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2013年8月15日 (木)

鷗外の「オルフェウス」(1)

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森鷗外って何を書いた作家さんか・・・いまどきパッと浮かばないかもしれませんね。夏目漱石と並べて上がるので名前は覚えている。でも作品はそんなに知らない。どんなのがあるか、と、そこいらの本屋さんに行っても、今年は「新潮文庫の100冊」に入ってないから、置いてない。ちょっと大きめの書店にあった「岩波書店創業百年記念フェア・読者が選ぶこの1冊」なるリーフレットをめくってみると、漱石はベスト10に2つも入ってる。鴎外はカスリもしません。続く70冊の目録からも漏れている。
Img_1062907_32231960_0 「100冊フェア」みたいなものがあれば、けれども毎年どれかには入っているんですよね。『山椒大夫』か『高瀬舟』。これならどこかで必ず読んだことがある。すっきりした短編で、気品もあります。でも、せいぜいそれくらいで、あとはなんだかとっつきにくい。
どうしてかな、と見てみると、意外にも横文字が多いんですよね。日本の昔を書いたものですら横文字が多い。『高瀬舟』のおしまいのほうにも、「オオトリテエ」なるかたかなことばが出てきます。オーソリティ、権威、なんですよね。こんな具合で、横文字も今と読み方がズレていたり、鷗外さんが使っているのが英語ではなくてドイツ語だったりフランス語だったりラテン語だったりして、英語に馴染んでいるだろう読者にもカタカナ言葉がピンと来にくい。おまけにたとえば新潮文庫なんかで読もうとすると、250ページくらいの本文の後に70ページくらいの注釈がくっついている。まるで古典文学です。
鷗外ってそんなに読みにくくてとっつきにくいのでしょうか?
少なくとも、以前は熱心な文学青少年でもなく、今でも文学中老年とは言えない私には、取っつきにくい印象はありました。創作の姿勢は面白くて、『ヰタ・セクスアリス』なんて小説を書いたら、これがポルノだというので掲載雑誌が発禁処分になったりしている。んじゃこいつはポルノのハシリなのか、と好奇心で読んでみると、ちっともポルノだと感じられない。青春小説の一種類に見えて仕方がない。なんだ、明治時代だったら井上ひさしの『青葉繁れる』なんかも発禁処分になったのかも知れないな、なんて思っちゃうくらいなんです。で、ご他聞に漏れず、これにも注釈がどかんとついてきます。


鷗外の文章は難しいもんなんだ、と信じて疑わずに歳を食っていたところに、先般ヘタの横好きからつい『日本文学』6(2013年 VOL.62 日本文学協会)という雑誌に手を出してめくってみて、目が釘付けになりました。日本女子大学の藤木直実先生による「森鴎外 生誕151年目を迎えて」という文章でした。ふうん、151年なのか、と読み始めて、すぐに興奮状態になってしまいました。鷗外の、作家(と医者)以外の仕事のもの凄さに、何も知らなかった私は圧倒されてしまったのでした。藤木さんの文章冒頭が、鷗外の八面六臂な仕事ぶりを果汁100%状態へとさわやかに絞り上げていたからこそ、ではありました。
陸軍の軍医を外れて予備役になった後、鷗外は帝室博物館総長兼図書頭という役につきます。いまの世の中の仕組みを私は知りませんが、このときの帝室博物館総長というのは東京のだけでなく京都・奈良も全部まとめて面倒見ちゃうお仕事だったそうです。(図書頭、というのは今でいう宮内庁書陵部のヘッドなんだそうです。)で、現在は常識になっている時代別陳列だとか研究紀要発行だとか収蔵品目録整備だとかを次々に成し遂げる。中でも東京国立博物館の蔵書については約5000冊のうちの4200冊分の解題は鷗外がひとりで作り、ついでその著者略伝を作成中に彼は亡くなったのだそうです。就任から死まで四年半という時間の密度の濃さでした。
奈良についてですと、年に一ヶ月は正倉院の曝涼に立ち会っていたのだそうです。・・・これは、うらやましい! ででもってこちらは「拝観資格の拡大」なることをしたんだとのことです。詳しいことは分かりませんが、『ヰタ・セクスアリス』の中にちょこっと、見合いに興味を持ち出した主人公が
「男が女を択ぶように、女も男を択ぶのが、正当な見合いであるということも、お母様は認めて下さらない。お母様の仰ゃるには、おお方そんな事を言うのは、男女同権とかいう話と同じ筋の話だろう。」
などと言っていたりして、鷗外の中にはまだ遠慮気味ながら自由思想がたしかに芽生えていたのを感じますので、そのあたりと関係があったのでしょうか?(何も分からないので勝手な憶測です。)

ものごとを難しくするんじゃない、むしろ、分かりやすくすることに、晩年を賭けた人だったのでした。

それじゃあその書いた文だって、難しいものであるはずがない。
と、また裏返しの先入観を持って森鴎外作品を読んでみると・・・そう、まずは分かんない言葉は適当に読み流しますと、なんだかスッキリした読後感が得えられるようになったのですから、まぁ私もゲンキンなものです。
ともあれ、文学中老年ではないので、小説周辺については風呂敷を広げないでおきます。


