« 鷗外の「オルフェウス」(1) | トップページ | 鷗外の「オルフェウス」(3) »

2013年8月24日 (土)

鷗外の「オルフェウス」(2)

(1)(2)(3)(4)


「凡そ学問の道は、六経を治め聖人の道を身に行ふを主とする事は勿論なり。扨其六経を読み明めむとするには必ず其一言一句をも審に研究せざるべからず。一言一句を研究するには、文字の音義を詳にすること肝要なり。文字の音義を詳にするには、先づ善本を多く求めて、異同を比讐し、謬誤を校正し、其字句を定めて後に、小学に熟練して、義理始て明了なることを得。」(森鷗外『渋江抽斎』その五十六)


鷗外がそのテキストを訳した「オルフエウス」について、演奏に用いられるはずだった楽譜は「ペータース版 54a 9902」というものだ、と、瀧井敬子氏が突き止めています。この楽譜は瀧井さんの校訂により、1866年にこの楽譜を校訂したというアルフレート・デルフェルという人(この人の詳しい経歴等は残念ながら私には分かりません)の序文をつけたままの良心的なかたちで出版されています(1866年時点ではライプツィヒのハインツェ書店から出版され、ペータース社へはその後版権が委譲された由)。

ところで先日『鷗外の「オルフェウス」(1)』の中で、この楽譜は作曲者グルックのどの時点の意思を反映したものなのかが分からないので疑問を持っている旨を申し上げたのでした。別に鷗外が訳したテキスト面への関心もありますが、楽譜への疑問の方が解消しやすいので、まずはこちらにとりかかってみます。
・・・念のため付け足しますが、「鷗外訳版」楽譜そのものの価値にはこの件はなんの本質的影響もあることではなく、復元なさった瀧井さんへの敬意は最大限に払われるべきであって、この記事の内容は敬意を損なうことをまったく意図しておりません。ただ鷗外が翻訳にとりかかった対象楽譜がどのくらい錯綜した事情のもとに、あるいは錯綜していない事情のもとに成立しているものなのか、を知りたい一心で調べてみるのです。

瀧井さんのご説明では、鷗外が訳したペータース版の楽譜(以下「鷗外訳版」)は「エクトル・ベルリオーズの版を基にしている」(*1 150頁)とされています。しかし、前回は触れませんでしたが、楽譜に付せられたデルフェルの序文にはそのようには述べられていません。デルフェルの記述は次のようなものです。

「このピアノスコア(ヴォーカル・スコア)は、C.F.ペータース社から出版されているオーケストラ・スコアに基づいて作られている。そのオーケストラ・スコアでは、イタリア版スコアとフランス語版スコアがいわばひとつに融合されている。つまり、オルフェオの声部にイタリア語の本質がそのまま残されているし、フランス語であとから追加された曲も取り込まれているし、すべての改訂箇所には批判的な検討が慎重になされている。」(*1 3頁)

とくに最後の一文からすると、この楽譜独自の校訂がなされている可能性が否めません。

なおまた、この楽譜にお寄せになった文の方ではなく、瀧井さんの意義深い論文『森鷗外訳「オルフエウス」をめぐる一考察』(*2)の中では、瀧井さんは

ペータース版:1859年パリのテアトル・リリックからの委嘱で編曲に当たったエクトル・ベルリオーズのヴァージョンを基にしている。(中略)楽曲構成は、全面的にパリ版による。」(*2 頁番号35)

と仰っています。

さてしかし、実は耳で聴く限りはベルリオーズ版とパリ版とは異なる箇所が少ないわけではなく、僭越汗顔の至りながら、瀧井さんの記述には混乱があるのではないか、との疑いを抱いておりました。
いかんせん楽譜が手元に無くこの点を確かめることが出来ずにいましたが、その後「鷗外訳版」以外に3種類の楽譜を付き合わせて見ることができました。


本題に入る前に、グルックという作曲家がオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」に取り組んだ過程、19世紀に入って、「幻想交響曲」で有名なベルリオーズがそれを再構成した事情を簡単にご紹介しておくのがよろしいかと思います。各楽譜の解説を元にして述べます。参照した楽譜の出版情報は本記事末尾に記載しました。

【ウィーン版】
グルックはまずカルツァビージという人のイタリア語台本に作曲をしました。これは1762年にウィーンで上演され、大成功を収めています。この上演に沿った楽譜は「ウィーン版」と呼ばれています。主役オルフェオはカストラート歌手(男声のアルトでした)が歌っています。

