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2011年9月 6日 (火)

「響」と「希」とクセナキス

「漢字の気持ち」という本を読み始めました。
いちばん最初に採り上げられているのが、「響(ひびき)」という字でした。

その説明のとりこになりました。

これは、もとはと言えば、
「ごちそうが置かれたテーブルをはさんだ人同士が、『ああだ、こうだ』と会話(=音)を交わしながら楽しく食事をしている情景を表して」いるのだそうです。

帰って来てから、ネットで探したら、こちらあたりが雰囲気が出ているような気がしました。
http://kobo-aoineko.com/?pid=19339207
http://tenkoku10000.seesaa.net/article/205609791.html

フォト フォト

本当に響き合った会話をするのには、でも、「楽しく食事」が先ではないんだよな、とは、毎晩思わされることです。子供たちと食卓を囲んでいて、やつらがあ~でもないこ~でもないと話しかけてくるのを、こっちはこっちで考え事をしながら上の空で聞いていると、
「ねえ、おとうさん、きいてる!?!?」
と叱られます。
ああ、いかんなぁ、と都度少しだけ反省はするものの、またすぐ忘れて、繰り返し繰り返し叱られる。これでは「響」きがととのった会話の成り立つはずもありません。

漢和辞典(僕の手持ちは小学館新選漢和辞典)の説明ですと、「響」の上半分の「郷」という部分には空気の流れる方向という意味があるので「響」と は空気に乗って流れる音だ、と説明されているのですが、これについても、『漢字の気持ち』ですと「もともとは『ごちそう+向かい合った人』が語源」とあり ます。ほんとうにそうなのか、裏を取りたくて、白川静『漢字の世界』(2冊)をぱらぱらとめくってみたのですが、分かりませんでした。まあ、せっかく素敵 な字解に魅かれたのですから、よしとします。

併せて思うことは、果たして、団員とその出欠の確保に一生懸命になっているような楽隊(そういうところがあるのでしたら)では、こういう意味での「響き」を共有できるのだろうか、なることです。
既知であるはずの「音楽=ごちそう」にたいして、「ごちそう」の香りや味わいに何の全体像も持たず、集まっても自分の目の前の「楽譜=お品書き 抜粋」にかじりつき、「楽器=お箸やフォーク」にしがみついている状況では、残念ながらやっぱり「共に味わう」なんて無理なんではなかろうか、と、疑心暗鬼でおります。

そこへ、『漢字の気持ち』が次に採り上げているのが「希」だとはまたこころにくいことでした。
こちらは、しっかりと織り込まれて隙間のない布を表す字だったそうで、隙間が「まれ」というわけですが、だからこそ「それでもなんとか向こうを見ようとする、その切なく願う」のぞみの意味も持ったのだ、とされています。

こういうものを読みながら聴いていたのがまた、こういう音楽です。

クセナキス "Terretektorh"
Terretektorh
(約15分)。

こういう音を聴いて最後にこれだけ拍手できる人って何だろう・・・と思われるかたも少なくないかもしれません。
心地いいか、と言ったら、不協和音(というより彼の作品はノイズに溢れていると言えば言えるのですが)とは暗いものだと感じる殆どの人にとってはそうではなかろうかとも思います。
実際問題として、この響きから音の虹を描くことは出来ないでしょう。

でも、この中に今日の私は無邪気な面白さを感じたのでした。

これ、最初はずっと一つの音(E)で3分くらい続きます。巨大な蚊がまとまってぶんぶん唸るみたい。それが、3分経ったあたりから、飛んで火に入って行 く。いままで群れになってたのが、最初に火を目撃したやつから喜んでひゅんひゅん飛び込んで行く。世間一般の蚊とこいつらが違うのは、火の中に入ってから も生きている。しまいには、もう、燃えている、というのとは違って、ひとつひとつの体が自分で光を出せる力を持って、またお空に飛び上がって行って、光の 雲を作るのです。
・・・そんなふうに聴こえるおいらはアタマがおかしい。
・・・「現代音楽」の聴き方としても、間違っているかもしれません。
帰宅してから確かめた唯一の拠り所は(事前にはほんとうに全く知りませんでした)、クセナキスその人が、この曲や他の彼の作品についてではなくって、古代音楽に託して言ったことだそうですが、
「それ(音楽をするという行為・・・聴くのであれ奏でるのであれ)は、動機のない子どもの遊びのようなものである」
なる、ひとつの要約だけでした。 (「美術手帖」1969年9月号所載)

なお、この作品、細かいことは分かりませんが、聴覚的な印象としては、野村誠さんがCD「せみ」のなかの「せみ 小倉」で展開している「しょうぎ作曲」に似ています。

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