンチ小澤だろうがアンチ桐朋だろうが、これはそんなもんはかなぐり捨ててご一読なさっていただくべき一冊だと、いましみじみ思っています。そのしみじみが、うまく言葉になりません。
これは尾ひれですが、収穫としては、サイトウキネンがなぜ出来たのかも、松本が小澤さん周辺にどんな意味を持つのかも、はじめて良く分かりました。

どこどこ学校の出だ、とか、誰々先生の門下だ、って、それぞれに近い人にある意味までは否定しませんが、音楽に限らず、実社会を生きて行くのには、こだわるのはつまらない手枷足枷にしかならないことも少なくないはずです。
まして、音楽を味わう上で、アマチュアというまるきりの外野でそんなことを云々して、ご当人の実現している音の響きや流れのすばらしさに真っ直ぐな耳を傾けられないのなら、大きな損失です。

はじめて聴いた小澤バッハ、文句なしに素晴らしい演奏でした。
収録されている斎藤秀雄編曲「シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンパルティータの第2番の終曲)、まちがいなく見事な編曲です。

セイジ・オザワ 松本フェスティバル、大いに結構なのではないでしょうか。
http://www.universal-music.co.jp/seiji-ozawa/news/2014/08/04_news02

今日から私はそう言い切ることにしました。(小者ですから蚊のひと声です。・・・熱病は媒介しません。)

『おわらない音楽 私の履歴書』
Ozawa
http://www.amazon.co.jp/dp/453216933X/
・・・社会を云々したいかたの場合はここの星1つのような感想もあるのでしょう。
   この本を手にする前にそんなことも考えていた私としては否定はしません。
   まあ、感想言った人は、手にしてから、なんですけれどね。

小澤征爾プレイズ・バッハ
・ストコフスキー編曲「トッカータとフーガニ短調」
・ヴェーベルン編曲「音楽の捧げもの」からの6声のリチェルカーレ
・斎藤秀雄編曲「シャコンヌ」(無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番)
・ストラヴィンスキー「BWV769による変奏曲」
・シェーンベルク編曲「前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552」
Ozawabach
http://tower.jp/item/3629632/


(先に綴った追伸)
心に穴をあけるようなことを自分でしでかしてしまって、悲しくて、二日間誰といてもいなくても、気持ちはどこかへ飛んでいました。現在進行形なんだけれど。
それで今日は、子供たちも留守になったあと、こないだ本当は子供たちと一緒に見たくて買った『オーケストラがやって来た』のDVDの1巻目を、ぼんやり眺め始めたのでした。
番組は1972年に始まったそうですから、僕が中学1年のときです。当時、夢中で見ました。
最近、いままでないことないこと駄弁を尽くして来たここにではなく、自分也の振り出しに戻ろう、と別のところに綴り始めたブログの方で、『オーケストラがやって来た』の話を綴るのがいいのだけれど、まだあと3巻あるし、その前に考えたいこともあるし、で、そちらで云々、はちょっと早過ぎるのでした。
それで心がふらふらしたまんまでかけて行って、本屋でこの本を手に取ったのでした。
そんな流れですので、こちらに綴っておくことにしたのでした。
読んで下さってありがとうございました。

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