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2014年8月28日 (木)

3月17日:ベーム/ウィーン・フィル1975年(録画・録音を通して)

3月16日


さて、2日目の3月17日は次のようなプログラムだったとのことです。

3月17日:NHKホール
ベートーヴェン/レオノーレ第3番
ストラヴィンスキー/火の鳥、組曲
ブラームス/交響曲第1番
JシュトラウスⅡ/美しく青きドナウ(アンコール)

http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page142.html

これまた全部、昨年2月発売のCDに収録されています。

「レオノーレ」序曲第3番〜UCCG-4485(タワーレコードのサイトでは「取扱終了」になっていました。Amazonで見つけるしかないかな。)
他の3曲〜UCCG-4487

後半2曲がDVDに収録されています。

この日の実況のブラームスにはたいへん興奮させられた記憶があります。

「レオノーレ」序曲第3番の冒頭は、一瞬、ウィーン・フィルがまだ前日の疲れを若干引きずっているのかなあ、と思いました。冒頭、和音の強奏の後はハイピッチのフルートがたいへん難しい箇所でもあり、音程の調整に苦労しています。その後も、響きが若干散漫で、幅がまだ不足しているように思います。そうは言ってもやはり非常な集中力で、高い緊張を保って、おしまいに向かってしっかり体制を整えきってしまっています。この時期には「テンポが遅くなった」と言われるベームですが、指揮されているウィーン・フィルの音に80年のときのような停滞感はありません。曲が終わっても、この日の第1曲ということもあって、拍手のときに、あの無用な「ブラボー」連呼はありませんけれど、おちついたいい演奏です。

Zap2_g6136558w 自伝『回想のロンド』ではストラヴィンスキーがどうのなんてひとことも言ってなかった気がするので、「春の祭典」をベームが指揮するのは珍しいのではないかと思いましたが、タワーレコードで探したら1963年に録音しているのでした。うーん、聴き比べしようかどうしようか、と迷っているうちに、3回目にお店に行ったら売り切れていました。まあいいや。1975年のウィーンフィルとの演奏は端正です。他を聴き慣れていると、少しおとなしい気がします。「レオノーレ」序曲第3番と演奏の色合いが共通しているかもしれず、実況をテレビで見たか(ブラームス第1の映像をタイムリーに見たようには思う)ラジオで聴くかしていたはずなのにまったく思い出せないのは、この少しおとなしい印象がブラームス第1の強烈な印象にかき消されたからなのでしょうか。それでも今聴くと端正さにむしろ好感が持てます。

そして、この来日公演でたしか最も話題になり、ベーム自身も非常に満足したらしいブラームスの「交響曲第1番」の演奏。
『海外オーケストラ来日公演記録抄』さんが
「たしかに二日目のブラームスも凄い演奏ではあったのですが、個人的には1日休みを入れての三日目に行われたシューベルトの両交響曲がとても印象に残りました」
とおっしゃっているのですけれど、これは同じ感想です。

しかしながら、前日から続いて来た演奏の締めくくりでもあったからでしょうか、オーボエの出が来るまでは・・・このオーボエが入ったとたんに締まるのも驚きました・・・pになるとまだ若干アンサンブルが不安定ながら、たいへん濃い密度の音で始まった第1楽章が、序奏から呈示部、展開部を経て、再現部に至るとさらに音の揃う精度が高まり、いっそうソリッドなものになっていくのを耳にしていると、最初はまだいくぶんゼリー状だった音塊がいつのまにか氷河に化けてしまったかのようで、震え上がってしまいます(このあたりは映像につけられた音声よりも最新のCDが明確に分かります)。展開部最後が集中度の上がる重要なキーになっているところは、あるいはブラームスの創作の妙なのかもしれません。第1はまだ冒頭楽章や終楽章の序奏と主部の繋がりにとってつけた感が否めないのではありますけれど、どちらも主部はずいぶんきっちり出来ているのですね。第1楽章が緩やかに終わるのは第4を除いてブラームスの交響曲の大きな特徴となっていきます。

