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2013年7月21日 (日)

ハイドン「告別」【自筆譜を読む(2)】

(1)モーツァルト「ジュピター」(2)ハイドン「告別」・(3)ベートーヴェンの協奏曲 

 


ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも最近はワルツの迫間に記念年作曲家の作品をはさみこむようになりました。2009年には没後200年だったハイドンの「告別」シンフォニーの最終楽章が演奏されましたね。この作品のエピソード通り、楽員が一人去り二人去り・・・最後にヴァイオリン2人だけになる。・・・視覚的にこの場面を楽しむ機会はそうそうありませんから、(指揮しているバレンボイムの最後の演技過剰は措いても)嬉しいひとこまでした。

YouTube
http://youtu.be/vfdZFduvh4w

この箇所、ハイドンは実際にどう書いたのでしょうか?
自筆譜のファクシミリは1959年、これもハイドンの没後150年を記念して出版されているため、身近に見ることができます。

他作品は知らないのですが、モーツァルトが横長を愛用したのとは違い、ハイドンはこの作品では縦長の五線紙を使っています。段数は12段で同じですが、パートの割り振りかたも違います。
モーツァルトは最上段にヴァイオリン2つとヴィオラを置き、ジュピターの例で言うとその下にフルート、第1オーボエ、第2オーボエ、第1ファゴット、第2ファゴット、ときて、ホルン、トランペット、ティンパニ、チェロとバス、でした。これは違うオーケストラ作品(声楽を伴奏する作品を含む)でも基本的に変わりません。
ハイドンの「告別」シンフォニーでは、最上段から第1ホルン、第2ホルン、第1オーボエ、第2オーボエ、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ(最低音弦楽器)となっています。
これで12段は埋まりませんので、第1楽章は下4段をあけたまま書かれています。(あいかわらず携帯電話写真ですみません。それぞれクリックで拡大します。)
(第1楽章冒頭部)
1_1istmov_2

第2楽章と第3楽章ではではホルン2本とオーボエ2本を一段ずつにまとめて6段1セットとして紙を節約しています。
(第2楽章冒頭部)
2_2ndmov

ところがまた最後の第4楽章は第1楽章と同じように8段記入下4段あけ、で書き始められています。
そしていよいよ問題の箇所。
(第4楽章途中)
3_finale1

各パートを個別に減らして行く目論見があり、かつヴァイオリンを4部にするので、それまで8段で書いていたものを12段に拡大、弦楽器はパート名を改めて記入しています。

以下、ちょっとぎゅっと詰め過ぎましたし、画像ソフトを使い慣れないので整列させきれませんでしたが、クリックすれば拡大すると思いますので、ご覧下さい。(陰はお許し下さい。)
(第4楽章最後)

6_finale4

印刷譜に直したスコアですと、まず休符で退場するパートが埋められ、ページが改まるとまだ残っているパートだけが引き続き書かれますので、楽器が減って行く印象が少し薄くなります。
ハイドンの手書き譜では、退場するパートがページ末尾で打ち切られ、次のページには減ったあとのパートが徐々に上に詰めて書かれているので、楽器の減るのを如実に感じ取ることが出来ます。

ところで、この手稿譜には、モーツァルトに見られたような訂正がまったくありません。
音符や発想記号が書き改められた痕跡がないのです。

二ヶ所だけ、黒く塗り潰しているところはあります。
第2楽章のオーボエパートに4小節間、終楽章のホルンパートに4小節間です。
和声を彩らせるつもりで書いた長い伸ばしの音を抹消したもののように見受けます。
2013072018270000_2
訂正はこれだけです。

ミスがないので、曲の解釈をめぐる謎も何もなく、その点では面白くも何ともないものです。

けれども、ミスがないことを含め、実際にはこの手稿譜からは興味深いことが幾つでも読み取れます。

(1)ミスがないということは、ハイドンはこの楽譜の上では「考える」作業は一切していないということであろうと思われます。これは、①作曲に当たって下書が存在したか、②下書などというものはハイドンの頭の中にしかなかったか、のどちらかを示していると考えるべきなのかも知れません。②だとしたら、驚異的なことです。

