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2013年12月17日 (火)

「素人」と「アマチュア」

「いったい何がしろうとで、何がくろうとでありましょう。そんな物は世の中に存在しないのです。素人芸という程いやな物はありません。それはひがみであり、虚栄であり、責任のがれです。」(白洲正子『たしなみについて』九)

最近、久々にものを考えました。
ひとつには拝見した舞台から、もうひとつには自分も参加させて頂いた演奏会から、同じことの両面ではないかと思われることを省みる機会を得たのでした。

拝見した舞台は、いわゆる素人さんたちの演じる狂言でした。素人とはいってもバカにしているつもりはありません。どなたも真摯に演じ、観客を抱腹絶倒させるに充分な力量を発揮なさったのでした。
中に「川上」という演目があって、何かの病で目が見えなくなった人が川上のお地蔵さんの霊験で視力を回復するも、妻を離縁しなければまた全盲になるとのお告げをうけていたために、帰宅して妻と口論になる、という喜劇です。
目の見えない主人公を演じたかたは素晴らしい演技で、杖の使い方の巧みさや歩みの無意識な用心深さは、ずいぶん研究なさったのだろうと察せられました。とても感心して見入っていました。ところが、中盤を過ぎて安心なさったのか、セリフをぽろりと忘れてしまった。一緒に演じていたお師匠さんがさりげなく小声で補ったのですが、それに対して主人公さん、ああしまった、先生ありがとうございます、という感じで、ぺこり、と頭を下げてしまった。これがいけませんでした。保たれていた緊張が一挙に崩れ、演技もくずれてしまいました。
セリフだらけでどなたもたいへんで、一演目あたり一ヵ所は誰かがセリフを忘れるのでしたが、それはいいのです。とっさに補ってやりながら絶対目立たないお師匠さんの凄さには別の感銘を受けますけれど、その補いをさりげなく受けて劇の流れを崩さない演者さんにも良さを感じます。
けれども「川上」の主人公さんは、おそらくとても熱心なかたで思い入れも人一倍で、だからこそセリフを忘れた瞬間、すべてが真っ白になったのでしょう。
ここが、しかし、芸をやるときには、覚悟のしどころだったのでした。
古語のセリフ劇は、言葉をいたずらに差し替えられないのが演ずる人にはひとつの厳しい制約条件ではあるかもしれません。「川上」の主人公さんは、けれどもそのあとの演目で太郎冠者をなさった若い方と並んでセリフに生き生きとした生活感を与えていらしたので、本当に惜しいことでした。

(補:コメントを頂きましたが、こうなってしまったことにはご病気の事情もあったようです。失礼を綴ってしまいました。が、もし何もなくて健康な方が同じ状況だったとしたらここで感じて考え続けさせて頂いたことは間違いではないと思っておりますので、そのままに致します。お読み下さる方はこのあたりご勘案頂ければ幸いです。)

さて、参加させて頂いたほうはアマチュアオーケストラの演奏会です。
私は用をなしたとはとても思えませんので、先の「川上」の主人公さんに失礼を言えた義理ではありません。
が、こちらは別の面で私の好奇心をそそりました。
管楽器はともかく、弦楽器は周りを見渡すとアマチュアは私を含め数えるほどで、ほとんどがプロさんか、その卵の学生さんだったのでした。
それでもなぜ、このオーケストラはアマチュアで、演奏会もアマチュアのものということになるのか。
反面プロとは何であるのか。
プロや卵さんの面々は、報酬を得て帰りました。ですがオーケストラの採算から割り出された報酬ではなく、アマチュアメンバーが供出しあった会費から出たものです。また、アマチュアメンバーの中でも私のように非常で参加させて頂いた者は、報酬がないのは当然としても、会費など金銭的な供出はしていません。
現実に、プロとされるかたたちは技術的に難しいところも報酬にふさわしいだけ拾って下さって、なおかつお人柄もいいかたばかりで、演奏会の成功には大きな貢献をなさったのでした。
しかし、それは果たして昇華した芸だったか、となると、違う気がしました。
ヨーロッパではベートーベンのシンフォニーなんかの初演でもプロが不足でアマチュアをメンバーに補ってなされていました。ですからベートーベンのシンフォニーは、初めて聴いたお客さんたちには、現在聴くことの出来るような熟練者だけによる整ったものとは違ったのだろうと想像されます。同様の、そんな具合だったのではないか。
ただ、アマチュアだから本当に整わなかったのかどうかには確信が持てません。ベートーベンより前の時代には、エマヌエル・バッハにとってのフリードリヒ大王やハイドンにとってのエステルハージ公のように熟練した演奏ができたらしいアマチュアのパトロンがいました。
そこを勘案すると、洋楽のほうのアマチュアとプロは、日本で言う素人と玄人という対峙関係にはないのだな、と、ふと思い当たりました。プロとアマチュアは、まず、その芸で稼ぐ人と稼がない人の対照であり、さらに団体戦のときは、稼ぐ目的ならプロ、稼がないならアマチュアになります。今回の団体の演奏会がトータルではアマチュアなのも、むべなるかな、なのでありました。
「玄人」をプロと並べてみようとすると、何かが違います。
日本の「玄人」なる言葉には、その芸で稼ぐという意味合いはありませんで、この点では、あえてカナ言葉と対応させるなら、素人玄人はアマチュアの中の芸の初等上級を区分するのだと言ったほうが間違っていないのでしょう。
それに関連して、現代、職業としてあることをする人をプロと呼ぶことと、芸の善し悪しをアマチュア・プロの対峙と結びつける発想をそこに重ね合わせること、については用心が必要なのではなかろうか、と、ふと思ったのでした。

