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2013年3月 8日 (金)

「実は」の世界と語り芸:「助六」をめぐって(4)

(1)助六のモデル(2)助六の舞台装置(3)CMいっぱい!(4)語りの芸 
(5)音に聞く江戸の空気(6)道具とご贔屓(7)江戸はなぜ残ったかまとめ


歌舞伎の芝居は、荒唐無稽だとも思われています。
○○実は△△、という図式が、実に多い。
どこぞのお武家のお姫様が実は弁天小僧(「白浪五人男」)、山伏一行、実は弁慶他の義経主従(「勧進帳」)なんていうのは分かりやすいほうで、銀平実は平知盛(「義経千本桜」)とか、アホの一條大蔵卿、実は賢いとか・・・ちょっと違いますか。

Sukerokurabbit

実は、というほどには「実は」は多くないんですけれど、「助六由縁江戸桜」は、このパターンです。
助六、実は曽我五郎。
髭の意休、実は平家の旧臣、伊賀平内佐衛門家長。
ほかに、白酒売りの新兵衛が、実は助六の兄、曽我十郎。
じゃあ、この「実は」にびっくりするのか、というと、そんなことはない。お客さんは「実は」をあらかじめ知っている。劇中の人物同士だけが知らない。ハヤタ隊員実はウルトラマン、本郷猛実は仮面ライダー、みたいなもんですね。隣にいる普通の存在が特別な何かに変わって力を発揮する、それを「おいらなんて前から知ってるんだぜ〜」というプライドに、私たちは、すかっとさせられるのでしょうかしらね。

でもこの図式、実は(ばっかりになってしまってスミマセン)歌舞伎より古い能のほうが著しい。いま演じられる古典の能は、かなり高い割合で、最初はそのへんにいそうな、そうでなければちょっと不思議な人物として現れるシテ(主役)が、途中で正体を明かしたり見破られたりして、後半で本性を現します。その変化が見どころを作ります。

歌舞伎の「助六」の場合には、ところが、「実は△△」は、お芝居を見える上ではあんまり関係がない。

髭の意休の正体が明らかになる最後の部分は省略されて演じられることが多いですし、助六は曽我五郎であることが分かって初めて何か特別な力を発揮する、というのでもない。白酒売りの新兵衛さんは、曽我十郎祐成だとはっきりしても、なんだかヤワヤワと間の抜けた感じのままだったりする。

助六は助六のまんまで粋なふるまいをしたりセリフを言ったりするので、わざわざ「実は曾我五郎」でなくっても、お客は一向に構わない。

だのになぜ、あえて曾我五郎でなければならないのか。

落語にオチが必要なように、「○○実は△△」は、必要なオチなのでしょう。
オチの肝である後半の△△には、スーパーヒーローの名前が来る。これが必要なのでしょう。

歌舞伎では、華やかな舞台装置を背にしてキラキラ舞踊る役者さんに、お客はうっとりします。うっとりさせてくれるその人は、お客にとって、スーパーヒーロー、スーパーヒロインなのです。
「助六」が成立した当時は、曽我五郎がスーパーヒーローの代名詞でした。
曽我五郎はなぜスーパーヒーローだったのか、「三十字で述べよ」などと問題を出されても、「ウルトラマンがスーパーヒーローだった訳を三十字で述べよ」というのと同じで、とても無理ですから、説明抜きで「そういうもんだったんです」で済ませますけれど、とにかく、助六がスーパーヒーローであることが、暗黙のニーズだったのではないでしょうか。

ただし、「助六」には舞踊そのものの要素はありません。
お客を魅了するのは、もっぱら「語り芸」です。

語ることが、舞踊と同じように、充分に「見せる」芸であった事情は、誰もが多弁になった現在ではぴんと来にくいかも知れません。

先日亡くなった十二代目市川團十郎さんの思い出話に、こんなのがあります。
「昔の人は静かな環境で過ごすことを何とも思わない人が多かったようだ・・・(天保時代に出来た金丸座での歌舞伎公演のとき)夜、私たちは温泉に入り、食事を摂り、後はテレビなどを見て過ごすが、(河原崎)権十郎のおじさんの部屋を覗くと、食事はすでに片付けられ、座卓の前に座り、目の前に置いてあるテレビもつけずジッとしている。二時間くらいしてまた覗いてみると、静寂の中、前と同じ姿勢で座っていた」(『團十郎復活』39〜40頁、文藝春秋 2010年 *11)

私の祖父は明治生まれでしたが、やはりこの文中の権十郎さんみたいなところがありました。

少しタチが違うのですけれど、第二次大戦が終わったばかりの頃に放送局が地方の人にインタビューしたときの録音を、ラジオできいたことがあります。みんな、学校で教わったようなことは硬い言葉でしっかり喋れるのですけれど、「それは具体的にどう言うことですか?」と質問を重ねられると言葉に窮するのでした。単純に「語彙が貧弱だったから」ではないのだろう、とは思うのです。聞いた時にはむしろ、戦前までは、言葉はそんなに繁く日常で語られるものではなかったのかも知れないなぁ、との印象がありました。

