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2012年5月14日 (月)

シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」

言葉のイントネーションは、とくに演劇の上で、その演じられかたの多様さに合わせてさまざまに様式化されてきたものでもありました。
劇に音楽的な要素が多くなるほど、究極は歌劇のように、言葉のイントネーションを歌の音程の高低に固定するようになります。歌は一般的に音の高さそのものを固定しますから、歌劇における歌のイントネーションは、その音の絶対的な高さにおいても固定されるのです。

Pierrot これに対する本格的なアンチテーゼを呈示したことが、本来、シェーンベルクという一人の音楽家の、西洋音楽上で最も特記されるべき業績なのではないでしょうか。十二音技法なるものを確立したことで、彼はいまでも専ら「調の破壊者」として、ロマン派までを偏愛するクラシック愛好家には疎んじられ、西洋音楽の優れた伝統の息の根を止めてしまった、などと悪くのみ言われることが少なくありません。ですが、十二音技法なるものはあくまで「長調でも短調でもない音楽の書き方」を西洋音楽の伝統の延長線上で開発したものに過ぎず、「月に憑かれたピエロ」で、<イントネーションの音高の非固定>とでもいうべき、言葉の面を切り口にしながらも初めて「音楽の、音程からの解放」までを呈示した新しさからみれば、こんな技法は彼にとってひとつの後退に過ぎなかったのではないか、と感じられてなりません。十二音技法は、一見しただけでは、音程を十二の絶対的な高さに固定したものであって、珍奇な、と言う意味での新しさは、そこにはまったく存在しないばかりか、音程可変の楽器(弦楽器や管楽器など)においては実はまったく違う音程である異名同音、同じ音名でも調の基音が変わることによってやはり変動する音高(ある音が導音である場合は高めになり、導音から決着する位置にある場合は低めになり、また和声に埋め込まれる場合は導音に位置していてもやや低めにとらなければ調和しないことがある)に対するデリケートな感覚を捨象してしまった点では退歩と見なせるものまで孕んでいるのですから。・・・まさにそれゆえに、十二音技法は伝統に飽き足らなかった「伝統継承者」にとって引き継ぎやすく、発展もさせやすく、発展型に対し新たな名前も付与しやすかったのではないでしょうか。それは過去を破壊したのではなく、過去が嵌められていた足枷を明確にしたがゆえに、引き継がれるべき重さを持つことが出来たのだと思います。

「月に憑かれたピエロ」で用いたシュプレヒゲザング(シュプレヒ・シュティンメ)は、彼自身のその扱い方についての記述に論理に矛盾があるようにしか読めない部分もあることから分かる通り、ある意味で定型化とは無縁なもうひとつの「技法」の発見ではなかったかと思います。イントネーションが常に言語とつかず離れずであることを考慮すれば、それは再発見であったと見なすべきなのかも知れませんが、イントネーションが記譜される例は西洋では決して存在しなかったことをかえりみれば、伝統記譜の中での新境地を目立たぬながらも開拓し、あとの世代のより自由な記譜に道を開いたものと捉えてもいいかも知れません。

しかしながら、言葉を発する声と同時に奏でられる器楽の方は、意外なほど伝統の延長線上にあります。
第1曲は曲頭のモチーフを絶対的な音高を保持しながら単純に示すことを繰り返し、その単純さに複雑さをカモフラージュするためにはブラームス的な拍ズラしを用いている(弱拍が強拍に聞こえるように、その部分にヴァイオリンのピチカートを置く)のですし、第11曲前半部や第16曲、第20曲も類似の手法によっています。第2曲、第5曲、第19曲は古典的な舞曲で、第5曲はタイトルも「ショパンのワルツ」、第19曲は「セレナーデ」とタイトルが付されていさえします。第12曲は当時の大衆音楽的なリズムを持ちますし、第6曲、第8曲(パッサカリア)、第14曲の書法はバロック的です。およそ、当時考えられるだけの伝統的技法を網羅しつつ作品が仕上げられていることには、よくよく目を向けなければならないのだろうと思います。