【パリ版】
その後グルックはマリー・アントワネットの肝いりで「オーリードのイフィジェニー(アウリスのイフィゲニア)」というオペラでパリに進出します。このとき、続く新作が間に合わず、「オルフェオとエウリディーチェ」をフランス語に置き換えて上演することにしました。1774年のこの上演に当たっては、台本の言語だけが改変されたのではありませんでした。フランスの趣味でカストラートが好まれなかったため、オルフェオはテノール歌手が歌うように直されたのでした。言語と主役の声域の変更に伴い、とくにレチタティーヴォ(セリフを歌う箇所)はほぼ全面的に書き改められました。また、フランスの趣味に従いバレエ音楽も豊富に追加されたりしました。こちらも大ヒットして、シーズンの終わりまでに47回再演されました。こちらに沿った楽譜は「パリ版」と呼ばれます。

【ベルリオーズ版】
19世紀に入り、1859年に、ベルリオーズが若いサン=サーンスなどに手伝わせながら時の趣味に合わせて編曲し直したものが「ベルリオーズ版」です。これは「パリ版」をベースにしながらもオルフェオの歌い手を(19世紀流の認識で)グルックの当初の意図に戻すべくアルト歌手(ただし女声)にしました。このとき、オルフェオの歌う部分を中心に、「ウィーン版」と「パリ版」に共通にある楽曲はオルフェオの歌う音の高さを「ウィーン版」の調に合わせたのでした。用いる言語はフランス語でしたので、レチタティーヴォは「パリ版」に基づき(「鷗外訳版」No.16にあたるものだけが例外です)、歌う高さは前後のアリアや合唱曲に揃えたもののようです。なお、この版ではタイトルが「オルフェー」と短縮されています。

オペラはたいてい、上演されるつど、上演の都合で楽譜が入れ換えられます。そのため錯綜したヴァージョンがあると捉えられることが多いようです。けれども実際にはオリジナルではない楽曲を用いない限り版の差は実演の都合上省略される楽曲の差に過ぎないのが本当のところではないかと思います。

グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」に関しては、したがって、版を検討するときにはこのうち「ウィーン版」と「パリ版」のいずれかに沿っていると見ることを基本に据えて間違いなかろうと思います。グルックのオリジナルはあくまでも「ウィーン版」と「パリ版」であって、楽曲の構成はこの2つのうちいずれか、またはどちらもからの折衷で行なうしか無いからであり、ベルリオーズ版もその例外ではないからです。この2つが、いわば「オリジナルヴァージョン」です。

そうは言っても、問題の鷗外訳版「オルフエウス」は「ベルリオーズ版を基にしている」との説があるのですから、ベルリオーズ版も対照の材料としなければなりません。先述の通り、「ベルリオーズ版」ではオペラのタイトルが初めて「オルフェー」と短縮されていて、これだけを見るなら、鷗外訳版は瀧井さんの仰る通り「ベルリオーズ版」を基にしたかのように思えます。

さて、どうでしょう?


対照してみて一致点が最も多いものが、鷗外訳版楽譜の基になったと見なせるはずです。また、一致点が分散する場合には、鷗外訳版楽譜は独自ヴァージョンだということになります。

対照の結果は、表の通りです。

Gluck-Orfeo.pdf

(色づけは対照を行なう上で任意に付けたものですので一貫性に欠ける点はお許し下さい。)
・グレーは「鷗外訳版」では拡張されたと見なされるため元々存在する余地がなかった楽曲
・ピンクとオレンジ色は、楽譜を観察した際に、楽譜を形成する過程でその版では意図的に欠落させたり差し替えられたり拡張されたとの感触を得た楽曲
・黄色は相互の版で同じ楽曲でありながら小異のあるもの
・薄緑と水色はその版の主役の声質により調に変更が加えられたものを主とし、若干の異同があるものの目印等
という具合です。

これにより、
「鷗外訳版=ペータース版」の基となったのは「パリ版」である(*3)
と結論を下すことが出来ます。
よりきちんと言うなら、

鷗外が詞を訳したペータース版の楽譜の楽曲構成は「パリ版」をベースにしている。ただし主役オルフェウスをテノールではなくアルトにしたために、オルフェウスの歌う部分の音の高さ(調)は「ベルリオーズ版」により補正したものと推測される。

ということになろうかと思います。

根拠としては、次のようなことがあげられます。

・まず、「鷗外訳版」の楽曲(1〜53までナンバーが振られている)がすべて現れる「オリジナルヴァージョン」は「パリ版」のみです。(*4)

・また、「鷗外訳版」は「ベルリオーズ版」には含まれないバレエ音楽を主にフィナーレ部分に収録している等、「ベルリオーズ版」とは明らかな差があります。(*5)
また、オリジナルヴァージョンが3幕構成であるところ、「ベルリオーズ版」は4幕構成をとっていますが、「鷗外訳版」は3幕構成となっています。(*6)

