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2012年3月11日 (日)

一期一会〜「勧進帳」

日本から一歩も出たことがないにも関わらず洋楽育ちでございますので、洋楽での体験でしかお話できません。
協奏曲なる演目の数々がございまして、これは18世紀後半以降に作られたものはみな独奏者が難しいことを弾きまくる一方で伴奏するオーケストラは暇ですので、独奏者のアクロバットをのんびり見物することが出来ます。(*1)
私も所属していたアマチュアオーケストラで、ある有名な協奏曲を、ある有名な独奏者Eさんとご一緒することになりました。独奏部も技術的にそんなに難しくはなく、カデンツァ(*2)以外はちょこっと頑張って練習すれば素人でも弾けるものではありました。私は子供の頃ラジオでその曲をEさんが弾くのを何度も聞いたことがありました。そんなに難しい曲ではないにも関わらず、聴くたびにいつも間違うのです。で、Eさんと共演することになって、内心、「けっ!」と思っておりました。
ところが、Eさん、「緊張するから」とぶっつけ本番一度きりで、しかもラジオで数度聴いた時とは違って一音も間違うことなく、その上過去聴いたどんな演奏よりも気迫のこもった、それこそ今出した音がホールのどこに当たって返ってくるかが、バックで演奏している私の眼にもしっかり見えるという驚異的な演奏をなさったのでした。その直後、Eさんは救急車で病院に入ったと、あとできかされました。・・・ではなんでラジオでも流された過去何度ものライヴでは間違いばかりやっていたのか、にはいろんな背景があるとも承ったのですけれど、その話は省きます。
一方で、超名人ながら日本では知られていないかたとの共演の際は、私は前にもいちど共演したことがあるので、なんとかその方が日本でも有名になれますように、と、気合いが入って伴奏に努めたのですけれど、本番だけが何故か独奏はぼろぼろよれよれで、お客様に
「なんだあの人は」
と言われてしまった残念な思い出もあります。これは、合間に日銭を稼いでいる最中、好きだけれど日本でしか食べられないんだ、と協奏曲本番の数日前に生ガキを食って当たってしまっていたのだそうです。

ステージの一瞬は、とくに技を披露すべき人にとって、いかに恐ろしいものであるか、を、この二つの思い出からだけでも強く感じております。

*1:ちなみにそれ以前の創作でも声楽の伴奏だと似たようなことが言えます。
*2:曲の終わりの直前に独奏が持てる技術のあらん限りを伴奏なしでお客様に披露する部分です。


Knjincho で、洋楽の話で始めておきながら、何故か「勧進帳」なのであります。

歌舞伎も大好きなのですが、サラリーマンにはなかなか見に行くチャンスがありません。で、「勧進帳」はナマを見たことがありません。

いまは映像での鑑賞もたやすくなって、中学校でもDVDで授業中に「勧進帳」を全部見られたりするんだそうです(亡妻から聞きました)。

私は、NHKと松竹が協力して製作した歌舞伎名作撰のシリーズで、平成9(1997)年の市川團十郎(十二代)の弁慶・尾上菊五郎(七代目)の義経・中村富十郎(五代目)の富樫の映像を2004年に発行したもので、ようやく全編を見ました。
小さい頃、白黒テレビで放送された七代目梅幸の義経を見た印象が何故か強く残っていて、それしか覚えていませんでしたので、新鮮なのにとても懐かしい気がしました。

筋立ては日本人なら誰でも知っているし、珍しくも何ともないと一方では思っていましたが、その後、七代目幸四郎・六代目菊五郎・十五代目羽左衛門の昭和18(1943)年の映像も「貴重だ」とのふれこみに魅かれて入手して眺めているうち、とくに七代目幸四郎といまの團十郎さんの弁慶の違いが気になり出しました。比べてみると、平成9年の團十郎さんの弁慶は、前半がとってもおとなしいのです。
それが気になり出して見ると、七代目幸四郎の映像のほうは、演技がみんな当時の時代劇と共通していて、より親しみが持てるように感じられてきました。知る人ぞ知る弁慶役者さんだったそうだから、力量差なのであって仕方がないのかな、と思い込んでおりました。

