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2013年2月27日 (水)

抽象の吉原:「助六(助六由縁江戸桜)」をめぐって(2)

(1)助六のモデル(2)助六の舞台装置(3)CMいっぱい!(4)語りの芸 
(5)音に聞く江戸の空気(6)道具とご贔屓(7)江戸はなぜ残ったかまとめ


「助六所縁江戸桜」の舞台は、新吉原の妓楼の中でも最高級の大見世、三浦屋の入口をかたどっています。
屋根は普通の切妻かと見え、玄関には唐破風がのせられています。江戸期の風俗店はこのような意匠だったのでしょうか。

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新吉原の街割りは、極めて大雑把に言うと、目の字を横に二つ並べたようになっていて(目目)、最下部(北東)中央に大門(おおもん)があり、あとは四角の中が下から順に江戸町、角町、京町で、右側が一丁目、左側が二丁目でした。ただし、左側の最下部(大門寄り)の一角は伏見町で、そのぶん左側は区画が多かったのでした(*1 46頁図)。目と目の間が、仲の町というメインストリートで、1741年頃に桜が植えられました(この桜は、以後、毎年植え替えられた由)。新吉原の殷賑を描いた浮世絵には、この仲の町の桜が見られます。歌舞伎では「鞘当」や「籠釣瓶」というお芝居の幕開きで、往時の仲の町の桜を華やかに見せてくれます。いまの吉原の跡地である千束界隈には、こうした往時の面影はありません。

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ついでなので現在の仲の町通りのあたりの写真を載せておきます。

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吉原の往時の名残は、大門に至る道が真っ直ぐではなくて曲がっていたのが、そのまま舗装されていると分かるくらいのものです。で、大門から吉原跡地には、常のお勤めの女の人や生真面目な男の人は、ちょっと立ち入れないでしょう。
昔の新吉原のいちばんはずれに当たる場所には、吉原神社があります。この仲の町通りの景色は、吉原神社前からのものです。

三浦屋(a)は新吉原の京町一丁目に元禄期に実在しており、支店(のれんわけした店?)もあったほどの吉原の顔でしたが、「助六」の舞台が三浦屋そのものをかたどったかどうかは分かりません。

この店先でくりひろげられる男伊達・女の張り、の芝居は、三浦屋である必然性はないでしょうから(事実、江戸での初めての助六狂言は別の妓楼前の設定だったそうです)、この店の意匠で吉原の世界を抽象しているのだ、と捉えてもいいんじゃなかろうか、と、勝手に感じております。
抽象である、と感じて良いと考える一つの理由は、明治十五・十六年版の『歌舞伎十八番の内』(*5の底本)には、揚幕の所に大門口を飾り付け、劇場のなか全体を新吉原仲の町にみたてる、とあるからです。これは、同じことが、岩波文庫版の底本になった文化八年(1811)の市村座での上演本にも記されています。ただ、それ以上に古いものを活字で見てはいませんので、このことはどれくらい遡れるのか、分かりません。

三浦屋は江戸の遊女屋としては古くから名前が出てきていて、元吉原当時から徳川幕府が遊女屋と話をするときの代表に選ばれていたということですから(小野武雄『吉原と島原』39頁、講談社現代文庫)、この名前自体が吉原を象徴するのにふさわしかったのだろうと推測されます。(b)

玄関は上手寄り3分の1くらいの位置になっていて、中央から下手にかけての四間は赤い総籬(そうまがき)の大格子になっています(*4 19頁、*5 15頁)。お客は、籬の格子の間から見える遊女を眺めて品定めしたのでした。総籬は、上級遊女を抱えた大見世の象徴です。中見世になると四分の一くらいが、小見世となると上半分が明いていました。(*1、50頁)
「助六」の舞台では、この総籬の前に、赤い毛氈をかけた長床几が五脚しつらえられています。現実に、妓楼の店先にこんなベンチが置かれることがあったのでしょうか? 浮世絵などではそんな場面を見たことがありません。「助六」劇中では、ここに花魁や新造(なりたての遊女で、まだ花魁の付人をしながら接客法を学ぶ)がずらりとならんで掛けます。とくに、大格子の前には花魁たちが座ります。
ほんとうの妓楼前では、客の側が格子の中側に優雅に座っている花魁たちを眺めるのです。でも、舞台では、遊女たちが外側に出ている。これも、劇ならではの一種の抽象なのではないかと感じます。(格子の内側にいる高級遊女たちを描いた「張見世の遊女」という見事な浮世絵があります。*7 52〜53頁に部分的に掲載。)
吉原の遊女と遊ぶには、安くても一両ではとてもたりなかったそうです。単純に比較出来ませんが、一両はいまの十万円以上の価値がありましたし、一方で庶民のお給金は年に五、六両くらいでもましなほうの水準だったようです。歌舞伎も決して安価な見物ではなかったのですけれど、観客は、せめて歌舞伎を見るお金を払って、吉原の高級感を垣間見たかったことでしょう。演じる側は、それにこたえて、ほんとうなら吉原でも見えにくい高級遊女たちの姿を表側にしてみせる大サービスをしたのかも知れませんね。