・「鷗外訳版」と「パリ版」の大きな相違は、唯一、第3幕フィナーレ(「鷗外訳版」No.45以下)のみです。「パリ版」でフィナーレの最初にある三重唱(「鷗外訳版」No.50相当)が、「鷗外訳版」では続くバレエ音楽のほぼ真中に移動させられています。ただし、曲の規模と調性は双方の版で一致しています。(*7)

以上のことから、まず、「鷗外訳版」の楽曲は「パリ版」を基にしたと断言出来ると思います。

これを「ベルリオーズ版」により補正した、と考えられる根拠は、次の通りです。

・「鷗外訳版」はオルフェウスを女声アルトが歌う条件で編成されている。いっぽう楽曲のベースとした「パリ版」では、オルフェウス役はテノールになっているので、そのまま引き写してはアルト歌手が歌えない。

・しかるに女声アルトがオルフェオを歌う前提で編まれた楽譜が「ベルリオーズ版」として存在している。「ベルリオーズ版」は「パリ版」を芯としている上に、オルフェオに割り振られている曲は双方の版で同じ規模となっている。

・そこでおそらく、「鷗外訳版」の校訂にあたっては、オルフェオに割り当てられた曲の調(音の高さ)は「ベルリオーズ版」と一致させた。現に、対照すると、オルフェオの歌の調性は双方の版で一致している。

・「鷗外訳版」No.16に相当するレチタティーヴォについては、実際に楽譜を見ると、「パリ版」のものはアルト用に移調することがむずかしい。「鷗外訳版」は「ベルリオーズ版」が差し替えている「ウィーン版」に基づくレチタティーヴォをNo.16に援用している(*7参照 ただし音価はウィーン版を再参照したものと推測される)。

以上、「鷗外訳版」はその構成楽曲が「パリ版に準拠しベルリオーズ版による補正がなされた」楽譜であると言って差し支えないものと考えます。

すなわち、瀧井さんが「ベルリオーズのヴァージョンを基にしている。(中略)楽曲構成は、全面的にパリ版による。」と述べていらしたところの本意がこの結果にそぐうのであれば、瀧井さんのお調べになったことを追認した結果になるわけです。ただ、あくまで本来の基本は「パリ版を基に楽曲を編成し、ベルリオーズ版は楽曲を補正するため参照された」ものなのではないのかなぁ、と私は思っております。「ベルリオーズ版」を基にした、が先では順番がちょっと違うのではないかなぁ、という感触です。


「オルフエウス」の翻訳を依頼された鷗外は、初め、自分が留学中に観劇したライプツィヒで購入したリブレットを翻訳したのでしたが、依頼した音楽家側がそれでもいいと了承した理由が判然としません。これについては、以上のように楽譜を観察すると2点ほど推測されます。

ひとつめは、「オルフエウス」というオペラに少なくともオリジナルの段階で「ウィーン版」・「パリ版」なる異本が存在することを依頼主が認識していた可能性が低いことです。依頼主である国民歌劇会は、以前このオペラが東京音楽学校で上演された(1903【明治36】年)ときに用いたペータース版を用いることに何の疑問も挿んだ形跡がないようです。このペータース版にはドイツ語の序文があるのですけれど、序文だけでも参照していれば「ウィーン版」(序文中では「イタリア語版スコア italieschen Partitur」)と「パリ版」(同じく「フランス語版スコア französische Partitur 」)の二種類があること、そしてこのペータース版はそれを折衷したものかも知れないこと(前述)に感付いたのかもしれませんが、鷗外翻訳の経緯を記述したものには版の相違が検討された気配が微塵も感じられません。

ふたつめは、ペータース版が元々ライプツィヒで発行された楽譜であること、ドイツ語歌詞があたりまえに付されていることから、鷗外がライプツィヒで買って来たリブレットの台本と無条件に同じであると発想された可能性もあるのではないかということ。ただし最初ライプツィヒで発行されたというのは序文には現れない情報です。

「鷗外先生、私らの楽譜、ドイツ語の歌詞がついてるんで、ドイツ語から翻訳して頂けます?」
「どこで印刷されたん?」
「あー、もともとはライプツィヒみたいです」
「ほう。知っとると思うけんど、あたしゃ若い時分にライプツィヒにいたんでね。んでさ、うふふ、ライプツィヒで台本買って帰ってきたのよ」
「あれまあ、ばっちりではございませんか!」
「ばっちりばっちり」
なんて、軽い調子で双方合意しちゃったんでしょうかしら・・・ (>_<)