(2)しかも清書譜にしては音符はかなりラフに書かれていて、臨書にあたってハイドンに特別な思い入れはまったく無かったのだろうとの印象を受けます。仕事のために急いで書く必要はあったかもしれませんが、ミスがないところから、それでも慌てふためくような態度なり慌てなければならないような状況下だったりではなかったことが分かります。

(3)訂正はオーボエ、ホルンそれぞれに4小節連続のものが1ヶ所あるだけに限られているところから、書く前に曲は完成していたものの、楽譜を書きながら考えることが全然なかったわけではないことも判明します。となると、もし下書きがあったとしても、オーケストレーションを完全に終えたものであったとは考えにくくなります。管楽器パート(ホルンとオーボエのみですが)についてはハイドンの頭の中だけだった可能性が大きいのではないかと思います。(前掲は第4楽章のホルン抹消部)

(4)この手稿譜自体が下書き譜ではありえない、ということについては、状況証拠とこの譜面に自ら書き入れた証拠の両面から確言出来るようになっています。状況証拠の方は、このスコアの来歴です。第1ページ目、すなわち第1楽章の開始部の、タイトル部分にある書き入れ(ハイドンではない人の手による)、青い「fol.13」と黒鉛筆の「N.139」は、旧エステルハージライブラリでの整理番号で、おそらく19世紀中のものだろうと考えられています。いうまでもなく、エステルハージ家はハイドンがこの曲を提供した先であり、そのライブラリがそのまま19世紀のハンガリーに引き継がれていたそうです。

(5)ハイドン自らの書き入れによる証拠は、手稿譜のところどころにある、小節数を示す数字です。
(第4楽章の場面転換箇所の例です。)
2013072018270001これらの数字は、各楽章の前半(呈示部)が終わったところ、途中でフェルマータが付されたところ、全ての楽章の最終小節に付けられています。

しかも、数字は冒頭小節から通して数えられた全小節数ではなく、前に小節数を書いた箇所からいまここに書かれた箇所までの小節数になっています。すなわち、第1楽章ですと、まず前半が終わるところに「74」(最初からそこまで74小節)とあり、次にはフェルマータが付されている箇所に「35」(1小節多くかぞえまちがっています)と書かれているのですが、この「35」はまえに「74」と書いたところの次の小節からフェルマータの付されたところまでの小節数です。以下、同じように全部で14ヶ所書かれています。
これは何を表しているか。
ハイドン自身に数えなければならなかった事情があるとは考えにくく思います。
(4)からも、この手稿譜が本作品の最終形を間違いなく書き留めているだろうと推測出来ますから、これらの数字は、これからすぐに演奏に供するパート譜を作成しなければならない写譜屋(係)の便宜を図ったものではないだろうか、と思われます。すなわち、作品完成後さほど時間を経ずに演奏しなければならない状況下にあるため、パート同士の整合性を検証する際に目印にしやすい箇所までの小節数を書いておいたのだろうと思うのです。通しの小節数を書くより、分かりやすい目印から次の目印までの小節数を書いておいた方が、実務的には照合がラクになるのは、手書きでパート譜を作ったことのあるかたなら容易に合点がいくでしょう。

以上、ハイドンは作曲にあたって下書をしたかどうかは分かりませんが、曲の仕上げはスピーディに、しかし冷静にすることの出来る高い能力を持っていたこと、そうして出来上がった作品はまた急ぎ演奏にかけられるので即時写譜屋(係)に回されたであろうこと、が、他になんの断り書きもない手書きスコア1冊から感じ取られるのですから、やっぱり面白いなぁ、なのであります。


 このファクシミリは印刷の通し番号があり、私の所持しているのは「103」番です。
PUBLISHING HOUSE OF THE HUNGARIAN ACADEMY OF SCIENCES 1959

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