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2014年2月15日 (土)

「勝手が言える」は「自由な言動」と等しいか?

「記者の一人から、自分の好きな演者だけを追いかける落語ファンが増えると寄席が衰退するのでは、という懸念が提示されると、小三治は『いいんじゃないですか。それとも、情けない世の中だ、とか言わせたいんですか?』と笑わせてから、こう続けた。「(略)誰かの落語を楽しもう、観てやろう、っていうようなものが、いっときその人を襲ったとしたら、もう万々歳ですよ。私、落語よこのままいつまでも、永遠に、なんて思ってないですから。ダメになったらダメになったでいいですよ。ビクビクしても仕方がない。西暦何年頃、落語がなくなってしまいました、ということになってもいい。』」(週刊ポスト 2014年2月21日号 134〜135頁)

蚊の鳴くような話を。蚊の鳴き声でござんす。

交響曲等のゴーストライター問題に便乗(?)していろいろ仰られてる、そのことには別に何も言うことはありまへん。みなさまご立派でたいへんよろしゅうおますでござりまする。
ご発言の方達が、世間の人たちは本当にそうだと素直に頷いている、などと思ってさえいらっしゃらなければ結構でござんす。

でも、いろいろと仰るかたは、ご自身も音楽の「商業的価値」のなかでおまんま頂戴してるってことを忘れちゃいませんかね。記事をいくつか拝読しての、一外野人の正直な疑問は、そっちにあります。
たとえば、現代音楽なんか「素人が聴いても分からない音楽」とか言われちゃってたりします。映画音楽がもっと売れればいいんだ、みたいな口ぶりです。深いお考えは分かりませんから、まぁ表向きそう見えちゃうのが、あたしみたいな長屋のはっつぁんのオツムの程度なんではございますけど。
で、オツムがそんなもんですから、こんな感動もしました。
交響曲だから売れちゃったんだって。交響曲はクラシック最大のイージーリスニングだったのか。もう、目から鱗、鼻から牛乳(古)でござんした。

が、ちょっと待ってくだしゃんせ。

こういうご発言って結局、音楽は商業ベースにあるものばかりが大事だ、って仰ってるんとちゃいます?
つまるところ、喋り手自身の保身、自己是認、自分擁護にしかなってないんとちゃいませんか?

週刊ポスト買ってきなはれ、小三治さんの噺、ぢゃない、話を読んでみそ♪

人はパンのみに生くるにはあらじん、ですけれど、魔法のランプを持っていないからパンを得るには誰でも自分で稼いでいる。
ネットやメディアで合意を得られない発言は御法度、批判噴出しかないこのせせこましいご時世、これぞあたしのパンの種だ、と信じている芸を、神の如くお好きなように総括がお出来になられるそのお立場が、正直者をさらにバカ正直にして飢えさせ、不正直者を新手の商才に走らせて罪に肥え太らせる。
そうしたことに対する節度とか自律心は、せめてプライドよりも前にお持ちになって下さいませんでしょうかしら。それが
「別にいいじゃん」
で生きてる大多数のあたくしどもに対する、汚点禍、もとい、お天下さまのお慈悲というもんじゃ、ありゃしませんのかえ?

最近とみに一事が万事ではありますが、自由なご発言だ、と思いこんでなさっていることが、本当はそうではない、自由の最大の侵害になっていることがある。そこをきちんとわきまえなければ、この極東の小民族はいつまでたっても「本当の自由の意味」を知らない、と、嘲笑ばかりをあびせられ続けるでしょう。

・・・と、はっつぁんとしては、せめてかしこぶって、こんくらいえばって対抗したくなるわけですな、やめときゃいいのにナうっかりはちべえ。

最後にミルトンの述べたものから小さな引用をしておきます。

「人はこの世に純潔のまま生まれてはきません。むしろ不純をもって生まれてきます。人を純化するのは試練であり、試練は敵対によってなされます。悪をよく考えることができず、悪が自分についてくる者に約束する、際限を知らず悪を知ることを拒否する徳は、空白の徳であり、表面だけの白です。」(29〜30頁)

「あなたがたは何をなすべきでしょうか。この都市に芽生え日々成長している知識と、花と咲く新しい草木のすべてを取り除こうとするのか。」(70頁)

「真理には場だけ与えよ。眠っている真理を縛るようなことをしてはなりません。捕えられ縛られると、神託を語った老プロメテウスとは違って、真理は真実を語らなくなります。」(74頁)

「彼らは自分の組合内の貧しい人々が騙されないようにというおためごかしと、各自が版権を正当に保有するという誰も反対できない名目で、さまざまなこじつけを議会にもちこみました。実際には、それは口実にすぎません。それは、書籍組合の隣人たち、学問が恩恵を受けているまともな職業にたずさわり他人の奴隷になるために努力するはずがない人たちに、連中が優越権をふるうという目的のためだけに役立ったのです。」(81頁)

以上、ミルトン『言論・出版の自由』から。岩波文庫、原田純訳

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