ですが、たちかえってもういちど考えてみると、「勧進帳」は能の「安宅(あたか)」をベースとしているのはまた周知のことでして、台本を見比べましても、「安宅」のことばがかなりの割合でそのまま採り入れられています。そこを出発点にすると、七代目幸四郎の後半の舞(延年の舞)は曲線的で、能の舞とは全く違います。歌舞伎踊りになっています。これは、團十郎さんの平成9年のほうが、むしろ能の要素と歌舞伎の要素を適度に溶け合わせているように見えて仕方なくなりました。
これは、團十郎さんの演技には(収録された日の演技でそれが成功したかどうかは別として)なにか意図があるのではないだろうか、と疑い出したのです。
きっかけは「それは能的な演技なのではないか」との疑問でしたが、これ自体は誤りでした。

ちょっと探してみましたら、團十郎さんが青山学院大で集中講義したときのお話をベースにした本が出ていまして(『團十郎の歌舞伎案内』PHP新書、2008年〜役者さんがお書きになった歌舞伎入門では最も優れた本だと、私は感じております)、いくつか、ああやっぱり、と得心させられるおことばが目に入りました。

「勧進帳」にはいくつかの山場があります。その最初のほうのもののひとつが勧進帳読み上げの場面です。ここで、本当は偽物の勧進帳を弁慶が読み始めるところを富樫が覗きに行き、気付いた弁慶がハッと構えて富樫との見得(天地人の見得)になります。
七代目幸四郎は、昭和18年の映像で、この見得のあと、富樫のほうに勧進帳を差し出して、つつっ、と前に出ます。
いまの團十郎さんは、それをやらないのです。
やる、やらない、は、まずこの箇所の弁慶・富樫、そして後で笠を深く被って控えている義経三者の心理に対する役者さんたちそれぞれの解釈が絡みます。團十郎さんの解釈は、こうです。

関守である富樫が、その勧進帳を読む弁慶の様子をうかがうんです。弁慶はそれにハッと気づいて本物の勧進帳ではない、何も書かれていないその巻物を隠す。『のぞくな、見せないぞ』といった趣になる。ですがこれだと、人間として”小さい”ように思うんですね。/弁慶は、決して富樫に巻物をのぞかれてバレたら困るからあわてて隠すのではない、富樫のほうも、のぞこうとしているのではない、とわたくしは思います。富樫からすれば『義経とはどういう人物なんだろう』と思いを馳せている。勧進帳が本物か偽物かではなく、その向こうにいる義経が本物かどうかを見ようとする。ですから弁慶もハッとなって『何をするんだ』という動作になる。勧進帳の真偽を乗り越えた気持ちで、あの場面はやるべきだと思います。/それにしましても、富樫はどの瞬間に座っている強力(ごうりき・・・山伏の下働きの荷物担ぎ)が義経だと悟るのか。(後略)」(『團十郎の歌舞伎案内』197-198頁)

この線で行けば、弁慶のいちばんにすべきは「強力が義経だとさとられてはいけない」ことなので、安宅の関を逃れるまでは平静でいなければならない。
平成9年の映像が収録された舞台では富十郎さんの富樫は・・・これは私は富十郎さんが大好きでしたので大満足の演技ではあったのですが・・・團十郎さんの解釈とそこからくる演技とはかみ合っているとは思えず、効果が半減しているように感じます。でも、そういうことが起こるのが、本来舞台というものでしょう。収録された、固定された映像の難しいところは、まさにそれが「固定されてしまう」怖さだ、と、つくづく思われました。

團十郎さんが、解釈は変えないまでも演技は平成9年映像の通りに固定しているわけはなかろう、というのが次の疑問でしたが、これは幸い2007年パリ公演「勧進帳」で團十郎さんの演じた弁慶がDVD化されているので簡単に解消できました(YouTubeに團十郎襲名披露時の勧進帳の映像も見つけましたが、これもまた違います。このときの富樫は先代の勘三郎さんです)。こちらでの團十郎さんは、七代目幸四郎の演技も充分ご自身の体の中に入っていることをはっきり見せてくれます。パリ公演での演技は、日本人ではない相手に分かりやすく、との意図もあったのでしょうか、むしろ七代目幸四郎のものに似ているのです。しかしながら先ほどの「天地人の見得」はご自身の解釈をしっかり守っていらしたり、舞い方もご自身のものになっていたり、と、ベースはベース、応用は応用、の線引きがきっちり出来ていることを併せて知らしめてくれます。

