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2012年7月 4日 (水)

【内輪向け】7月1日はありがとうございました。

(いらして下さった方々への御礼を綴るのが筋ですが、ここでの私はご覧になるかたに「理屈っぽい」と思われています。自分は本来、ここで自分と内輪になって下さる不特定のかたと一緒に「考えたい」からそうしているつもりで来ました。その延長なので、このかたちでお許し頂ければと存じます。)

東京ムジークフローの皆様、7月1日には私も良い会をご一緒させて頂けたことに、深く感謝しております。会を通じて、あらためて考えましたことを3点綴って、私の「ありがとう」にさせて下さい。

【お客様の方を向いて】
アマチュア楽隊のありがたさは、自分たちの好きなように演奏会をすることが出来ることでしょう。もちろん、様々な制約があるのですけれど、個々人の稼ぎを考える必要には迫られませんから、たとえば70人のメンバーに対し聴き手が10人でも演奏会が「成功だった」と祝杯をあげることが許されます(実際、お手伝いでそういう現場に数度出くわしたことがあります)。
でも、町場の小さな発表会でも、私は素人だって、出来るだけたくさんの「身内ではないお客様」の「他人の耳」で聴いてもらい、文句を言ってもらい、出来ることならばたった1ヶ所だけでも誉めてもらえることが望ましいと考えています。大きな団体でしたらまして、のことです。
そんな中、1日の私達の演奏会は、入場者の1割強が当日券だったと伺い、たいへん喜ばしく感じました。
ひとえに、運営の皆さんが積極的にチラシ配布の協力要請をしたり、自らなさったからだろう、と、尊敬申し上げております。
大部分の、とくに自分ひとりの音が独立した1パートとなる管楽器のかたたちは必ずお考えでしょうが、そして集団の中で弾くことにどうしても甘んじてしまう弦楽器群の我々は考えて行かなければならないのですが、演奏そのものについても
「お客さんに聴いて頂くんだ、さて、わたしはどう仕上げようか」
を常に念頭に置けるようになったら、私達は、終わってみても「ほんとうによかった」と私達自身が納得出来る演奏会を出来るようになって行くのでしょう。そのためには、いつでも容易に演奏出来るところを練習しても仕方ないのであり、力量として不可能な場合は潔く棄て、出来ないながら自己の技術ならなんとか追いつきそうだと思われるところを充分チェックしてみて、そこについてはメンバーの衆智を集めてなんとかする・・・課題をしっかり発見し、解決する方向へと軌を一にしていけたら素晴らしいだろうな、と、ちょっと夢をみています。現実としては、まさにこの点について、まず私自身が不十分であったことを、よく反省したいと思います。
「お客様が聴きたい音楽を」
を目ざすことは、アマチュアにおいては、いらして下さったかたたちと音楽を素朴に共有出来る世界を築くことであろうかと思うのです。より質の高いものは本職さんの手に委ねる、のであっても、全く構わないのだとも思うのです。・・・でも、自分の努力は、自分という殻からやっとの思いで半身乗り出すくらいであろうと、少しでも外から自分というものを眺めつつやれるようになりたいな。・・・この器量なしでは実現が危ぶまれますけれど。

【楽器を持つことが練習ではない】
これは、私がセールスマンに奉職して楽器を手に出来なくなるのがはっきりしたとき、お世話になったかたが私に含めるように仰って下さった言葉です。
その後、セールスマンではなくなっても、家庭を持ってこのかた、私は家ではほとんど楽器を手にすることが出来ませんでした。家内を亡くした今の環境になってからは、事実上まったく、ウチで楽器は手に出来ません。
どうするか。
体のエクササイズとしては、楽器が手元になくてもやれるものは、もしレッスンを受けていらっしゃるなら先生がご存知だし、良いレッスン本ならいくつかを披露している場合もあります。それらをまずアタマに摺り込んで、日常の合間にチャンスを狙ってやることは可能だし、むしろ楽器を持たない方が
「楽器を持つとはどんなことか」
を考え、実際に手にしたときには新鮮に感じることになるので、私はそれらが案外有効なのには本気でビックリしたことがあります。あるいは、音楽以外の仕事、とくにスポーツ選手のフォームや、料理のプロさんの手さばきでも分かるのだ、とは、この言葉を私に仰って下さった方が重ねてお述べになったことでした。
もっと大切なのは、目の前に「今度の演奏会に乗せる曲」があるとき、それを自らのパート譜だけで全体像をつかめるまで、音を楽器で出してしまわないで、まず自分の中に「イメージ」を築き上げて行くことではないのかなぁ、とも感じています。
これは、その曲の「良い」音を聴いて、という手で築けるのかな、と考えたこともありましたが、間違いでした。練習の中で、各々が手探りで探っている像を、全体での練習の中から断片でもいいから1回1回記憶して帰って、自分のパート譜だけを読みながら、そこに他の人たちが出していた音を重ね合わせていく。パート譜という問題集の答えはオーケストラならスコアに書いてるんですけれど、スコアはやっぱり回答集に過ぎませんから、まずは問題そのものであるパート譜を読み込んだ方がいい。クルマを運転して全体練習に通っているのでは無理ですが、そうでなければ、これだけなら行き帰りの道だけで充分出来るし、そこで一生懸命考えていれば、飯を食っているときでも用便しているときでも思い出して反芻し、ぼんやり気楽に考えることができます。
どなたもがたいへんお忙しい日常をお送りのことでしょうから、どうでしょうか、こんなふうなことであれば、普段でも何かがやれることの小さなヒントにはならないでしょうか?

【いろいろな録音を聴くことについて】
楽隊なんか好きな人は、コンサートに出掛けることや録音を聴くことも大好きだったりします。
で、コンサートにいく時間が取れない忙しい人は、CDやMP3ファイルなどの録音を一生懸命聴きます。
ここに、落とし穴があると思うのです。
録音は、音が実際に鳴っていた空間にある豊富な情報の、芯の部分しか残していてくれない。
自分たちの録音を注意深く聴くと、それははっきり認識出来る気がします。
メーリングリストにちら、と流しましたけれど、実際に演奏しているときに全身の皮膚感覚で感じる微妙な間合い(メーリングリストではテンポのことだけを示唆しましたが、他には音程や音量、音の輪郭線とでも言うべきもの・・・鋭かったりぼかされていたり・・・も同じ)は、ぜんぜん分からなくなってしまいます。音の芯だけになってしまった録音では、耳だけが情報を集約してしまうせいでしょうか?
ですから、自分たちの演奏の参考にしたいために録音を聴く、との目的があるときには、かなり注意しなければいけません。
手っ取り早いのは、まだ実感が失われていないうちに、このあいだの録音を聴いてみて、あの日自分が感じたであろうこと(の多さ)と録音を聴いて感じること(の少なさ)を比べて考えてみることです。
そして、できることなら、いい機会を見つけて、優れた演奏の録音からも、同様に
「この録音から復元すべき音楽の情報は何か」
を考え、復元を試みる習慣を持って行けるようなら、なおよろしいのではないかと思っています。

以上、もっと手短になるはずだったのですが・・・スミマセン!

目を通して頂けたようでしたら、演奏会そのものへ、に合わせて、さらに重ねて御礼申し上げます。

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