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2011年9月27日 (火)

「第九」p(ピアノ)は<弱い>音にあらず~1、2楽章をめぐって

終楽章オーケストレーション(Seit umschlungen… 595-654小節)


終楽章の、声楽が入ってからのオーケストレーションで面白いことは、まだいくつもあるのですが、少しだけ、別の楽章の器楽部分について述べたいと思います。

昨日この曲の練習に参加して、帰りに指揮者先生と二人になったので、こんな雑談をしました。

私「耳が聞こえなかった人の書いたもんじゃないですね」
師「聞こえてたんだよね、外の音じゃないから」
私「演奏するほうが<聞こえてない>んじゃ、作曲者に怒られますね~」
師「あはは~!」
(一部・・・だいぶ凝縮)

声楽が入ると実際には困難さが増すのですがごまかしもききやすく、結果として前3楽章から終楽章前半まではいい演奏なのに、以降で台無しになってしまっている演奏も少なくないかと思います。声楽が入った後については指揮者が責任放棄しているのではないか、とさえ感じることもあります。
ただし、そう感じてもよいのは、器楽だけの1~3楽章がきちんと(フォルムと響きの総体をオーケストラが把握して)演奏されている場合に限るでしょう。

日本人が演奏したものでも、案外、昭和の頃の録音を聴くと、そんなことはないのです。最近のほうが、「はてな?」と思わされます。しかも、器楽だけの先行楽章がよろしくない。

世の中に「千人の第九」・「市民の第九」みたいなのが恒例になってしまって、会場の大規模化や参加者の素人化を促進し、どうにも美しくない器楽楽章の演奏が横行する結果を招いているのではないか、と危惧しております。
もともとは若輩が振ることを一切許されなかった(新進の頃の山田一雄がやむにやまれず指揮して、師と仰いだローゼンストックに破門されたエピソードが、山田氏の自伝に述べられています)くらい大事にされていたのに、いまではベートーヴェンの交響曲の中で最も数多く演奏されるものとなってしまい、結果的に取り組みの甘さを生んでしまったのだといえるでしょう。

「第九」はいろいろな点でベートーヴェンの交響曲の中では異例の作品(声楽が入り、そのため終楽章がソナタ形式ではなくなったこと・・・だけではありませんで、成功だったはずの初演の後、パリでアブネックが指揮した例外を除き、ヴァーグナーが活発に取り組むまで長くかえりみられず、復活の後はオーケストレーションの改変がまかり通ってきた、というあたりが外面的な事象ですけれど、作品そのものの内部にも「異例」が盛りだくさん)なのですが、今は括弧書きしたことくらいにとどめます。
少しだけ付け足すなら、第1楽章のみが、10年も先立って書かれた第7・第8、さらに遡って第5あたりまでの技法を明瞭に採り入れているのですけれど、第2楽章以降には基本的に交響曲から継承した技法は用いられていません。技法的にいちばん近いのは、弦楽四重奏曲の数々かと思うのですが、これは「第九」と同時進行で作られています。

なんて綴ってしまいながら
「おまえなんかの蘊蓄話は、どうでもいいんだよ!」
と自分で自分を叱っておかなければなりません。

演奏にあたって、絶対に気をつけておかなければならないことを主眼にすべきなのでした。

「第九」の器楽楽章、とくに第1・第2楽章は、動きの活発な中に、効果的なp(ピアノ)を配置しています。(第3楽章で留意しなければならない点はちょっと変化します。)これが、「交響曲」とタイトルづけされたベートーヴェン作品で特異なことの大きなひとつです。まだ聴覚が機能していた第8までの創作時期に、ベートーヴェンはこうした技法は交響曲に用いてはいません。
フォルテからにわかにピアノにディナミークを変化させる、ということならば勿論やってきているのですけれど、以下のようなものは初出です。

第1楽章冒頭
第1楽章冒頭:ppで開始し、長くその状態を持続する

第1楽章途中(427-452小節)
第1楽章途中:pで息の長いメロディを、単発ではなく、ヴァイオリンと木管を絡ませて、ピンと張った糸のように配置している
(第4交響曲の第2楽章を連想しては間違いです。)

第2楽章数ヶ所(296-329小節を例示)
第2楽章数ヶ所:弦楽器ないし木管楽器をエコーとして重なりあわせることによる膨らみの創造

pはもちろん、音量の大小で言えば小ですし、p(piano)のイタリア語本来の意味でも平らな状態や慎重さを表すものであるため、考えることが大変に難しいのではありますけれど、di primo piano で「とっても重要な」なる意味が生まれるくらいですから、とっても重要に考えなければなりません。

pianoが、日本語で言うところの「弱い」すなわち力の無い音になってしまっては、もともこもないのです。

上の3ヶ所については、まず、共通したコツがあります。
演奏するにあたって、絶対に体を緊張させないこと。普通に考えても、瞬発的な対応をしなければならないとき、体がこわばっていたら、その分動きが重くなって、望まれる対応が出来っこないのは、明白です。

そのうえで、3ヶ所それぞれにまたコツがあります。

第1楽章冒頭については、管楽器は口(アンブシュア)がこわばった状態から破裂するように吹き出すことは絶対にしないこと・・・と構えるとなおさら出来なくなりますので、破裂しそうなら、その瞬間を無音にする工夫をすることです。言葉で言うより、工夫なさってみることのほうが簡単にご理解頂けると思います。破裂の瞬間を微分的に減らしていくと、結果として、柔らかな入りのコツがつかめてくるかと思います。弦楽器は、共通のコツのままです。

第1楽章のヴァイオリン旋律部は、フォルテで弾くつもりで全く構いません。弓圧を弦にかけさえしなければいいのでして、その際もちろん、左手は各音程をしっかり押えている必要があります(握りしめるのではなく、体重を乗せてやります)。フォルテに聞こえてしまうか、指揮者さんが「大丈夫、ピアノになっている」とゴーサインを出してくれるかどうかは、音がよれよれになっていないかどうかで決まりますし、この箇所はよれよれになっては台無しです。掲げた音のサンプル例のバランスを、ぜひイメージとして大切に持て頂きたく思います。

第2楽章のエコー部では管楽器は第1楽章冒頭と同様のアンブシュアによる準備が肝要になります。弦楽器は硬直したらおしまいですし、音量を小さくする時往々にしてやってしまう「弓の毛のかさかさ音」を聞かせてしまったらみっともないので、左手をしっかり押えて弦がきちんと振動する状態で右手を腕の重みと最小の(動き始めさせるための瞬発力として、だけの)筋力のみで操らなければなりません。

技術云々をしたいわけではありません。
持っている技術を上げようとすると、それだけで膨大な時間がかかります。
持っている技術だけでもなんとかしなければならないときに、最小限念頭に置けばいいことを申し上げました。

なによりも、最初はミクロに、
「この箇所は、こういうイメージで音を出すのがふさわしい」
という公式を明瞭に念頭に置くことから始めるべきです。
イメージがなかれば、普段どんなに「技術」を誇る人でも、音楽の像を破壊します。
ミクロが実現できたら、それを徐々にマクロに積み重ねていくことが、次ステップです。
いくつかの作品で、そんな積み重ねを経験すれば、マクロからミクロへの逆コースをたどることが出来る可能性も、どんどん広がっていくことと思います。

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