必要以上にの言葉は発しない日常を、人々が過ごしていたのであれば、芝居で言葉が滔々と「語られる」ことが、いかにキラキラした芸であったのか、は、そこはかとなく分かるように思います。

「助六」では、キラキラした言葉が豊かに縷々と流れます。
ほとんどは、例えが並ぶ「ツラネ」という話術です。
登場者がそれぞれに、相応の、すかっとする「ツラネ」のセリフを語ってきかせてくれます。前回ちょっと触れた朝顔仙平の「煎餅づくし」もそうですし、仙平の兄貴分の門兵衛にも粋なのがあります。
そしてなんといっても主要な三役・・・助六、揚巻、意休・・・は、特別に胸のすく「語り芸」を《見せて》くれるのです。《見せて》くれる、と《 》で括るのは、「語り芸」には視覚的な要素も非常に大切だからです。

小さな箇所にたくさんちりばめられているものをあげるとキリがありませんので、主なものを。

意休が登場するところもなかなかですが、これは伏線があるので最後に回します。

登場した意休に、惚れている助六をさんざんにけなされて、怒って揚巻が言い立てる
「悪態の初音」
は、見所として有名です。玉三郎さんが演じたYouTubeの映像を、そこから始まるようにして載せておきますので、ご覧下さい。


この上演は組み物のDVDで見ることができます。
単独発売のDVDでは故・雀右衛門さんが演じていますが、これもたいへん見事です。
このセリフ、文字起こししたものを眺めるだけだと、演じる姿を見て伝わって来る迫力まで感じることが出来ません。
玉三郎さんのとは細かいところで違いますが、江戸時代後期(1811年)のテキストではこうなっています。(*12、以下、セリフの引用は同じ。悪態の区切りがついて「おほほほほほ〜」と笑うところの演技が、見ていると凄みがあるのです。でもこれはセリフにはありません。型として採り入れられているものです。)

「○お前と助六さんを並べて見た所が、こっちはりっぱな男振り、又こちらは意地の悪さうな男つき、譬へて言はば雪と墨、硯の海も鳴門の海も、海といふ字は一つでも、深いと浅いは客と間夫(まぶ)、間夫がなければ女郎は闇、暗がりで見ても助六さんとお前と、取り違へてよいものかいなア。例へ茶屋・船宿の意見、親方さんの詫び事でも、小刀針でも止めぬ揚巻が間夫狂ひ。○サア切らしやんせ。わたしにかう言はれて、よもや助けては置かんすまいがな。」(54頁)

助六は、とっちめた門兵衛にあらためて「なんという野郎だ」と言われて答えるところが爽やかです。これは同じ映像を故十二代團十郎さんが語る所から。

「いか様、この五丁町へ、脛をふん込む野郎めらは、俺が名を聞いておけ。先づ第一瘧が落ちるわ。まだよい事がある。大門をづつと潜ると、俺が名を手の平へ三遍書いて嘗めろ。一生女郎に振られると言ふ事がない。見かけは小さな男でも、キモが大きい。遠くは八王子の炭焼き売炭の歯っかけ爺、近くは山谷の古遣手、梅十婆アに至るまで、茶飲み話の喧嘩沙汰、男伊達の無尽の掛け捨て、遂に一度も引けを取った事のねえ男だ。江戸紫の鉢巻に髪はなまじめ、刷毛先の間から覗いて見ろ、安房上総が浮画の様に見えるわ。相手がふえれば龍に水、金龍山の客殿から目黒の眠蔵まで御存じの、お江戸八百八町にかくれのない、杏葉牡丹の紋附も櫻に匂ふ仲の町、花川戸の助六とも又は揚巻の助六とも言ふ若い者、間近く寄つてしやつ面を拝み奉れエエ。」(68頁)

後回しにした意休の、花道に出てきたときの粋なセリフは、古いテキストで拾いますとこんな具合です。

「誠や一双の屏風仙人の枕とやら、鴻門を破って高祖を助けし樊噲が力業、力づくでも動かぬものは傾城の意気地、今宵も振らるる仲の町の花の雨、干すかたもなき袂と思へば、振らるるも一興、若い者共、いつその事酒と討ち死にはどうだ。」(48頁)

以上は、揚巻、助六と同様に、文化八年二月七代目團十郎助六初演台帳を底本とした岩波文庫本から拾いました。映像のものとは違う所が少なくありません。
大正四年に十五世市村羽左衛門が二回目の助六を演じた際の本を書き写した『助六由縁江戸桜の型』にも、小異で同じセリフがあります。
上掲の映像から左團次さんの語るのを見て下さい。

ところで・・・
明治十四年印刷本を写したものを元にした古典大系本(*9)、同じく白水社の歌舞伎オンステージの本(*5)には、実はこの、意休のいちばんいいセリフが、ない。
これが、今回の私の「実は」であります。

大正四年にはあっても、明治前半にも、より古い文化八年にもない、というのであれば、意休の「いちばんいいセリフ」は明治十四年より後に出来た、と簡単に結論づけられます。
ところが、文化八年、七代目團十郎が演じた時には、「意休のいちばんいいセリフ」は、すでにあったのです(上の引用の通り)。

どうしたわけか、途中の明治十四年に、ない。
この年は「助六」の上演自体がなく、この前後での上演は、明治五年(助六=團十郎、このときはまだ養家の河原崎を姓とし権之助の名だった)から明治十七年(助六=團十郎)まで空白です。
このテキストでは、意休のこのセリフを意図的に抜いたのでしょうか。
だとしたら、どんな意図からそうしたのか、となると、答えに直結するヒントは、全くありません。
明治十四年本で助六役に想定されている九代目團十郎がかんでいたのでしょうか?

