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2011年9月18日 (日)

「第九」終楽章オーケストレーション(Seit umschlungen… 595-654小節):ベートーヴェン

ベートーヴェン「交響曲第9番」の終楽章、声楽が入る部分のオーケストレーションは、歌詞の意味に寄りかかるのではなくて、意味を強調する・・・あるいはドイツ語をあまり知らない人でも翻訳を手にすれば今どんな意味の部分を歌っているかが分かりやすくなるようにする・・・ために、大変な工夫がされています。そこを知っておくと、合唱する人たちにも役に立つことがあるのではないかと思っております。

声楽が参加してからの、後半の幕開けとなる Seid umschlungen(595小節)から über Sternen muß er wohnen(654小節)について、概略をご紹介しておきます。

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ご承知の通りのことですが、終楽章ではトロンボーンはこの箇所になって初めて加わります。ベートーヴェンにおいても第5や第6(田園)の例外があるくらいで、「第九」作曲当時はトロンボーンが交響曲に参加することはまだあまりない時期だったと思われますが、「第九」終楽章は声楽が加わるため特別に参加することになったのだと考えてよいのでしょうね? でも、なんでこの部分から参加することになったかのほうが、もっと大きな意味がありますよね?
ここより前の部分にも、神々だとか天にあたる語彙は登場するものの、この箇所以降で初めて、詞は神そのものに眼と心を向けます。トロンボーンの起用は、ですから、当時もドイツ・オーストリアの宗教音楽では歌を補強するためにトロンボーンを用いていたことと無縁ではない、ということになります。
極端に言っても差し支えなければ、トロンボーンの登場=この楽章に於ける「神の降臨」なのですね、って、これじゃ漫画か。

595-610小節:
「(数えきれないほど多くの)みんな、抱き合おうではありませんか! 全世界に向けてこのキスを!」

なんですものね〜、いまの人の感覚だと漫画的かもしれませんね。。。
でも、みんなの自由のためには心の共有が大切、というのが19世紀初頭の精神だったのだと思いますし、それは軽んじられない・・・と脇道にそれるのはよしましょう。

男声のユニゾンはトロンボーンとバス(自筆譜では1本にまとめて書いてあります)で、モーツァルトになぞらえればフリーメーソンちっくに強い呼びかけをする(595-602小節、611-617小節)のですけれど、ベートーヴェンはその呼びかけを女声に拡げてエコーさせます(603-610小節、618-626小節)。ここはトロンボーン以外の金管楽器は(通常の世俗的管弦楽曲では木管楽器と一体化しているホルンも、この楽章では金管楽器としてとらえらえていて、トランペットとともに)すべて沈黙していることに注意をしておかなければならないと思います。ついでながら、それまでのト長調が、618小節からは1度低いヘ長調に和らげられている点も留意が必要でしょう。(これがあるので、その前のBrüder!からの男声斉唱で表現を既に和らげてしまう演奏は何らかの誤解があるのではなかろうか・・・フルトヴェングラーのルツェルンでの1954年第九など・・・と考えております。)

611-626小節:
「仲間たち! 星の彼方にこそ、神様は住んでいるのかもしれませんよ」

でも、オーケストレーションに星が出てくるのは、この一連の部分(595-654小節)の最後の最後になってからです。

627小節からはテンポがさらにゆったり指示をされて、ト短調に転調し、弦楽器ではヴァイオリン2部とコントラバスが沈黙し、木管セクションではフルートは643小節のフォルテシモまではずっとユニゾンとなり、その箇所までオーボエが鳴ることは全くありません。この部分は20世紀の作曲家ですとオリヴィエ・メシアンの木管楽器の用法に非常に似た響きがするなぁ、と実感しておりますが・・・理屈で追っかけてみてはおりません。ただ、鳴り響き方は時代を考慮すると非常に「新しい」ものである気がしていて、調べる価値もあるかも知れないな、と思ってはおります。
トロンボーンは最後(643小節から)のフォルテシモに至るまでは、weltとzeltという語の来る箇所でディナミークの補強のためにフォルテで朗々と和音を響かせるにとどまっています。

627-646小節:
「ひざまづきませんか、みなさん? 神を感じることは出来ますか?(私語:でいいのかな?) 世界よ!(私語:・・・と切り離されて訳されるのが通例ですが違和感があるんですよね) 星々の彼方に神を見いだしましょう! 星々の上に、まちがいなく神はまします!」

フォルテシモまで盛り上がるこの箇所(627-646小節)で楽器を上記のように減らしていながら(コントラバスはこの区間では最後のフォルテシモまでまったく音を出しません!)、次の箇所(647-654小節)では、なんと、ホルン・トランペット・ティンパニを省いた全編成(フルートも和音になり、オーボエ、トロンボーン、ヴァイオリン2部、コントラバスも加わります)でピアニシモを鳴らす、などということには、どうでしょう、演奏なさる方は本当に全く違和感はお抱きにならないのでしょうか?
絵的には646小節までスッキリしていたのに、647小節からは低空(スコアの配置では弦楽器が来るところ)になんだか雲が立ち込めて、上空(木管楽器)がその2小節後からなんだかキラキラしている。印刷譜ですと四分音符で真っ黒けなんで、ちょっと上が重たいイメージになっちゃうんですけれど、ここの木管が星々なのでしょうね。でもって、その上にましますはずの神は描かれていない。この部分の自筆譜は現在見つかっていないそうです。別紙であとから付け加えたものだったろうか、と推測されているようです。

647-654小節:
「(ピアニッシモで)星々の上に、まちがいなく神はまします!」

星がリアルになるのは、やっとこの箇所になってからでしょう。

主観による錯誤につきましては、乞御容赦。

(付記)
627小節のフルートとヴィオラが最終の四分音符にはスラーで向かっているのに対し、同じ音型が5小節後で合唱と一緒になる時には四分音符はスタッカートになっていますね。スタッカートになるのは単純には言葉の都合であることはたしかなのですけれど、最初の器楽だけの時にスラーなのは、締めくくり(650小節以降)の朦朧とした音響を「結」とする「起」であるがゆえに、文脈的に首尾一貫させる狙いがあったのではないか、と、私は下衆の勘ぐりをしております。

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