「月に憑かれたピエロ」のスコアから読み取れる記譜は、洋楽的記譜法が必ずしも、たとえば能の謡のゴマ点的記譜法より優位に立つとは限らない・・・書き表したいものによっては制約が大きい・・・点を浮き彫りにしています。無調とは言いながら確かな旋法が内在する各曲で、記譜上は同一音高でも、音楽の歌い回しからは音程を上寄りないし下寄りにしなければならないものもあるかと思いますし、聴くと実演はそれを反映しているのですが、これは書き表せません。後年十二音技法を確立したところから推しはかれば、シェーンベルクはこのことは「常識」程度にしか考えておらず、楽理上明確にする必要性は感じていなかったのではないかとも想像出来ます。言葉のリズムを保持することにも執拗にこだわっていますが、それはどんなに単純なものであっても(言語はモーラという偶数拍単位に集約される傾向があることが音韻上明らかになっていますし、「月に憑かれたピエロ」で扱われる言語も例外ではないことが明確に聴き取れるのですけれど、それにも関わらず)変拍子を噛み合わせなければ表示出来ない点、シェーンベルクたちの時代までの記譜は、まだ明記されなければならなかった「拍子」の束縛から自由ではありません。それは、彼の弟子ウェーベルン作品以降の楽譜よりも読譜を容易にしている面もありますけれど、後輩たちが乗り越えた制約からはまだ逃れていない、二十世紀音楽のプロトタイプの段階にあることは、あらためて認識されて良いことかも知れません。

音楽作法についても、同時期の作曲家たちとくらべて特異な逸脱があったわけではないことは、作品21を付された「月に憑かれたピエロ」と比べると、作品20の「心のしげみ」がストラヴィンスキーに、もっとあとの時期の作品41である「ナポレオン・ヴォナパルトへの頌歌」がショスタコーヴィチに類似した響きを持つことからも判明します。

そんな中で、「月に憑かれたピエロ」が特別な色合いを放つのは、やはり、集約された伝統の響きの上に、イントネーションは確定しながら音程は不定の浮遊する言葉が与えられたことで、二十世紀初頭的な意味合いからは、他の誰がとった書法よりも鋭敏に時代の暗さに肉薄し、今日的には、束縛されていた精神が初めて解放された不安の初々しさを明示してくれる鮮やかさがちらり、と光ってみせるがゆえのことなのでしょう。

シュプレヒシュティンメは、まずは記譜された音高にこだわって鼻歌のように練習してみて、最終的にはそこから解放されるように仕上げを進めて行くのが普通なのでしょうか。クリスティーネ・シェーファーがブーレーズらと録音したものからは、そのような音調が聴き取れます。シェーンベルクの注意書きには最も忠実なのかも知れません。

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背景を演出する器楽は、シノーポリがルイーザ・カステラーニと残したドレスデン・シュターツカペレのメンバーによる録音の方が様式感が明確です。

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シェーファーの演奏はオリヴァー・ヘルマン監督によりグロテスクなイメージのなかにシェーファー自身が登場する映像になっており、DVDで見ることができます。

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この作品は本来は女優のアルベルティーネ・ツェーメが注文したもので、1912年10月16日にベルリンのコラリオン・ザールで初演されたとのことです。
「熱狂的な喝采を送る若い人々もいたが、ほとんどの人たちは憤りの声を上げていた」
と記録されています。(フライターク『シェーンベルク』訳書p.126)

女優さんによる演奏は、2010年7月に大井浩明さんがピアノ単独演奏で女優の柴田暦さんと共演した際に拝聴しましたが、大変感銘を受けました。最近では内田光子と仲間たち、が、ドイツの有名女優さんとの共演で演奏した映像がBSで放映されたのを拝見しました。

シュプレヒシュティンメについてのシェーンベルクの記述の翻訳はいくつもあるかと思います。前掲書には載っておらず、シノーポリ盤添付のリーフレットにある、次の部分が、シェーンベルクの意図をもっとも良く物語っているでしょう。

さらに一般的な注釈として、次のことに留意すること。

演奏者は、この作品において各々のテキストの意味から、個々の曲の雰囲気や性格をことさらに描き出そうとしてはならない。作品の意味は、唯一音楽から生み出されるべきなのである。作者にとってテクストにある情景や感情の音画的な描写が重要である場合には、それはすでにスコアに組み込まれている。もし言葉による感情表現の要求が生じても、作者が求めていないそうした要素は、付け加えるべきではない。演奏者は、この作品においては、付け加えるのでなく、音楽から何かを汲み取ることを課題とするのである。

・・・これは彼の尊敬していたマーラーが抱えていた後期ロマン派的な尊大さとまったく同一の尊大さであることも、見落としてはなりません。

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