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2013年8月10日 (土)

ヴァイオリン協奏曲でのベートーヴェンの思考過程【自筆譜を読む(3-3)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 


さて、児島新氏により、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲自筆稿は
・1806年12月にオリジナルの薄茶部分が大急ぎで書かれ
・1807年4月にクレメンティとの契約が成立してピアノ協奏曲への編曲が企図されて
・それにより鉛筆によるピアノ左手用のスケッチが書き加えられ
・それと同時か後に、濃い黒のインクで独奏部のヴァリアントが書き入れられた
というプロセスを経ていることが明らかになったのでした(3−2)

129131
以上はベートーヴェンが書簡などに用いているインクの使用歴が主な裏付けとなっていたのでした。

書き入れられた音符からベートーヴェンの思考過程を知ることは出来ないでしょうか?

試みに、独奏呈示部を追いかけてみました。
すると、表のような結果となります。

Beetoven_violinconcerto1

独奏が参加する呈示部の小節数は、合奏だけになる部分を除いて81です。
そのうちの約8割にあたる67小節が、鉛筆ないし濃い黒インクでの補筆や改訂案の対象になりました。

この範囲での鉛筆スケッチ書き入れは48小節にわたります。
内容を見ますと、そのほぼ半分が、現行出版されているピアノ協奏曲編曲版に於いて、独奏ピアノの左手として採用されています。一方で、鉛筆スケッチがピアノ独奏右手(旋律部)ないしヴァイオリン独奏部として考えられている形跡は、極めてわずかしかありません(※1)。
したがって、鉛筆スケッチは、もっぱら「ピアノ協奏曲編曲版での独奏左手」のために書かれた・・・そのうちにもしかしたら独奏旋律部の書き換えの必要を感じ始めたのかも知れない・・・と捉えてよさそうです。

濃い黒インクによるヴァリアントは、対象範囲の中では33小節ほど書き入れられています(※2)。
この部分、ピアノ協奏曲編曲版では2割しか採用されませんでした。
ヴァイオリン協奏曲の独奏部には4割弱の採用となっています。
遺憾ながら作業のゆとりがないので数えていないのですけれど、事前に各独奏部への採用不採用を付箋を貼りながら検討した限りでは、この傾向は展開部・再現部でもあまり変わらないと思っています(※3)。

以上の数字は、この協奏曲におけるベートーヴェンの思考過程について児島氏がダイジェスト記述している結論を楽譜の上から補強するものになっているものと思います。
すなわち、児島氏の結論はこうでした。

「・・・ベートーヴェンは、ピアノ編曲用の左手スケッチを記入していくうち、しだいにスコア・ヴァージョン【注:自筆譜スコアの薄茶のオリジナル部分をさす】に不満を抱き始めたらしいのである。そこで編曲の途中で、今度は黒インクでスコア・ヴァージョンの改訂を始めた。」(下略、『ベートーヴェン研究』155頁)

ファクシミリには崇拝する故人の身近な記念物として恭しく本棚に飾って注連縄をめぐらしておくのも良いかもしれませんが、自筆譜そのものを親しく見られないとき、印刷がすぐれていれば、ファクシミリは活字化されたものからは窺いようのない作者のアイディアや苦悶を知る優れた教材になります。
実演による表現は結局は演者の情感や技術の制約を経るしかないのかも知れません。
あるいは、鑑賞という行為もまた、受け手が自らしたことのある極めて制約された経験を鑑としてしか対象を捕捉し得ないのかもしれません。
しかしながら、作者が本来どのように考えをめぐらしたかについて、その肉筆をなるべく詳しく追体験することは、私たちが人間として大切にして行くべき無形の「精神の結晶」を勝手気ままにせず、「伝言ゲーム」による歪曲を・・・これは残念ながら避けられないのでしょうけれど・・・最小限にとどめる上で、きわめて大切なことなのではないかと思っております。

児島氏が本協奏曲について得た結論の、入口にあたるものを、最後にご紹介しておきます。

「(最初に書かれた薄茶インク)のヴァージョンは、先に引用した研究者たち(※4)によれば、ヴァイオリン的効果、技巧や発想を全く欠いた非ヴァイオリン的ヴァージョンなのである。研究者たちの説はいずれも、ヴァリアンテ【注:濃い黒インクの書き入れ】は初演以前に記入されたという前提の上に立てられていたが、この前提が誤っていたことがわかった以上、彼らのクレーメント協力説は全く根拠のない憶測にすぎなかったと言える。彼らはベートーヴェンの作曲家としての実力を著しく過小評価していたことになる。」(同書 154頁)

このように、ベートーヴェンの能力の高さを明確にする優れた見解が、日本人研究者によってとっくに出ているにも関わらず、ベートーヴェンの真価がどこにあるかを省みる材料も提供出来ない旧態然としたエッセイの羅列本ばかりが、お書きになった大評論家さんのご満悦口調を唯一の付加価値として結構なお値段で出ていたりします。他に読めるベートーヴェンの本もあまりない現状、仕方なく売れてもいる、という日本のていたらくには、なんだかがっかりしてしまうのであります。

ファクシミリは決して安値ではありません。なんとか信頼出来る質のものになると、目ん玉が飛び出るような価格でもあります。
ですから、せめてお好きなささやかな曲のひとつでもいい、あるいは今ずいぶん便利になりましたのでネットでの閲覧でもいい、心ある鑑賞者のかたには、まず1冊1編をじっくり眺めて頂けるように、切に祈っている次第です。(冊子として手にとる方がより詳しく観察出来ますが。)


※1:ピアノ独奏のためには1小節だけ書かれ、ヴァイオリン独奏のためには2小節書かれただけです。

 ※2:半小節だけの書き入れをどう捉えるか、でカウントが変わりますので、少々迷いましたが、いまこの小節数として把握をしています。

※3:現行の印刷音符が正しく決定稿だったとすると、独奏呈示部では、濃い黒インクでのヴァリアント書き入れを行ったあと、やはり元の薄茶にとどまった割合は、ヴァイオリン協奏曲としては78%であるのに対し、ピアノ協奏曲版では68%で、ヴァリアント採用の割合をそのまま反映しています。

※4:オットー・ヤーンは、濃い黒インクのヴァリアントを、ヴァイオリン協奏曲の初演者クレーメントが行った提案を元にベートーヴェンが初演の前に書き直したものだ、と主張していました。ノッテボームはヤーン説を受けて、ベートーヴェンは初演時にあまりにクレーメントに譲歩し過ぎたので出版に際し元の薄茶インク部分をいくらか加味し、演奏しやすくしたのだと考えました。

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