そんなことで仰天したとき、同時にビックリしたのは、鷗外がオペラ「オルフエウス」の詞の翻訳を手掛けており、それが近年何度か上演された、なる情報でした。
実はこの話、前に本で読んでいたのですが、藤木さんの文章に接するまですっかり忘れていたのでした。あわてて明治期の洋楽関係の小冊子類をひっくりかえしましたら、藝大の瀧井敬子先生が2004年に中公新書で出された『漱石の聴いたベートーヴェン』の最初の方に充分過ぎるほど充分に述べられていたのでした。
骨組みだけかいつまんで言うと、

・大正二(1913)年に鷗外は本居長世らの新生のオペラ研究団体発足で文芸顧問にさせられ
・翌年明けまでにはグルック「オルフエウス【オルフェオとエウリディーチェ】」の翻訳を頼まれた
・鷗外はドイツ留学中に「オルフエウス」をライプツィヒで見、ドイツ語台本のリブレットを買って持っていたので、それを翻訳に使うことにした
・手持ちの台本から翻訳して本居に見せてからひと月もたったあと、声楽の講師が「これでは歌えないのです」と鷗外に修正依頼に来た
・それで楽譜を取り寄せてみたら、詞(ドイツ語ではあった)がまるで鷗外手持ちのリブレットと違う。「これでは合わないはずだ」と鷗外は楽譜を借りて修正にとりかかった
・歌に合うように苦心惨憺して修正を1914年8月30日に校正までやりとげたが、上演を期していた7月2日(グルックの誕生日)には間に合わず、上演の話もたち消えになってしまった

という流れです。

鷗外の翻訳したグルックのオペラは、それが音楽にぴったり合うよう懸命に練られたものであるにもかかわらず、鷗外の生前には上演がかなわなかったのでした。

涙にくれたまま眠っていた鷗外訳オペラをさわやかな目覚めに導いたのが、『漱石の聴いたベートーヴェン』のご著者である瀧井さんなのだ、ということをも、私は全く存じ上げませんでした。
眠りについている間、鷗外訳オペラはどんな楽譜に基づいたものだったのかも分からなくなってしまっていました。
瀧井さんは当時の事情を丹念に探って楽譜の見当をつけ、それからまた丁寧に、鷗外の訳を当てはめてみて「この楽譜で間違いない」との確証を得て、前掲のご著書を出されたのと同じ2004年、鷗外役付きの楽譜を出版なさったのでした(野村国際文化財団の助成、発行は紀伊國屋書店)。

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鷗外に驚き「オルフエウス」に驚いてたくさんご教示を受けて私は以上のことを知り、取り急ぎご紹介したいと考えた次第です。

鷗外のこの訳に賭けた精神や、楽譜の成り立ちの詳細は、ネットでも読める瀧井さんの論文に詳しく書かれてます。とても素晴らしいお仕事ですので、ぜひお読み下さい。

瀧井敬子「鷗外訳「オルフェウス」をめぐる一考察」
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008058625

同「新発見の森鴎外直筆の『オルフエウス』第二訳稿をめぐって(平成21年3月)
http://www.lib.geidai.ac.jp/MBULL/34Takii.pdf

鷗外訳の台本(ネット上で読めるもの)
http://arcana.wook.jp/detail.html?id=208808
~ネット掲載のものは若干改変があるようです。
〜鷗外が字にした通りのものは、岩波書店『鷗外全集』第19巻に収録されています。(私は未見)

鷗外訳(第二稿)付楽譜による上演(藝大有志による)
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-10-4523215020848


・・・で、この楽譜、瀧井さんが特定なさったことでペータースの Nr.54a, 9902 のヴォーカルスコアだと判明し、それで鷗外訳を付した楽譜(以下、鷗外訳版)も出版されたのですが、グルック「オルフェオとエウリディーチェ」のいま見ることのできる様々な上演と照らし合わせますと、いろいろ面白いなぁ、と感じることがあります。
長くなりますが、取り急ぎ簡単に述べておきます。


