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2014年8月 9日 (土)

20世紀ベト7指揮者色模様 トスカニーニ・ベーム・ショルティ

少し前、自分たちのアマオケがやるモーツァルト「ハフナー」交響曲の演奏史を垣間見たくてCDをいくつか探した中に、トスカニーニが1935年にBBC交響楽団と行ったライヴの録音がありました。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/20-d486.html
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-f4af.html

41vjrjm5stl20世紀前半の「ハフナー」録音としては聴くことの出来る最も古い例に属したのですが、クリアでよい演奏でした。
4枚組CDから成るこのときの録音集は、その年6月のイギリスでセンセーションを巻き起こした一連のコンサートの記録で、なかなか濃い内容なのですけれど、「ハフナー」以外はじっくり聴いていませんでした。しかし添付のリーフレットを読むと、どうやらどの演奏もなかなか凄みがあるようなのです。
当時はバロック期の作品をフルオーケストラで演奏するのもひとつの流行だったとみえ、たとえばフルトヴェングラーなどもさかんにヘンデルやバッハを指揮していたのでしたが、1935年6月のトスカニーニの選んだのはジェミニアーニのコンチェルト・グロッソ(作品3の2)というのがイタリア人らしくまたイギリスの演奏らしくて面白いのでした。
他に「エニグマ」やドビュッシーの「海」やメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」など、またワーグナー物としてはたぶんこの頃でも演奏されるのは珍しかっただろう「ファウスト」序曲がとりあげられていて、それぞれに興味深いのですけれど、ベートーヴェン作品は交響曲第7番を指揮していて、これがイギリスの各紙で「神のごとき活力の勝利」等々と大絶賛されているです。
トスカニーニのBBC交響楽団への招聘は5年越しの物語があって、1930年にこの指揮者がニューヨークフィルと行ったヨーロッパツアーの際にロンドンで強烈な印象を残したことに端を発し、34年に娘婿ホロヴィッツがBBC交響楽団と共演したのを直接の契機として実現したもので、トスカニーニの受け取った報酬は現在のお金にして4万ドルだった、と解説に書かれています。それが高かったのか安かったのか値踏みしがたいところですが、歓迎のことばで「最も偉大な音楽家」と持ち上げられたのを「いやいや、ただ真っ正直な音楽家だと言うだけです」と笑って一蹴したその精神の姿勢に寸分違わず、どの演奏も、いま聴いても大げさな作為のない素直な解釈に依っていて、同時期のドイツ系名指揮者たちとは一線を画しています。なるほどこのシンプルさが清新だったのだろうな、と思います。
で、当のベートーヴェンの第7を聴いているうちに、なるほど、これはオーケストラとしても、これだけ堅実でありながら活き活きとした演奏をさせてくれる指揮者に心底めぐりあいたかったのだろうな、と、ふと感じたのでした。実際、このコンサートにあたってトスカニーニが要求しオーケストラが応えて行われたリハーサルは20回にも及んだ(アマチュアが半年に1回の演奏会をやるのに要する練習回数とほぼ同じ、しかもプロなので期間はずっと短く時間の密度は濃い)とのことです。
35年の演奏はネットには上がっていないので、YouTubeにある4年後の同じ顔合わせでの演奏を引いておきます(Queen's Hall, London May 17th 1939)。トスカニーニの解釈は35年と基本的に同じです。

http://youtu.be/qN_24UUf_8k

トスカニーニによるベートーヴェンの第7は序奏の強奏の和音に余韻を求めずさっぱりと鳴らすところなどフルトヴェングラーらの重厚タイプと正反対なのですけれど、第2楽章の歌わせ方はかなり連綿としたもので、決してドライではありませんし、全体としては貫禄に溢れていて、まだ新しかったBBC交響楽団がもう充分に高いアンサンブル能力を手中にしていたことを知らしめさせられ、トスカニーニがこのオーケストラをたいそう気に入ったのもむべなるかな、と唸らされます。

20世紀の、と言っておいて間がすっぽり抜け、かつオーケストラはウィーンフィルに限るのですけれど、1975年・80年(国立歌劇場の出張公演のあいまに1回だけなされた)・94年の来日公演で、ウィーンフィルは都度ベートーヴェンの第7を演奏していて、そのときの録画がDVDになっています。
75年と80年はカール・ベームの指揮でした。ベームの無骨な棒のせいなのか、この2度の演奏はテンポも音質もたいへん重いものです。とくに80年の演奏は、翌年亡くなってしまうベームの体力的な衰えも強く感じさせられ、かつこのときの本命は歌劇の方であったために、管弦楽だけの方の1回きりの演奏会では訓練のためだったのかホルンに当時の若手を使っていて、そのホルンが第1楽章でミスをしてしまってベームが顔を曇らせる瞬間も映像に収められたりしています。しかしながらウィーンフィルは全体としてはベームの棒の意図をよく汲み取って、響きの豊かさを最後まで決して崩していません。

