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2011年9月14日 (水)

大井浩明さん POC#6 クセナキス 9月23日です

MAP(地図)はこちらに掲載。
http://bit.ly/qgz2Ar

いよいよ、今年のPOCが始まります。

その前に、9月16日(金)、片山杜秀さんが講師をなさる「E.サティ レクチャー・コンサート」でも演奏なさいます。

■E.サティ レクチャー・コンサート@日仏会館(恵比寿)
2011年9月16日(金)18 :30(開場 18:00)
日仏会館ホール - 東京都渋谷区恵比寿3-9-25 
http://ooipiano.exblog.jp/16793247/
講師: 片山 杜秀 / ピアノ演奏: 大井浩明
一般 1,000円、学生 500円 (日仏会館会員/無料) 定員120名
※事前申し込みが必要。電話(03・5424・1141)、または同館のウェブサイト(http://www.mfjtokyo.or.jp/)から。
《演奏曲目》ジムノペディ第1番~第3番、グノシェンヌ第1・3・5番、ジュ・トゥ・ヴ、ヴェクサシオン(部分)、薔薇十字教団の最も大切な思想、(犬のための)無気力な本当の前奏曲、ソクラテス(部分)+J.ケージ:チープ・イミテーション(部分)、シネマ (「本日休演」のための交響的間奏曲)

今年のPOCの初回となるクセナキスの回については、次の通りです。
2011年9月23日(祝)〜クセナキス全鍵盤作品(ピアノとモダンチェンバロ(#))
神田佳子(打楽器助演※)
《6つのギリシア民謡集》(1951)
《ヘルマ - 記号的音楽》(1961)
《エヴリアリ》(1973)
《ホアイ》(1976、#)
《ミスツ》(1980)
《コンボイ》(1981、#/※)
《ナアマ》(1984、#)
《ラヴェル頌》(1987)
《オーファー》(1989、#/※)
http://ooipiano.exblog.jp/16164549/

★曲目詳細 http://ooipiano.exblog.jp/16164549/
★チラシ http://ooipiano.exblog.jp/16592815/
★野々村禎彦氏による推薦文 http://ooipiano.exblog.jp/16672319/

《前売》学生2,000円 一般2,500円 《当日》学生2,500円 一般3,000円
    全5公演通し券 一般12,000円 学生10,000円 
    3公演券 一般7,500円 学生6,000円

【チケット取り扱い】
ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:39824
ヴォートルチケットセンター 03-5355-1280 (10:00~18:00土日祝休)
*3回券/5回券はヴォートルチケットセンターとミュージック・スケイプで入手可。
【お問い合わせ】
ミュージックスケイプ マネジメント部
tel/fax 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休)
info@musicscape.net
http://musicscape.net

クセナキスは知名度のわりに、その作品や考え方について日本語で読める手近なものを見つけられずにおります。
「美術手帖」1969年9月号(美術出版社)が特集を組んでいるのですけれど、記事は多くはありません。(これ以外は古書でも数万円と非常に高価なのです!)
https://www.kosho.or.jp/public/book/aimaisearchresult.do
(結果がリンクされていなかったら、クセナキス、で検索なさってみて下さい。)
ですので、私の頭でのクセナキス理解・・・と言うところまでも行ってはいないんですけれど・・・は、この時点の僅かな情報で止まっています。
ですから、そこから時間が先に進めることに、たいへんな期待を持たせて頂いております。

ただし、私は理屈以上に、クセナキスの築いたものの面白さのほうに単純に魅かれる思いのほうが強いのではあります。

建築にも携わったクセナキスは、音楽創作にも数学を思い切り投入した人として有名ですけれど、秋山邦晴さんはそれについて1969年当時に次のように解説なさっていました。

「数学をつかって、音の線状の組み合わせをつくりだしたり、多声的な積み重ねをこころみるだけでは何の効用もない。そこでクセナキスは物理学の<気体の力学>と同じように、<質量の概念(コンセプシオン・ド・マス)>をいう考えを根底にすえて、音を質量作用の運動エネルギーの状態としてとらえるのである。音楽は根本的に多音性のものだ。そうした多くの音をマッスとしてとらえ、ちょうど『音の雲』をつくりだすことを考えるのである。」(秋山邦晴「イアニス・クセナキス」前掲 美術手帖19669年9月号 36頁)

もっと本質的であろうこと・・・でもって、通でもなんでもない普通の私たちには<数学>という目印だけで目くらましさせられていること。
「神が消えてしまった現代では、数字が神の存在のように支配していると、ひとはいう。そしてたしかにインフォメーション理論だとか、サイバネティックス理論といった数学的論理的な思考や科学の領域からのアプローチが芸術にもおよんでいる。しかし現状におけるそうした方向にクセナキスは否定的である。それは科学者たちのこころみであり、テクノロジーの伝達には有効であっても芸術の新しい認識とありようをうみだしているものではないというのである。」(同前 53頁)

では、クセナキスが私たちに聞かせてくれるものはなんなのだろうか、というあたりが、大井さんの体躯からあふれ出てくるものによってびしびしと主観的に味わえるだろうことを、とても楽しみにしている次第です。

クセナキスの(1969年時点での)音楽の意味をめぐる諸点のまとめは、こんなふうになっています。
これだけだとなんやらよう分からん、ということになるのですが、文脈に由来する分からなさですので、訳語は置き換えず、原訳文の補注的部分も省略します。ちょっと眺めれば、これらは音楽の原点論だということが明確になりますので、充分でしょう。
1. 第一に、音楽を考え、それを作るものにとって欠くことのできない一種の行動。
2. 個性的な核とその実現
3. 想像的な潜在性をもつ音の定着
4. それは、規範的である。(以下略)
5. それは(中略)ただ、存在するだけで、催眠術をかける人の水晶玉のように、精神的、知性的な内部変化を起こさせる。
6. それは、動機のない子どもの遊びのようである。
7. それは、神秘的な禁欲精神である。したがって、悲しみ、喜び、愛情、境遇の表現は、きわめて限定された個人的なケースである。
(副題「クセナキス<メタ・ミュージックに向かって>論文解題 山内一・本野清子 訳編 前掲「美術手帖」61頁)

クセナキスの「面白さ」は、1〜5のそれまでの音楽創作演奏と通底するものが6、7で完全に峻拒されているところにあるように感じてきたのですけれど、果たしてそれで合っているのかどうか・・・23日、確かめに伺いたいと思っております。

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