結局「鷗外訳版」となったペータース版は当初鷗外が訳したライプツィヒのリブレットと大きな差があり、鷗外は大変苦労することになったのでした。


*1:「森鷗外訳オペラ『オルフェウス』グルック作曲」 解説・校訂 瀧井敬子 紀伊國屋書店 2004年

*2:瀧井論文PDF http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008058625

*3:ヴォーカルスコアでの対比ですので、オーケストレーションは「パリ版」に沿っているかどうかは判明していません。オーケストレーションについては、録音等で確認する限り、もしカサローヴァ主演DVDの「ベルリオーズ版」演奏がスコア通りであるならば、「鷗外訳版」は「ベルリオーズ版」と異なっているようです。たとえば第1幕の最初のオルフェオのアリアでは「鷗外訳版」ではコルアングレが用いられていますが、「ベルリオーズ版」では用いられていません。

*4:バレエ音楽である器楽曲8曲(「鷗外訳版」No.6・28・30・31・47・48・49・52)アリア等3曲(「鷗外訳版」No.13・32・50【三重唱】。なお、No.45のに相当するものは「鷗外訳版」は独唱と合唱ですが「ウィーン版」は器楽のみです。またはこの箇所は「鷗外訳版」No.51と対応すると捉えた方が正しいかもしれません。)、レチタティーヴォ2箇所(「鷗外訳版」第1幕第3場相当及び第3幕第2場第3場転換部)が「ウィーン版」では欠落しています。

*5:「鷗外訳版」No.7・9・11は同じメロディで同じ規模のアリアが3回歌われるものですが(「ウィーン版」も同じ)、「ベルリオーズ版」では2回のみです。「ベルリオーズ版」では「パリ版」にあったフィナーレのバレエ曲等(「鷗外訳版」No.45以下)はすべてカットされていますが、「鷗外訳版」はNo.45は「パリ版」より縮小して、46~53はまったく同じ規模と調性で収録しています。なお、「ベルリオーズ版」のフィナーレは「パリ版」の楽曲をすべてカットした後グルックの最終作「エコーとナルシス」の合唱曲に差し替えたものである旨、ベーレンライター社発行の「ベルリオーズ版」楽譜の序文に説明されています。

*6:楽曲ひとつひとつにNo.を振っているのは「鷗外訳版」のみなのでNo.はまったく参考になりません。各場面の認識の仕方は「鷗外訳版」は1ヶ所を除いて「パリ版」と一致しています。たとえば「鷗外訳版」の第1幕第2場は「パリ版」の第1幕第2場と同じであり、第2幕第3場なども同様です。1ヶ所の例外は「鷗外訳版」第2幕第4場としている箇所には「パリ版」では場面の転換を想定していないというところで、このあと「鷗外訳版」が第2幕第5場としているところが「パリ版」では第2幕第4場となっています。

*7:大きな差は本当はもうひとつあり、「鷗外訳版」No.16のレチタティーヴォは「パリ版」によらず「ベルリオーズ版」からとられています。この差し替えは瀧井さんは「ウィーン版から」と記述なさっています(*2 頁番号36)が、対応する「ウィーン版」のレチタチーヴォは3小節短いものです。「ベルリオーズ版」のものは規模が完全に一致します。言葉がフランス語であるため音価の調整がなされていますが、旋律線を比較すると「鷗外訳版」No.16と「ベルリオーズ版」の対応レチタティーヴォは同一であることが分かります。
楽曲の小さな差は「鷗外訳版」No.14・18・20・27・45の小節数の違いとして現れています。これはつづく曲の調性などの兼ね合いで「パリ版」では「ウィーン版」より1小節程度短縮したものが中心で、「鷗外訳版」No.27は「ベルリオーズ版」にある器楽の後奏を省いており、No.45は対応する「パリ版」フィナーレ冒頭曲より24小節ほど短縮しています。このことと、No.50相当の三重唱移動については、校訂上の意図は推しはかりかねます。

なお、各ヴァージョンのヴォーカルスコアはベーレンラーター社から出版されていて、私はそれらを参照しました。
・Winer Fassung von 1762 Klavierauszug Bärenreiter on-demand BA 2294a (2008)
・Gluck Orphée et Euridice Version/Fassung Paris 1774  Bärenreiter BA 2280-90(1967-2013)
・Berlioz "Orphée" Arrangement de Chr.W.Gluck "Orphée et Euricdice" Bärenreiter BA 5462a(2011)

|

« 鷗外の「オルフェウス」(1) | トップページ | 鷗外の「オルフェウス」(3) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 鷗外の「オルフェウス」(2):

« 鷗外の「オルフェウス」(1) | トップページ | 鷗外の「オルフェウス」(3) »