プロなる言葉が本来要求した専門家(職能者)の色が、現代日本の諸芸のプロにどれだけ持ち合わされているでしょうか。
もし持ち合わせがわずかだとしたら、色は元来はお客さんの厳しい評価で決まることなのに、プロの芸を見たとき「良かった」しか言えない客が大多数だからです。

また、プロを先生と呼ぶときには、時代劇で悪徳商人が用心棒を先生と呼ぶのと同じ軽さがあるのに、それを自覚していないのではないか。それは、先生を前にしたアマチュアとしての私らお客さん側が、芸の本質を見極めようとする精神に乏しいからではないのか。

芸の究極は遊びなのかも知れませんが、古典となってしまったホイジンガの表現を待つまでもなく、それは人間の性質の究極なのでもあって、だから私たちは厳粛な遊びに真摯に向かっていかなければならないのではなかろうか、との思いが、私に湧いてきたのでした。

まぁこんなしょうもない話です。すみません。

そういうわけで、私も私の遊びに向かって襟を正そうと考えている次第です。

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コメント

「遊兎の会」にお越し下さり、また 感想までいただき、ありがとうございます!

「川上」、たしかにそんなシーンありましたね!
舞台に関して、おっしゃるとおりです。

本郷さんが「川上」の世界にとっぷり浸れたこと、とても嬉しくおもいます(なんて上から目線なコメントですみません) また、師匠が言葉をつけて(本来は、後ろに控えている後見が言葉をつけるものであります。しかし、この舞台には後見はおりませんでした。ちなみに、舞台中、もし演者が突然舞台の上で死んだら、後見がその役をそこから演じます。つまり、後見はその舞台のすべての役のすべての台詞や仕様を身につけている事になります。)

師匠が言葉を足して、それでもオンナの体を崩さなかった、たしかにそのとおり! 
ちなみに(ばっかりですみません) 演者も思わず笑ってしまう事がよくあります。(狂言では)それでも、その役にすぐ戻る。その苦笑いや微笑みを「うわ!みちゃった はあと」となんて嬉しくなっちゃうのが、おばかな我々弟子たちだったりします(笑

ところで、蛇足です。
川上の演者、ご自分でもカミングアウトされてますが 糖尿病でインスリンポンプをつけながらの演技でした。血糖値があがると、頭が真っ白になって台詞を忘れる、とこっそりおっしゃってました。
長い舞台、重たい装束、ライト、長い台詞、「あ〜水分が…」と下でハラハラしていた私は、台詞が飛んで、なかなか出ず、また師匠のあともつけられなかったとき、「倒れないだろうか」とだけ心配でした。なので、彼女がにこっと笑ったのは、私にとっては救いでした… ああ、まだ意識ははっきりあるんだなーと…
なんていうのは、蛇足です。すみません。

さて、この川上の演者は、この川上だけを演じました。なのでおっしゃっておられる 次の演目の大名はまたべつの方だと思います。
これも蛇足です。すみません!

またぜひ お越し頂き、ぜひ 厳しいご意見ご感想を御願い申し上げます。

投稿: 井上忍 | 2013年12月17日 (火) 23時28分

井上さん、ありがとうございます。

拝読して、ああ、申し訳なかったかな、と思いました。
「川上」のかた、そんな事情をお抱えだったのですね。
ただ、あのかたの演技が素晴らしかったところに文中のようなことがあったので、それが私にとって、大切な何かをずっと考え続けさせるいいご縁を頂けたのだと思っておりますので、どうぞお許し頂ければと存じます。

あのかたが「川上」だけで演じられたのは承知をしているつもりで、そこは私の文がヘタだから誤解されてしまったかな?
もうおひとり、すごいな、と感じさせられたのは、最後の演目での太郎冠者のお若い方です。去年も同じ方に脱帽でした。

「川上」は、実はなんでだかDVDを持っています。野村万作さんとみなさまのお師匠さんで演じられている映像です。この映像だと野村万作さんは目の見えない主人公をわりと早足で演じていらっしゃいます。そのさっさとした足取りも好きなのです。が、先日のかたはゆっくりした足取りでした。むしろ能の「弱法師」を彷佛とさせました。それがまたいい味で、それは心の底から「すてきだなぁ」と感服したのでした。ぜひ、そっちのほうの感想を、ご本人にはお伝え頂ければ有り難く存じます。

ご病気大変ですが、だからこそ「玄人」に向けてお進みになり続けることが、きっと意識を強く支えていけるこおもあるかと思うのです。あんな大きな作品をあれだけ乗り切ったのなら、なおさらです。とはいえお体を良く気遣いながら次の演目をお選びになることがきっと大切なのでしょう。
来年も、きっといい演技をなさることと、心から期待申し上げております!

投稿: ken | 2013年12月18日 (水) 22時22分

いろいろすみませーん
蛇足はあくまでも蛇足で… コメントに書く事ではなかったですね。反省。

本郷さんの文を今一度読み直し、 「太郎冠者がすごかった」と読むとなるほどなるほどと思いました。 こちらも読解力がなく、すみませんでした。

ところで、打ち上げの際、若手のプロの方々(今回裏で装束をつけてくださったり、後見をなさったりいろいろお手伝いをしてくださいました)から、川上の演者の演技を
「6世万蔵先生のようだ…もちろん、ご本人を直接みているわけではないのですが」とおっしゃってました。
現・野村万作のお父様です。今回の川上の演者は、生前の6世万蔵先生を敬愛してるとこっそり教えてくれました。「前にも似てる、って言われたのよね…」と。やはり影響に出るのでしょうか。

投稿: 井上忍 | 2013年12月19日 (木) 06時23分

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