遊女町ですから、高級、と言っても、他の町から実際の吉原を覗きに行ったのは男ばかりだったことでしょう。
とくに「助六」では吉原の華やかな面のみが切り出されています。
江戸期から昭和33年の売春禁止法による遊郭廃止までの吉原を解説した諸書には、遊女町ゆえの人身売買まがいや性病など暗い話題にもかならず触れています。吉原の背景をきちんと知りたければ、そういうものも読んでおかなければなりません。読んで初めて、劇中の揚巻や白玉といった人物の言動の意味も分かって来たりします。とはいえ、「助六」の舞台そのものを見る時には、吉原の持っていた陰の面をそこから引き出そうとしても無駄だとは心得ておくべきでしょう。(c)

脱線してしまいました。

舞台の上にはなお、下手に水桶があったりします。これは、演技に使われる時には本当の水を張るんだそうですが、残念ながら市販の映像ではこれを使った演技が行なわれる部分は省かれた上演のものしか見られません。台本と芝居の運びについては後日眺めたいと思っております。

舞台写真再掲。

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舞台の両脇は「丸に隅立四つ目の紋を描いた四角形と、『新吉原竹村伊勢』の文字とを交互に組み合わせたデザインの道具が飾られる。これは、竹村伊勢から贈られた蒸籠の積物を、模様のように様式化して表現している」のだそうです(*6 98頁)。蒸籠とは饅頭を蒸す木箱で底が簀になったもの。肉饅を蒸す時に使っているのを見たことがあるでしょう。饅頭は芝居見物のときの代表的な食べ物だったようです。で、饅頭屋は芝居のときに劇場にこの蒸籠を積んで祝いの心を表したのでした。積まれたのは他に酒樽や米俵、炭俵などでした。これらを「積物」と称したのです。積物の起こりは元禄期をそう遡らない時期だったようです。竹村伊勢とは、吉原の紋日(客寄せのための特別サービス日、*1 101頁以下参照)にそこへ蒸籠の積物を贈った菓子業者だそうです。積物は、富裕の象徴として物をたくさん積み上げてめでたさを表現する手段だったので、これが舞台の両側を彩っているのは、「助六」がある種の祝祭劇なのだということを象徴しているのでしょうか。(以上、*6 91〜101頁参照)

以上、不十分かもしれませんが、とりあえず「助六」の舞台装置について、その主なところを見てみました。


a. 三浦屋は代々の高尾など高名な大夫、花魁を抱えていたために、吉原について書いたり触れたりした本には三浦屋の名前がしばしば出てきます。たとえば『吉原徒然草』(結城屋来示 作、元禄時代、上野洋三校訂 岩波文庫 2003年)には三浦屋の遊女が何人も登場します。早いうちに廃業した、となにかで読んだ気がするのですが、はっきりしません。本家と思われる他にも京町二丁目などに分家なのか暖簾別けなのか私には分からないのですが別の三浦屋もありました。いまでは上演されない前半部の門兵衛のセリフに、助六の母、満江を「貳丁目で見た」とあることから、「助六」の舞台の三浦屋は二丁目の方の見世だった、とする注釈が、諏訪春雄編著『助六由縁江戸桜 寿曾我対面(歌舞伎オンステージ17)』(白水社 1985年、22頁)にあります。

b. (1)で参照した赤坂治績『江戸っ子と助六』には、「三浦屋は、大門(おおもん)近くにあり、会所を兼ね、仕置場(懲罰場)でもあったようだ」(137頁)とありますが、三浦屋があったという京町一丁目は吉原大門から見ていちばん奥ですから、この記述には矛盾があります。吉原を細かく調べた本でも見つければ、本当の所が分かるのでしょうけれど。なお、元吉原時代の三浦屋(本家本元でしょう)が元吉原京町一丁目で仲の町に面するかのように存在していたことは、『守貞漫稿』巻之二十二所載の元吉原の図から読み取れます。(喜田川守貞『近世風俗史』三、岩波文庫 1999年 312頁)

c. 往時の吉原の情景や人模様を、なるべく実感をもって知りたいときには、ふくろうの本『図説 浮世絵に見る江戸吉原』(河出書房新社 2007年新装版)をお勧めします。図版を見るだけでも印象が強く、読めば説明もかなり詳しく書かれています。


*1)小野武雄「吉原と島原」1978年教育社歴史新書〜2002年に講談社学術文庫

*4)遠藤為春・木村錦花『助六由縁江戸桜の型』劇文社 大正14

*5)諏訪春雄 編著『助六由縁江戸桜 寿曾我対面』歌舞伎オンステージ17 白水社 1985年

*6)服部幸雄『大いなる小屋』講談社学術文庫 2012年、原著 平凡社ライブラリー 1994年

*7)佐藤要人監修・藤原千恵子編『図説 浮世絵に見る江戸吉原』ふくろうの本 河出書房新社 2007年新装版

舞台図版はこちらからお借りしました。松竹さんスミマセン!
http://www.kabuki-bito.jp/special/kabukikeitai/04/

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