« 【8月1日〜29日】むかしむかしの素敵なピアノ展(ヤマハ銀座スタジオ) | トップページ | ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】 »

2013年8月 4日 (日)

ベートーヴェン自筆譜の日本人研究者【自筆譜を読む(3-2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


児島新(Shin Augustinus Kojima)氏は国際的にはクリスチャンネームが間に入って知られているようですが、日本生まれの日本育ちです。1954年に留学生としてドイツに渡り、1968年からボンのベートーヴェン研究所に入所ました。1979年から武蔵野音楽大学の教授となりましたが、肝臓を病んで1983年に53歳で生涯を閉じました。春秋社が児島氏の校訂でベートーヴェンのピアノソナタ全集の刊行を予定している矢先の死去でした。この死により、春秋社が児島氏にもちかけていた全20巻の「ベートーヴェン叢書」企画も頓挫の憂き目を見た由、『ベートーヴェン研究』(平野昭 編、1985 春秋社)に寄せた平野さんのあとがきに述べられています。
同じあとがきによると、児島氏はヘンレ社のベートーヴェン新全集(ペータース版は旧東ドイツでの企画)にむけて、帰国後も交響曲第6番・第7番・第8番などを手掛けていらしたようです。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の児島氏による校訂スコアは今は入手することが出来ません。ヘンレ社も別の人の校訂での出版となっています。
が、とくにこの作品の校訂については、過去から累積していた様々な誤りを打ち消した児島氏の功績は、忘れられてはならないものだと思います。ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜のカラー版ファクシミリは1979年にグラーツで出版されましたが、その別冊解説書(ドイツ語)には、児島氏がこの作品と双子のピアノ協奏曲編曲版について突き止めた事実の記述が登場します(p.42)。

作曲家の自筆譜や、そのファクシミリの意義、扱う上での問題点をいちはやく日本語で伝えてくれたのは児島氏で、生きていればこの点を含め<楽譜や付帯情報をどう見るべきか>の啓蒙で脚光を浴びる存在になっていたかもしれません。
いったん脇道になってしまいますが、そのご紹介をかいつまんでしておきたいと思います。


「ベートーヴェン自筆稿のファクシミリとその意義」1981・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

・(第二次世界大戦)戦前に出版されたファクシミリは数も少なく・・・もっとも有名な作品に限られていた。(略)これらのファクシミリは主として愛好家が記念のために手元に置いておきたいという願望に応じて観賞用に出版されたのであって、これを自筆譜の研究に役立てようなどとはほとんどだれも考えなかったに違いない。(158頁)

 ・それに対して、戦後ファクシミリのもつ意義は大きく変わってきた。戦争が終わってみると、幾多の貴重な自筆譜は焼失、散逸または行方不明になってしまい、そのなかにはファクシミリはおろか、写真さえ残っていない資料もある。こういう事態に直面して、関係者たちは改めてファクシミリのもつ資料的意義の重要さについて再認識させられたのであった。(158〜9頁)

 ・今日でもバッハの自筆譜は、マタイ受難曲を除いて、ほとんどが一色刷りでファクシミリ化されているが、それで十分にファクシミリの機能を果たしている。しかしベートーヴェンは一度自筆譜を書き上げた後にも、その作品の写譜が作られ、初演が行われる過程において、何段階にわたって、鉛筆、赤いクレヨン、濃淡の違うインクで訂正、補筆をする習慣があった。(略)したがって、自筆譜にこのような訂正が少しでも含まれている作品のファクシミリは、多色刷りであることが望ましい。(160〜1頁)

 
(「ヴァイオリン協奏曲」の1979年ファクシミリについて)

・(略)七色刷りで、地は多少黄色になり過ぎた感じだが、五線、二色のインク、鉛筆、クレヨンの区別はオリジナルに近い明晰さをもつ。ただし筆者の見た標準版では、分厚な紙質のせいか、黒インクののりがいくぶん悪く、また地の黄色のために、少し紫色がかっている点が気にかかる。(169頁)

わかりやすい部分のみ抜き出しましたが、自筆譜そのものの薬品洗浄による劣化の問題、研究者により無神経に消しゴムで消された鉛筆やクレヨンの箇所の存在の問題など、面白くもあり、もしこれから専門に研究を志すなら留意しておきたい点も、短文ながら豊富に述べられています。


このような慧眼の児島氏がベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」自筆譜とその周辺をどう見ていたかも、幸いにしてエッセイがあります。そこから抜粋しましょう。
ファクシミリからの掲載ページ(第1楽章の195小節目)は、以下の議論で出て来る
*当初記入の薄茶インク
*赤クレヨンによる訂正
*ピアノ編曲左手用の鉛筆スケッチ
*黒インクで書き入れられたヴァリアント
のすべてが見られる数少ない箇所のひとつです。

Btvn1195

「ヴァイオリン協奏曲について----独奏部の諸ヴァージョンについて」1980・・・平野編『ベートーヴェン研究』所載

今日一般に演奏されているヴァイオリン協奏曲のテキストは、1808年ウィーンの美術工芸社から出たパート譜原板にまで遡ることができる。この原板の版下に用いられたスコア写譜は現在ロンドンのブリティッシュ・ライブラリーに保存されている【注:以下、ロンドン写譜】。この写譜にはヴァイオリン独奏部と並んで、ピアノ協奏曲用に編曲したピアノ独奏部も含まれている。/さて(略)自筆稿とロンドン写譜を比較してみると、オーケストラ声部は確かに自筆稿に基づいているが、ヴァイオリン独奏部のテキストは両楽譜の間で著しく異なっていることが分かる。/自筆稿をさらに詳しく調べてみると、スコア内に書かれた独奏部以外に、スコア下部の使われていない五線システムにも独奏部のヴァリアンテ(異文)がいろいろと書き込まれている。(後略 144頁)