九代目團十郎は、明治5年にいわゆる「散切(ざんぎり)物」という新社会・風俗劇が登場して以来、おそらく新しく現れ始めた他の演劇に対抗心を燃やし続けた人だったのではないかと思います。明治11年には、時代物を活きた歴史たらしめようとした「活歴劇」なる名称が演劇史に登場しますが、これには團十郎が大きくからんでいたと言われています(*13、70〜71頁および79頁の注36)。
九代目は、こんにちの歌舞伎の演出に大きな影響を残しています。
歌舞伎十八番の「勧進帳」で、もともとはいまより軽い衣装だった四天王(弁慶以外の義経の家来)を義経・弁慶と同じ大口袴にしたのは九代目だったとのことです(*14、81頁)。これによって「勧進帳」はどこか高尚なものになってしまいました。
また「熊谷陣屋」の最後、息子を敦盛の身代わりにした熊谷直実が幕のしまった後「十六年はひと昔。夢だ、夢だ」と詠嘆して去って行く場面も、九代目の型とのことです(*11、83頁)

九代目は「できるだけ従来の様式的演出を避けて、いわゆる『腹芸』の自然主義的な表現をとった。また有職故実を正して絵巻物のような舞台をみせた」(郡司正勝による、*13、71頁)のだそうで、上の「勧進帳」や「熊谷陣屋」の例も、そうした九代目の演じかたにそぐうものだと感じます。

意休のセリフは、もし九代目がカットしたのだったとしたら、なぜカットされたのでしょう?

意休のセリフをもう一度読んでみると、意休は「女郎に振られる」のを覚悟しているようです。
いま前半をカットした上演でこの場面をみると、なんの不合理もないようにみえます。
ですが、カットされた前半部では、まえもって現れている揚巻は、方便ではありますけれど、若い者を茶屋に使者に立てて
「意休さんはいよいよ今宵おいでなさんすか」
、待っていますよ、といわんばかりの言づてをさせているのです(*5は45頁、*9は83頁、*12は42頁)。
この言づてにのって現われる意休が振られる覚悟だなんて、不自然と言えば不自然です。
もし明治十四年の本のカットが意図的になされたのであれば、そしてそれはもともとの台本を省略しないで演じる立場から考えられたのであったら、カットは、意休の出をなだらかにしたいとの、九代目團十郎の自然主義からなされた可能性があったとしてもおかしくないのではなかろうか、と思います。
・・・まぁ、勘ぐりには過ぎないのですけれど。
(なお、九代目團十郎の最後の助六となった明治29年の上演は、満江・新兵衛が去ったとで助六と揚巻がいちゃつく場面をカットした他は、いま活字で読める前半部分も実際に演じた「準・ノーカット版」であったことが、渡辺保『明治演劇史』から分かります。)

九代目團十郎は、一方で、歌舞伎十八番のものに限っても、前時代的なさまざまをそのまま残していたりします。自然主義とは矛盾すると感じられるこうしたさまざまは、しかしながら、省いたり替えたりして劇を成り立たせたり、歌舞伎好きのお客さんをつなぎ止めたりは出来ないから残されたのでもありましょうか?
このあたりは、(7)で考えます。

歌舞伎十八番の内の「暫(しばらく)」については、
「終始、江戸時代にのみ、打てば響くような反応のあった洒落が、今なお台本の中に温存されている。/岡鬼太郎がこの芝居について『何処がおもしろいと訊かれれば、何処もおもしろいと答へよう。何処が詰まらないと訊かれたら、何処も詰まらないと答へよう』と書いているのは、卓見であった。」(*14、157頁)
と、戸板康二さんが言っています。
・・・参考になるような、ならないような。


*5)諏訪春雄 編著『助六由縁江戸桜 寿曾我対面』歌舞伎オンステージ17 白水社 1985年

*9)「日本古典文学大系98 歌舞伎十八番集」郡司正勝校注 岩波書店 1965年

*11)市川団十郎(十二代)『團十郎復活』文藝春秋 2010年

*12)守髄憲治校訂『助六所縁江戸桜』(底本:文化八年二月上演台本)岩波文庫 1939年

*13)郡司正勝『かぶき入門』岩波現代文庫 2006年

*14)戸板康二『歌舞伎十八番』隅田川文庫 2003年、原著は中央公論社1978年

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