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2012年10月15日 (月)

ガッツァニーガの「ドン・ジョヴァンニ」(1)音楽

(2)


モーツァルトが作曲したダ・ポンテによる「ドン・ジョヴァンニ」台本は直接には1787年(モーツァルト作品が10月に初演されたのと同年)2月にヴェネツィアで初演されたジュセッペ・ガッツァニーガのオペラ・ブッファの台本らしい、という話は、いろいろな本に記載されています。これはジョヴァンニ・ベルターティという人の手になるもので、筋書きがダ・ポンテ台本に酷似しているとのことですが、私は目にしたことがありませんでした。

先日、CDショップをうろついていて偶然に、モーツァルト作品に混じって、ガッツァニーガの「ドン・ジョヴァンニ」があるのに気づき、それで初めて触れる機会を得ました。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000JCE9HO/

2009年にDVDもでているのですね。
http://www.amazon.co.jp/dp/B001RPZDZY/

堀内修『モーツァルト オペラのすべて』(平凡社新書 2005年 208頁)にも、そのネタ本になっただろうアルフレート・アインシュタイン『モーツァルト 人と作品』(浅井真男訳 白水社 1961年訳 1997年新装復刊 596頁)にも、さらには水野彰良『イタリア・オペラ史』(音楽之友社 2006年 145頁)にも、ガッツァニーガが曲をつけた「ドン・ジョヴァンニ」は1幕物だとしてありますが、私の手にしたCD(NUOVA ERA 223296-311)のブックレットでは "Opera in Two Acts" となっています。2003年に日本でも新国立劇場(小劇場)で上演されたようですが、それをご覧になった方の文には何幕かの情報の記載はありませんでした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~arepo/opera100.htm
http://giac.web.fc2.com/g2003/20030515g.htm

2006年までの上演情報を見つけました。
http://tc5810.fc2web.com/operat/sakkyoku/gazzaniga.htm

それを伝手に関西二期会の上演をご覧になったかたの文も参照しましたが、やはり残念。(涙)
http://tousanhituji.blog74.fc2.com/blog-entry-2176.html

新国立劇場での上演時の紹介記事をようやく発見したら、やはり「全1幕」とありました。
http://www.nntt.jac.go.jp/season/s191/s191.html

・・・うーむ、CDと上演の違いについては、これ以上追求しないでおきます。

幕数についてはこれで解決ということにして、考えたい問題は2つ出て来ます。

ひとつめは、ダ・ポンテはこの台本を剽窃あるいは盗用した、と言えるのかどうか。
ふたつめは、ガッツァニーガの作品はモーツァルト作品に見劣りがすると言われているのですが、それが本当なら、ガッツァニーガの音楽的才能はモーツァルトに劣っていたのかどうか。

あとの方から行ってみますと、ガッツァニーガの作曲したドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面はこんな具合です。(9分あります)

http://music-hongou.art.coocan.jp/audio/Gazzaniga_ Don Giovanni1.mp3

モーツァルトのこの該当部分に比べると象徴的なものがなく、軽い、かも知れませんが、私の印象としては、上演されるものとしては、短い中に手際よく場面転換をまとめてあって、決して才能のひらめきがない感じはしません。
この場面の後、ラストシーンでは、ドン・ジョヴァンニが地獄に堕ちた場面を聞かされた面々が恐怖に駆られ、おのおの楽器を口まねして気を紛らわせます。(6分半)

http://music-hongou.art.coocan.jp/audio/Gazzaniga_ Don Giovanni2.mp3

各自が口まねする楽器をオーケストラが実際に演奏する工夫があって、お客には楽しめるものになっていると思います。

次回見てみたいと思いますが、ガッツァニーガの作りが「軽い」のには2つの理由があると思われます。
ひとつは台本がこみいっていないこと。
もうひとつは、台本がそうした作りになった背景に、お客がこみいったものを要求していたわけではなかったこと。
そんなあたりではないかな、と思います。

ガッツァニーガというひとは能力のない人ではなかったように感じます。こんにち唯一聴くことの出来るこの作品全般から受ける印象も、よく整って耳に心地よい音楽を書いているなぁ、というものです。伝記情報はほとんどないのですが(CDのブックレットも水島著も同じ程度)、水島著から引くと、このようになっています。
「ジュセッペ・ガッツァニーガ(1743〜1818)はヴェローナに生まれ、1760年ヴェネツィアに出るとポルポラの勧めでナポリに移り、同地の音楽院で6年間学んだ。続いて3年間ピッチンニに師事し、インテルメッゾ《トロッキア男爵》(1768)でデビュー、以後1801年まで34年間に50作にのぼるオペラを発表した(うち約20作がヴェネツィア初演の喜歌劇)。」(『イタリア・オペラ史』145頁)

師事した先生の当時の格を考慮し、50作を書き続けて生計が立っていたのだろうと推測した上で、ウィーンでも1作の成功作を出している、との記述があるところをみますと、こんにちまで名前の残る超一流陣には及ばなかったものの、そこそこイケた作曲家さんではあったと考えていいと思います。
先にリンクした部分で、観劇して来た人たちが言っているところを参照しても、ガッツァニーガの《ドン・ジョヴァンニ》は好印象を得ています。

では、ガッツァニーガの《ドン・ジョヴァンニ》はモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》と太刀打ちできるのか、というと・・・おそらく、そういう比較を二つの作品のあいだで行なうこと自体が、ちょっと違うのではないかな、と思います。それは、作品の享受のされ方の違い、背景の違いがあるからで、とにかくガッツァニーガはガッツァニーガの求められたことに対して最善を尽くしたのであり、最善を尽くしたからこそ、おそらくはそこそこ評判になって、その台本にダ・ポンテが目をつけたのだ、と考えるのがいいように思います。
当時のイタリア流オペラ享受と、モーツァルト作品がヒットしたプラハあたりの享受のされ方が違ったのではないか、という推測は、モーツァルトのほうの《ドン・ジョヴァンニ》をプラハでの成功を受けてウィーンで初演することになったときのいきさつを書き留めたダ・ポンテの記述(それがほんとうの話だとして)から推しはかってみることができます。すなわち、試演を聴いたオーストリア皇帝陛下は気に入らなかったというのです。かつ、最初の試演では「モーツァルトひとりを除いて誰もが、何かが欠けている、と思った」のだとも言われています。さらに皇帝ヨーゼフ2世は、何点かをあらためて再度行なわれた試演を聴いてこう言った、とされています。
「このオペラは世ならず見事だ。おそらくは《フィガロ》よりも美しい。だからわれらウィーン人の歯に合わぬ。」(名作オペラブックス21『モーツァルト ドン・ジョヴァンニ』音楽之友社 昭和63年 214頁)

足りなかった何か、は、台本のせいなのでしょうか?
はたまた、モーツァルトの音楽のせいなのでしょうか?

ダ・ポンテの剽窃問題と合わせて、またこの次考えてみましょう。

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