・(略)研究家たちの諸説は、いずれも一見筋が通っているように思われるのだが、よく調べていくと、どれもその根拠が薄弱で、実証的な基盤に支えられない憶測や思いつきに過ぎないことが判明した。例えば次のような重要な問題が何一つとして解明されないままにされている。
(1)ヴァイオリニストのクレーメントは、果たして本当にベートーヴェンに独奏部作曲上の助言を与えたのか。
(略)
(2)クレーメントが1806年12月23日にアン・デア・ウィーン劇場の演奏会で初演したのはいったいどのヴァージョンなのか。【注:自筆稿では当初は薄茶のインクで記入、続いて鉛筆によるスケッチ、濃い黒インクでの記入がされている。後2者の前後関係はさしあたって不明とされて研究が進められた。】
(3)ベートーヴェンが自筆稿の下部にヴァリアンテを書き入れたのはいったいいつのことか。

(4)(5)は本文で直接には扱われていないので省略します。
以降の記述で、まず、当初の薄茶のインクでの記入は1806年11月下旬以降、すなわち初演前に大急ぎで書かれたことを、ベートーヴェンのインク使用歴から帰納的に突き止めています。これにより、クレーメントによるベートーヴェンへの助言の余地はなかったこと、初演で弾いたのが薄茶記入の独奏部であったことも、併せて証明しています。後者は次のヴァリアンテ成立についての考察からより明確に導かれます。

(スコア下部のヴァリアンテの成立)
自筆稿の一番下のシステムには(略)ピアノのピアノ独奏部左手のスケッチが所々に記入されている(※1)。そもそもベートーヴェンがヴァイオリン協奏曲をピアノに編曲する気になったのは、ムッツィオ・クレメンティが1807年4月にウィーンを訪れ(略)た際、クレメンティに編曲を頼まれたからである。この契約は4月20日に成立したので、自筆稿の鉛筆スケッチも同日以後に記入されたことは間違いない。(150頁)

自筆稿には鉛筆スケッチの上からヴァリアンテを書いたり、また同じ黒インクでスケッチを抹消している箇所が九頁ほどある。(略)観察から、ベートーヴェンはまずピアノ編曲用のスケッチを記入し始めたが、しかしまだスケッチを書き終えないうちにヴァリアンテ【注:濃い黒インクの記入】を書き入れ始めたことがわかる。事実、完成したピアノ編曲にはヴァリアンテが何ヶ所か取り入れられている(※2)(151頁)

・(諸考察から、ベートーヴェンがヴァリアンテ記入に用いた)黒インクを使い始めたのは、1807年4月26日と5月11日の間であることが判明した。(152頁)

自筆稿はオーケストラ声部にも赤いクレヨン、黒インクや鉛筆による補足訂正を数多く含んでいる。このオーケストラ声部のテキストをクレメンティ版と比較してみると、この版のテキストにはクレヨンの補足は含まれているのに、黒インクや鉛筆の補足は取り入れられていないことがわかる。(略)クレメンティがロンドンの支配人コンラードに送った1807年4月22日の書簡によると、ベートーヴェンは同じ日、つまりクレメンティと契約を交わしてから二日後に版下用楽譜をロンドンに発送している。この事実から、ベートーヴェンが当時クレメンティ版のために新しい写譜を作らせる時間はなかったこと、したがって当時彼が所有していた唯一の写譜である初演用のパート譜を版下としてロンドンに送ったものと推測される。(略)このことから、ベートーヴェンは1807年4月22日の時点では、ヴァイオリン協奏曲を改訂する意図はなかったこと、したがってまた先述の【注:鉛筆や黒インクによる】オーケストラ声部の補足(※3)も、独奏部のヴァリアンテもピアノ編曲用の鉛筆スケッチも、すべてこの時点以後に初めて自筆稿に書き入れられたとうことがわかる。

・・・以上の後、結論で佳境に入るのですけれど、長くなりましたし、さらにそれは独奏部の検討と併せて見るべきかとも考えますので、またあらためたいと存じます。


私自身がファクシミリで実際に第1楽章について確認した箇所を例示しておきます。

 ※1:鉛筆スケッチはたとえば111、172、209(完成時不採用)、214、216、218、316-318、331、333、337各小節

 

※2:ピアノ編曲へのヴァリアンテ採用箇所は、たとえば、128、222後半〜223、338〜392、440〜441各小節

 

※3:オーケストラ声部の鉛筆による補足は、たとえば178小節の"tutti"とディナミーク"p"、182小節の"Solo"

|

« 【8月1日〜29日】むかしむかしの素敵なピアノ展(ヤマハ銀座スタジオ) | トップページ | ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ベートーヴェン自筆譜の日本人研究者【自筆譜を読む(3-2)】:

« 【8月1日〜29日】むかしむかしの素敵なピアノ展(ヤマハ銀座スタジオ) | トップページ | ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】 »