まず、楽譜そのものの問題です。
瀧井論文(「鷗外訳「オルフェウス」をめぐる一考察」)にも丁寧に説明されているのですけれど、グルックのこのオペラは上演の歴史の兼ね合いから幾つかの版が存在します。
まずウィーンでイタリア語で上演されたときのウィーン版。その8年後にマリー=アントワネットの肝いりでフランス語で上演されたパリ版。さらに85年後パリ版をベースに手直しされたベルリオーズ版。
残念ながらパリ版を入手出来ないので未だきちんと把握出来ていないのですが、ウィーン版、ベルリオーズ版と対比した限りでは、鷗外訳版はいずれとも異なっています(たとえばレシタティーヴォはウィーン版とはほとんど異なり、最後の合唱にあたる曲はウィーン版にあるものであってベルリオーズ版のものではありません)。
出版された鷗外訳版での瀧井さんのご説明では「ベルリオーズ版を基にした」となっていますが、鷗外訳版にはベルリオーズ版にはない一連のバレエ曲8曲と三重唱曲1曲が含まれています。楽譜で確認出来ていないのが難ですけれども、これはミンコフスキがパリ版を用いた録音の最後の部分とほぼ一致しています。
ただ、パリ版はテノール歌手向けに作成された楽譜だったはずなので、パリ版ではアリアなどの調は鷗外訳版とは異なっているはずです。ウィーン版もベルリオーズ版もアルト(前者は男声アルト、後者は女声)向けになっていて、結果として主人公のアリアはベルリオーズ版ではウィーン版と同じ音高になっています。
そんなこんなで、鷗外訳版のベースとなったペータース版は、私はいまのところ(「オルフェウス」というタイトル自体はベルリオーズ版で採用されたものなのでその援用だろうとは思いますが、もしペーターズ版原本に「ベルリオーズ版を元にした」と言っているのであっても、ほんとうは)パリ版をオルフェオ箇所の部分につきアルト用に音高を戻したもの、パリ版ベース、なのではないかと思っています。・・・ただしこのことはまたきちんと確かめなければなりません。ミンコフスキ録音では構成が基本的に鷗外訳版と一致していますが、
・鷗外訳版では第2幕が5場構成であるのに対しミンコフスキ録音リブレットでは4場
・鷗外訳版第45番に対応するナンバーがミンコフスキ録音リブレットでは見当たらない
・最後のバレがミンコフスキ録音リブレットでは1曲少なく見える
・鷗外訳版では最後のバレの中央(9曲中5曲目)に置かれている三重唱が、ミンコフスキ録音リブレットではバレの前に置かれている
との差異があります。
とはいえ、これらの差異は鷗外訳版とウィーン版・ベルリオーズ版との間の乖離よりは差がはるかに小さいものです。


次に、鷗外の最初の訳が楽譜とズレていた経緯について。
依頼主の親玉だったはずの本居長世が不見識だったんじゃないか、と感じる文句(音楽の専門家のほうが、歌に合わせる翻訳を得るためには楽譜が必要だ、と発想した節がないこと)は胸中に収めることにして・・・って、言ってしまってますが(汗)。

鷗外は青年期のドイツ留学中に「オルフエウス」をライプツィヒで見、聴き、詞の載ったリブレットも購入して熱心な書き入れも行っています。
このリブレットは(鷗外が何も書いていないページを除き)これまた嬉しいことにネットで見ることができます。
http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/F100_624.html

鷗外は最初の翻訳をこのリブレットによって行なったことが明らかです。
「未定稿オルフエウス」とされている最初の翻訳は、『鷗外全集』第38巻(岩波書店 昭和50年)の501ページから512ページまでに載っています。
この訳と上のリブレットを対照すると、鷗外がリブレット1行を訳1行に当てる丁寧な作業を心がけていたことが分かります。すなわち、楽譜がないにせよ、行にしたがって翻訳すれば、歌に合う訳になるか、悪くてもすぐ修正出来るものになるだろう、と考えたのではないかと推測される方法をとっています(第二稿で改変した箇所を点検すると、最初の翻訳に際して鷗外が楽譜を参照することがなかった証拠もいくつか見つけることが出来ます)。
楽譜を実際に見て、多分ショックを受けてからも、鷗外は最初の翻訳で構築した詞のムードを保つようにも腐心したのではないか、と私は感じています。といいますのも、双方で同じ箇所に当たると推定出来るドイツ語詞が二者で似ても似つかない場合でも、鷗外は後からの訳に最初の訳で用いた語彙をそのまま援用しているように見受けるからです。・・・以上もまた検証すべき課題ではあります。

鷗外が青年時にライプツィヒで聴いた「オルフェウス」は、果たしてウィーン版・パリ版・ベルリオーズ版のどれだったのでしょうか? どれでもない混合版だったのでしょうか?
当時の楽譜は第二次大戦で焼失してしまっていることを瀧井さんが突き止めています。
詞から推測出来ないだろうか、と思って少し試してみましたが、リブレットの亀の子文字を読み切れず、ドイツ語の理解も浅い私には、ちょっと難しいことでした。それでも今後なんとかしてみたい、と思っているところです。なんとかなったら別途ご報告します。今分かる範囲では、少なくとも楽曲の省略があった短縮版だったのではないかと感じています。課題の三つ目であります。

ついまた長くなってしまいました。
ごめんなさい。

参照楽譜
瀧井敬子 解説・校訂 紀伊国屋書店 2004年
Winer Fassung von 1762 Klavierauszug Bärenreiter on-demand BA 2294a (2008)
BERLIOZ Orphée Qrrqnge,ent de Chr.W.Gluck "Orphée et Euridice"  Bärenreiter BA 5462a (2011)

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