じつに、本来、舞台は演じ手にとっても観客にとっても、「一期一会」なのだなあ、と強く思い知らされた<映像鑑賞>体験をさせていただけたのでありました。


「勧進帳」はディテイルや背景に、非常に注目すべき特徴をたくさん持っていて、それを豊富に覗き見ると楽しみがつきません。

ですがそうでなくとも長々としがちな私です、そこは若干のご紹介をし、参考書籍をお読み下さるお勧めまでに留めます。・・・でもその若干のご紹介が、ここまでくらいの分量になるかも知れません。

「勧進帳」を初めてじっくり見たときに一番驚いたのは、台詞まわしがメロディ・・・節というべきものになっていること。これは最初の富樫の名乗り(歌舞伎ではツラネというのでしょうか、私には正確に区別が出来ません)でハッとさせられたのが第一でした。歌舞伎は舞台で幾つか拝見しておりますので、それまで特段意識したことがなかったのですけれど、富樫の名乗るのを聴いていましたら、これはもしかして定型とでも言うべきものがあるのではないか、と思われてきた。それで数種類CDを聴いて確かめてみましたら、当然役者さんによって色合いが違う。でも、節は同じなのでした。畏れ入ってしまいました。セリフが節になっているのは伝統芸能の中でも、勧進帳がモデルとした「安宅」と対照してみるだけではっきり分かる、歌舞伎ならではの特徴、と思い知りました。

「勧進帳」は長唄も最初から最後まで起伏が明確で、一編の音絵巻のようです。弁慶の舞の部分は歌舞伎の舞の調べが巧みに採り入れられているのを、私のような素人でもあざやかに聴き取ることが出来ます。能の舞の節が同じものを使い回すことを基本している点は前に紹介しました(【音を読む】同じものを使い回す(日本の能) http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-6a77.html)。その節が、「勧進帳」後半、弁慶が舞うところで聞こえてきます。ところが、歌舞伎で使っている笛は能のものとは違うはずですから、これは能の模倣なのですよね。いったいどんなふうに「譜面」にして、これほど巧みに模倣できたのか、いずれ是非知りたいと思っております。邦楽をなさる方は、ヘンに洋楽の音符で記譜することをお考えにならず、「勧進帳」の手法をご研究なさったら良いのではないでしょうか?

で、素人で気付くのはここまでですが、「勧進帳」の音楽が杵屋六三郎の手によって作り上げられたとき、その試演を聴いた若き日の河竹黙阿弥が「ぞっとする程よく思はれた」と言っています。「勧進帳」の音楽は、当時(19世紀前半)の日本音楽を結集した上で長唄に咀嚼された、大変なものなのだということを含め、その素晴らしさの秘密は、渡辺保『勧進帳----日本人論の原像』(ちくま新書 024 1995年 43-48頁)に詳しく記されています。
渡辺著は「勧進帳」の台本の諸処にある工夫について第四章まるまる1章80ページを割いて丁寧に教えてくれる本で、「勧進帳」と、その拠り所となった「義経記」「安宅」との関係も、非常に分かりやすく、しかもごまかしなく書かれていますので、是非お読みの上「勧進帳」の舞台なり映像なりをお楽しみ頂ければとも思います。(渡辺氏の、昔見た名優への思い入れもあって、今の役者さんも贔屓したい私などは戸惑う部分もありますけれど、そんなところも含めて面白くてよい本です。ただ、値段は普通の新書ですので680円でおトクですが、いまは新刊では出ていないのかな? 古書ではわりと出回っています。)

