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2014年2月20日 (木)

長い前置き【楽譜の問題】モーツァルト「ハフナー交響曲」(0)

0:前置き1:入手しやすいスコア2:新旧印刷譜の相違箇所3:20世紀の演奏から4:校訂者泣かせの自筆譜5:ブライトコップフ新版前書き(上)6:ブライトコップフ新版前書き(下)7:旧校訂系の楽譜成立への小さな推測  


まだ「ハフナー」交響曲の楽譜そのものの話は出てきません。
見て行くにあたって、どう進めたらいいか、考えておきたいと思います。

ふつうの書籍ですと、古典は
・いま印刷されているこの本の直接の先祖はいつの本か
・その先祖の本はオリジナルとどんな親子・兄弟関係にあるか
・そもそもオリジナルはどんなだったか
みたいなことを解説してあるのが現在では普通のことになっていますよね。

でも、古典の楽譜は、いまでもそんなことまで解説したものはほとんどありませんね。

そもそも楽譜は「演奏されてナンボ」の価値が出るものですしね。

オリジナル、に即して言うならば、演奏者の使っている楽譜がオリジナルにどれだけ近いか・遠いか、については、いまだに、聴くだけの人にとってはそんなに興味があることでもありません。趣味で演奏する人にも関心を持たれないことのほうが多いのではないかと思います。
また、「オリジナル楽譜を使っています」と謳われる演奏が、さて、「オリジナルに忠実に」演奏しているかどうかは、厳しめのお客さんにとっても結局は分からなかったりします。
解釈の問題があるので、優れた演奏でも細部が違って聞こえることは当り前にあります。・・・ただしこれは言語の場合でも、古語を現代語に訳すとき、訳者のとらえかたでいろいろ違ってきますから、音楽固有の問題とは必ずしも言えません。
あるいはしかし、演奏家の能力都合で(たとえばスラーのかかる範囲や、スタカートがついているかどうかなどについて)勝手に変えられていることも、なきにしもあらずです・・・が、愛好家としては、まさかそんなことはないだろう、と、なんとか信頼したい気持ちです。
さらに、楽譜とはまた別に使用楽器やピッチの問題も係わってきます。

こんな複雑で面倒なことを抱えながら、最近の演奏家さんは、なんで、使う楽譜や楽器やピッチにこだわるのか。

それは、最近の演奏家さんが、実にきちんと、音楽家としての大先輩たちの作品に敬意を払うようになったからではないか、と私は感じております。もともと、旧世代の感覚の中で音楽好きになった一素人の私には、縁のない発想でもありましたので、そんなかたたちがとても頼もしく見えます。

音楽に敬意を払う、という点では、19世紀20世紀の演奏家さんたちだっておんなじではあったのですけれど、以前は、悪く言ってしまえば、演奏するかた自身の中に勝手に湧き上がってくる響きや流れのほうが、作品が本来成り立ったときの響きや流れよりもずっと大事にされていた気がします。それがまた時代の嗜好に合ってもいたのでしょう。けれどもおかげで、オーケストラ曲ならば好きなように楽器を付け足したり音を加えたり、は、当り前に行なわれていたのでした。(細かくは単純に「好きなように」とは言えないことも少なくない【メンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』蘇演の際の諸改編など http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/matt2.htm 音の例:http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/js-caba.html】かと思いますが、そうした話は省きます。)

そうではなくて、元を正そうじゃないか、とお考えになる方がようやく多くなった、というのが、私の最近の印象です。そして、そのことに非常に頭の下がる思いがしております。

さて、しかし、何が「オリジナル」なのか、とは、思ったよりも難しい話です。

作曲した人が自分で書いた楽譜が残っているとしましょう。
それが「オリジナル」なのか、となると、そうも言い切れません。
ベートーヴェンの第九交響曲あたりを例にとりますと、これは手書き譜が(終楽章は1頁欠落があるものの)残っていますけれど、最初に印刷されたほうの楽譜と(最初の印刷譜を目にしていないので確かめられていませんが、ベーレンライター版スコアの緒言を読みますと http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-1941.html)食い違っているところもあるそうです。食い違いは、手書き譜のあと校正の段階でベートーヴェンが「やっぱりこうしよう」と指示した可能性もありますし、実際そうだったことは、先の緒言でうかがえます。すると、ベートーヴェンが指示を加えたあとの最初の印刷譜が手書き譜に優先して「オリジナル」だということになります。
ところが、今度は印刷譜のほうに明らかにその元原稿である手書き譜を読み間違えたゆえの誤りがあったら、それをどう捉えたらいいのでしょうか。
これは、印刷を誤った部分については手書き譜に準じて最初の印刷譜を訂正したものが「オリジナル」と考えるのが自然なようにも思えます。
しかし、手書き譜自身が「こうも読める/ああも読める」みたいな曖昧さを持ってしまっていたら、万事休すです。

楽譜が印刷されるようになる前の時代でも、似たような、あるいは異なった問題はいろいろあって、オリジナルとはなにか、は意外と「こうだ」と決められないことが多い、という点には、よくよく気を付けなければなりません。

で、この次自分たちのアマチュアオーケストラで演奏することになったモーツァルトの「ハフナー交響曲」を材料に、楽譜の持つ<あんなこんな>を、これから見て行くことにしたいと思います。

とはいいながら、現状まだ自筆譜ファクシミリ未入手(入手見込)等、材料を揃えている途次で始めてしまいましたので、途中で二転三転の七転八倒をしましたら、どうぞご寛恕願います。

間で違うことに走ってしまうこともありますので、見出し後にリンクを付けて参ります。

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