第2楽章は、老いたとはいえベームの棒はまだ衰えてはいないこと、オーケストラもそれを良く心得てしっかりとつけていること、が最も察しやすい映像になっています。本番での棒のコントロールはある程度二義的なものではないかと私は思っているのですけれど、緩徐楽章でのこういうきっちりした棒としっかり応えるオーケストラを見てしまいますと、そんな思い込みはちょっとどこかに飛んで行きそうになります。・・・そこは80年の同じ顔合わせ(ベームは翌年死去)でオーケストラ側に戸惑いがあるのを見ると、いややっぱり二義的なんだよ、と気を取り直したりするのですが。でも、そこはやっぱりベーム世代の一流どころは下積み時代にさんざん本番ぶっつけ振りなどの試練をしっかり受けているので、老いてなおオーケストラを本番で引っぱり回す指揮が平気で出来たんではないかなあと感じたりします。ベームではなく、カラヤンが、若手の指揮講習会かなんかで、うまくいかない若手から棒を横取りしてオーケストラの方を見向きもせず若手の顏を見っぱなしで振り出して、「どう? 変わるでしょ」と若手に言う場面の映像があるのですが、気のせいではなく、本当に振り方ひとつでオーケストラ側の音が締まるのです。間違いなくカラヤンもベームらと近い、試練を味わったことのある指揮者だったのでしょう。で、そのカラヤンがウィーン・フィルと来日した時にもブラームスの第1を演奏して、コンサートマスターは名手ボスコフスキーだったのですが、第2楽章のソロは75年のベームの棒の下でやっているコンサートマスターのヘッツェルさんのほうが技術的にも演奏の格も上だと思います。

それにしても、ベームとの顏合わせらしい常識的なバランスでありながら、この第3楽章の激しさはどうでしょう! 目まぐるしく転調する長い中間部の、(反復前にトランペットの小さなミスが聞こえてしまうものの)ピリピリと張りつめた響きは、また主要部の再現に戻るときについ、緩め方に迷ったかして少しばかりアンサンブルの乱れを生むほどです。そんな乱れも演奏の厳しい緊張の内では必然的だったように感じます。

終楽章の高揚は、ここまでの巧みな緊張の保持に加えてブラームスの書法の上手さがもたらしたのだと言えます。ベートーヴェンの第九終楽章に似せたようにも受け止められる、そしてそのものとしてはシューベルトの後継を主張しているような息の長めな主題を、旋律として弦から管にただ受け継がれているように聞かせながら、いつのまにか大きく盛り上げて、とたんに変容を遂げさせ始めるところ、歌謡的なのにまた同時に器楽的だという不思議な作りではないでしょうか。展開部もまた設計は同じ精神でなされていて、セクションの性質上より広がって行かざるを得ず、実際に広がりが思う存分遂げられて序奏後半の再現にまで繋がって行くために、再現部は必然的に常套的なスタイルからかけ離れた印象を帯びて、コーダの興奮に密着します。新古典派と呼ばれたといいますけれど、このつくりは先輩たちが成し遂げなかった「ロマン派交響曲」典型の記念すべき初結晶だったのだ、と私は信じます。演奏がまたそんなこの楽章の構造を隅々まで理解したものであるために、最大限の効果を私たちの前で発揮してみせたものなのでしょう。

アンコールは前日と同じ「美しく青きドナウ」ですが、前日よりもこころもち響きが軽くなっているように感じてしまいます。ところが、CDでみると、演奏時間は前日のものもこの日のものもピッタリ同じなのです。どうでしょう、響きも変わったわけではないのでしょうか? 拍手をおさめた時間の長さの差とかあるんでしょうか・・・面倒なので確認しませんけれど。テンポはたぶん身に沁み付いたもので、これはたしかに変化した気がしません。けれど、間のゆとりのようなものが前日に比べてはっきりあり、揃う精度も上がっています。きっちり度が少し上がった方が音にゆったり感が出るのが、音楽の面白いところです。(初日のは例によってファゴットの音程が高いし、オーボエは(このときは)まだヴェテランさんではない方です(77年や80年ではずっと見事になった演奏を聴かせてくれています)。

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