80年の1回きりの演奏会でのベートーヴェン第7

http://youtu.be/93Wamrwztow

当時の映像を見てもはっきり思い出されるように、ベームは75年の来日で私たちにたいへんな熱狂をもたらしたのでしたが、死後はいくつかの本で性格が悪かったのなんのと暴露されたせいか、急速に忘れ去られつつあるように思います。しかしながら、「商売根性剥き出しのカラヤンと好対照だからというだけで人気があるのだ」(カラヤンが好きな人ゴメンナサイ)と揶揄されることもないではなかったベームが75年の一連のウィーンフィルでの指揮で見せた実力は、日本人クラシックファンに火をつけるには充分すぎるものだったと私はいまでも思いますし、あらためて彼の自伝である『回想のロンド』を読みますと述べているところに嘘がなく(少なくとも自分自身に正直)、この人もまたすばらしい「ただ真っ正直な音楽家」だったとあらためて感じます・・・この話は75年の演奏会にかこつけてまたしてみたいと考えております・・・。

1994年、ウィーンフィルはゲオルク・ショルティと共に来日します。DVD化されているのはその初日の演奏会で、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲・愛の死、「ティル・オイレンシュピーゲル」、ベートーヴェン第7、「マイスタージンガー」前奏曲のどれもが耳を驚かすような清々しさに溢れた名演です。
ショルティが本格的にウィーンフィルを振ったのはカラヤンの死後、1997年の自身の逝去までの短い間でした。しかしながらワーグナー録音などで組んだ若い時から気心は知れていたとみえて、94年来日の映像で終始にこやかであることもたいへん印象的です。
ベートーヴェン第7について言えば、とくに第1楽章のヴィヴァーチェに入ったところで、通常は指揮者も、そして聴き手も気に留めない木管の隠れがちなアンサンブルをきちんと意識して指揮していて、しかも木管アンサンブルがそれに応えてきれいな音で透かし模様のように浮き出るとショルティがニコッとするところなど、実に気持ちが良くなります。他の曲目も随所にそんな場面があって、実際に現場に行けなかったことが無念になるとともに、それでも映像だからこそいまこうして真摯ながらも暖かい場面を目に出来るのだとの喜びも湧いてくる、不思議な感覚に陥らされます。

これはウィーンでの演奏(該当箇所は日本でのように緻密には振っていない)

http://youtu.be/SZxBAc4xbpQ

DVD:http://www.amazon.co.jp/dp/B000FA4WQ8/

ショルティはベートーヴェン交響曲全集はシカゴ交響楽団と残しているのですけれど、全般に音が硬質で、ヨーロッパ風の余韻がありません。指揮姿のカクカクした人でしたから、ウィーンフィルを振っても似たようなものなのかなあ、と思っていたら、この94年の演奏はそんな先入観をしっかり裏切ったのでした。

ベートーヴェン第7で話をする必要もないようなことでした。
が、映像のないトスカニーニも含めて、こんな聴き比べ見比べで、優れたオーケストラというのは弦楽器のヴィブラートの数やら管楽器の息のスピードやらが各自意図することなく自然に一致しているし、間のとり方も絶妙にコンタクトがとれているものなんだよなあ、とあらためてその当り前さを思い知らされたのでした。少なくともベームやショルティの映像では「この指揮でどうやってタイミングをとるんだ」という箇所が多々あるにもかかわらず、メンバーはなんの迷いもなく全員で合ってしまっているし、そこに「合わせている」らしき気配は毛ほども見せていないのでした。フルートとオーボエのユニゾンがどの演奏でも例外なく一本の楽器にしか聞こえない(完全に一致するディナミーク、アゴーギク、タイミングで鳴っている)のには、アマチュアとして心底あこがれと自分たちへの諦めをふたたび強く感じさせるのに充分な威力がありました。彼らが指揮から読み取るものは「拍」ではなくて音楽の流れや高さ深さなのでした。

ついでながら、第1楽章ヴィヴァーチェの付点リズムを一貫して正しく演奏させていたのはかのフィレンツェ・フリッチャイだけだった、と、尊敬するある人に窺ったことがあり、過去はそればかり気にしてこの曲を聴いて来たのでしたが、それはそうだったにしても、他に演奏不能だと教えられて思い込んでいた第2ヴァイオリンやコントラバスのパッセージをどの演奏も実は見事にきちんと演奏している(音を拾っているだけではなく、音楽の部品として、あるいは表の顏として、きちんと役割を発揮している)のにこの歳になって気がついて、いまあらためて愕然としているところでもあります。アマチュア諸兄は埋め込んだ諸例からぜひ聴き取り見て取っていただいて、肝に銘じてほしいところです。

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