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2014年3月 2日 (日)

校訂者泣かせの自筆譜:【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(4)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


(こんなもんで1000記事になってしまいました。塵のつもった山ですねぇ。)

さて、やっとこさ入手した自筆譜ファクシミリを開いてみましたら、これがたいへんなシロモノなのです。

「オリジナル」とはなんだろうか、と、の長ったらしい前置きであれこれ考えてみたのでしたけれど、果たしてモーツァルトの手書きと初期の印刷譜が違っている場合、どちらを正しいと見るべきなのか、「ハフナー交響曲」については、判断が難しい箇所が思いの外たくさんあるのでした。

第2楽章に分かりやすい例がありますので、演奏例とともに掲げてみます。
画像はクリックすれば大きいものを見られます。

まず、初めの方の部分、階名(移動ド)読みで「ドーミソソーファミレ」となるところは、旧校訂系(旧)では単付点音符、新校訂系(新)は複付点音符で印刷されています。これは(新)が読み取りかたとしては正しいのですが、しかしモーツァルトも悪いのです。付点がひとつなんだかふたつなんだか、よく分からない書き方をしています。これを、印刷譜を作る人がどうしたら良いか迷ったあげく単付点にしたのではないかな、とも考えられます。

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次に階名読みで「ド#レド#レド#レド#レシソファミソド」になる箇所(12〜13、14〜15小節)の「ミソド」の部分、ミに付点がつくか否かですが、二度繰り返されるこの音型で、モーツァルトは最初は付点なし、二度目は付点ありで書いてます。そのあとの音の長さから言って、これは付点なしと読む(新)のほうが正解らしく見えます。それを信頼すべきだとも思います。が、この音型、後半でもう一度現れる(印刷譜61〜62、63〜64小節)ものの、モーツァルトはこのあたり、最初の楽想に戻るところをもう一度書くことなくDa capoと省略表記しているために、確実にたしかめることが不可能になっています。

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また、「レーシレファーレシソファレしふぁみ」の箇所(22〜23小節)は、(旧)・(新)とも楽譜は一致していますが、先に聴いたトスカニーニの演奏では最後の3音が「しそみ」になっているのに仰天したのでした。これは印刷譜としては目にしていないのですが、モーツァルトは最初どうも「しそみ[F#-D-H]」で書いて、「そ[D]」にあとで横棒を無理やり書込んで「ふぁ[C]」にしたようです。描いたものからは確かにそのように読み取れます。トスカニーニが演奏させたような楽譜も、もしかしたらあったのでしょうか?

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以上、演奏例で、どうぞご確認下さい。

旧版〜トスカニーニ
http://music-hongou.art.coocan.jp/audio/toscanini-2.mp3
"Toscanini at the Queen's Hall" CD4 WHRA-6046

新版〜ガーディナー
http://music-hongou.art.coocan.jp/audio/gardiner-2.mp3
デッカ TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION vol.17

自筆譜の孕むこうした問題は、ブライトコップフ新版の前書きと補注で網羅的に解説されています。
自筆譜ファクシミリは1968年という制作時期を考慮すると良心的なもので、あとで追記された箇所等はインクの濃淡である程度分かるとはいえ、自筆譜そのものからだと判明するらしい繊細な問題についてはファクシミリでは平板化されていて推察不可能であったりします。ファクシミリだけを見て即断するわけにはいかないこともいくつもあるのではないかと思われます。
そこで、せめて、前書きの伝記ではないセクションについては、なんとか近いうちに翻訳をしてお目にかけたいと思っております。ただし私の英語読みは勘でOKいきあたりばったり、語彙力大不足でありますので、まっとうな訳にはならないかも知れません。・・・意味だけは間違えてとってはいないと信じておりますけれど、どうでしょうか。ともあれ、またあらためて。
総じて、大きな問題は第1楽章の前半を繰り返す記号について、それがいつ抹消されたか、につきるようですが、それについてもブライトコップフ新版の前書きにある推測は、第2楽章の繰り返し記号が後日記入されたものである、という点が考慮されていて、妥当なのではないかと感じております。今それを述べてしまうとわけがわからなくなりますので、前書きの訳によりたいと思います。
あとはご興味に応じてブライトコップフ新版を眺めていただければよろしいのではないかと思います。

それにしても、自筆譜と印刷譜の間で問題を起こすのはベートーヴェンの乱筆くらいだ、と信じていましたので、「ハフナー交響曲」でのモーツァルトの混乱の多い自筆には本当にビックリ仰天してしまったのでした。

印刷された楽譜については、自筆譜の問題を踏まえた上で、いま手に出来る新旧それぞれのスコアでなお判明することなどがありますので、それについてはまた申し上げたいと考えております。

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