対比しておくと面白い能「安宅」は、DVDで入手できる映像はありません。謡だけであれば観世流のCDがあります。勿論囃子が入っていませんが、歌舞伎とは違う能の緩急をつかむ上では聴いておいたほうがいいのかな、とは感じます。ただし、話の上で重要な役割を果たすアイ(狂言方のひとが務める語り主体の、能の中で言えば息の抜ける部分)は観世のCDでは共通して抜けておりますので、それが残念です。「安宅」はアイにストーリー上たいへん重要な役割やセリフを持たせてありますから、せめてテキストは参照しておきたいところです。古典文学の全集や集成には大抵収録されています。「安宅」にはあって「勧進帳」では省かれているもの、またその逆、についてもまた渡辺著で理解できますが、いまふたつだけ私が強い印象を受けた部分を採り上げるなら、

・「安宅」は最初に義経一行が関の前で不安にかられ、そこで初めて弁慶が義経を強力に変装させる、すなわち、最初から緊迫感いっぱいに始める。それに対し「勧進帳」は不安の部分は大幅に省略することで、始まりはいくぶんゆるゆるした印象を客席に持たせる工夫をしたように見える。

・「勧進帳」にある「山伏問答(勧進帳読み上げだけでは信用しなかった富樫が、山伏の扮装などについて弁慶にそのもつ意味合いを糾問する・・・講談から採り入れられたとのことですが現行講談にあるかどうか私には突き詰められませんでした)は「安宅」にはない。「安宅」では勧進帳読み上げだけで関守たちは恐れをなしてしまって義経一行を通してしまう。このことには室町期と江戸期の山伏に対する畏怖の念の違いという歴史・民俗的な意味合いもあると思われる(渡辺著でも触れている)。そのことは措いても、この部分には台本の工夫の面白さがある。「勧進帳」の「山伏問答」の、富樫が問う内容は、「安宅」では先に勧進帳読み上げの前に置かれる「ノット(呪詞〜関を越えたら富樫たちが殺すと言っているので、潔く殺されよう、という名目で最後の勤行を始める・・・内容はことばは上品ながら「お我々山伏を殺したらおまえらは確実に地獄行きだなぁ、ザマぁみろ、みたいな鈍い文句です)」で謡われていることを中心に組み立てられている。翻って、「勧進帳」では「ノット」から「山伏問答」に移されることになる項目を注意深く省いている

くらいにしておくべきでしょうか。「安宅」と「勧進帳」は、それが対象としたお客の時代と質の違いを随所で暗示している点で、非常に興味深い対照をなしていますから、そちらの方面からのツッコミがもっとたくさんあってもいいような気がします。

で、「山伏問答」で富樫が問い弁慶が答える山伏の出で立ちの具体的な姿や意味合いは小峰弥彦『弁慶はなぜ勧進帳を読むのか』(NHK出版生活人新書 2008)に載っています。ただ、この本はタイトルの問いに直接答えているとはどうも思えません。

まず「勧進」とは何なのか、それが東大寺とどう結びつくのか、どうして「勧進帳」などというものがその「勧進」という行為に結びつくのか、をストレートにそれだけで記したものはありませんが、中世における勧進の意味をきちんと突き詰めた本は幾つかあり、そのなかで出版は最新(収録論文はずっと以前のものですが、いまでも意義深いものがあります)なのは、中ノ堂一信『中世勧進の研究』(法蔵館 2012)です。
実はこの勧進ということばは室町時代以後だんだんに演能の催しの際に使われていくようになるのですが、なぜそうなったか、を巡っても中ノ堂著が重要なヒントを与えてくれます。そちらに話が行ってしまうとますます長くなるので、今回はやめておきます。

なお、弁慶が読んでいる勧進帳の文句は当然創作されたものですが(だれが何を元に作ったのでしょうね?)、東大寺再建の勧進がなされたおりの勧進の中心であった重源の手になる勧進帳の文は残っているそうです。印刷された史料に行き当たるゆとりが無くて残念でしたが、Wikipediaにいちおう掲載されていますので、興味があったらご覧下さい。(ただし、この記事の、後白河法皇による重源大勧進任命は事実ではありません。中ノ堂著参照)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A7%E9%80%B2#.E5.8B.A7.E9.80.B2.E5.B8.B3

毎度のことながら、だらだら長くなってしまって、本当にスミマセン。

 

これは梅幸さんの義経ですね。これではない舞台の放送をみたのだと思うのですが・・・ 昭和36年の由。

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