« 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第2章編 | トップページ | 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第4章編 »

2011年8月28日 (日)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第3章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


「もし建築家が尊敬に値しない人物であるならば、建物も決して高貴なものとはならないであろう」
(佐藤達生・木俣元一『大聖堂物語』引用の12世紀フランスの言葉、出典不明。河出書房新社ふくろうの本 2000 p.47)

まさに高貴と反対の行為でありますが・・・
減糖者親書『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』第3まいります。
めんどうくさい、が頂点に達するような部分はリストアップを省略します。

《第九》はすでにロマン派の音楽だったと見てもよいでしょう。ですが、実際に作曲したり演奏したりする私たち楽隊にとっては、レッテルなどどうでもいいところがあります。(92頁)
【参考】
楽隊は作曲しません。
「派」ではありませんが演奏者には(自分がどう演奏を設計するかを考える上での)レッテルはそれなりに重要ではないのかしら。
聴き手がどうでもいい、というんならそれはそれでよいかも知れませんけど。

ロマン派時代の音楽家・・・ヨハン・シュトラウス(略)(92頁)
【参考】
視野の狭い私には、ワルツ王ヨハン・シュトラウスをロマン派の音楽家として取り上げた音楽史の教科書や副読本は目に入っていません。あるのかな?

(ロマン派の)語源はRoman、つまり「ローマの」です。(93頁)
【参考】
ラテン語が方言化したロマンス語系言語がゲルマン系より早く文学で活躍したから、ではありませんでしたっけ?
それにしても・・・まあいいや。

教会や貴族が主要なパトロンだった時代の音楽は、ゲゲゲの鬼太郎が活躍するほどお化けに寛容ではありませんでした。(94頁)
【参考】
ゲゲゲの鬼太郎は当然オペラでは活躍しません。が、キリスト教的題材がバロックオペラに用いられた例はあまりないんじゃないでしょうか?(そちらはたいていオラトリオになるから。)バロックオペラの台本はギリシャ神話やローマ史劇に題材をとったものが圧倒的に多いですが、悪魔なら、たとえば『聖アレッシオ』(ランディ作曲)・『アルミード』(リュリ作曲)の台本なら悪魔が登場します。ヨンメルリの作曲した『アルミーダ』ですと幽霊が登場するそうです。寛容だったかそうでなかったか、なる問題は無いと思うのですが。まあ、『オルフェオ』を題材にしていれば、亡霊はもれなく現れますけれど。(戸田幸策『オペラの誕生』東京書籍1998〜平凡社ライブラリー2006 で網羅)
魔女狩りのお話自体は、長い期間続いたようなので肯定的に読んでおきます。ただ、それがオペラの台本内容のどの程度の制約条件になったかは明らかではないとしか言えません。

・(メンデルスゾーンの《フィンガルの洞窟》は)ハイドンや初期モーツァルトなどの典型的な古典派作品と異なり、明らかにキリスト教的な規範と一線を画します(もっともメンデルスゾーンはユダヤ人でしたが)。(96頁)
【参考】
ハイドンや初期モーツァルトの作品がキリスト教的な規範で書かれている、とは初耳です。
メンデルスゾーンがそれと一線を画していると言うのも初耳です。
ここの部分を、ユダヤ人であることと作品の性格に密接な関係がある、と読まなければならないのだとしたら、お述べになった方は反ユダヤ主義なのですか? と問いたいですね。ちなみに、メンデルスゾーン家はキリスト教社会に同化の努力をしてきた家で、作曲家フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディはキリスト教会音楽を少なからず作曲しています。(ハンス・クリストフ・ヴォルプス『メンデルスゾーン』尾山真弓訳 音楽之友社 1999等参照)

ヴェルディの場合、「ロマン性」はちょっと違った意味合いを持っています。というのも「このオペラは夢物語ですよ」と断ることで、実は歌舞伎と似た知恵を働かせているのです。(97頁)
【参考】
ヴェルディが「このオペラは夢物語ですよ」と断った、というのは浅学にして初耳です。出典をご教示頂きたいです。それなら先行する他のイタリア人オペラ作曲家もそうでなければならなくなります(私の主観ではドニゼッティがもっともそうでなければなりませんし、また、先行するオペラに、舞台で上演されるという意味での「夢物語」ではなかったといえるものが一つでも存在するだろうか、と反問もしたく思います・・・舞台を駆け抜けた後では「夢」であっても、それらは舞台の上ではリアルなのであり、こうした状況は能でも歌舞伎でも新劇でも現代戯曲でも何ら変わりはありません)。ヴェルディのとりあげた台本は前代からの路線を継承したものから始まって、イタリア解放闘争と関連したものへと遷移し、さらにそこから脱して、検閲を乗り越えながら斬新なものを目ざし続けた、とされています(水谷彰良『イタリア・オペラ史』音楽之友社 2006)。ヴェルディの手法についてはジル・ド・ヴァン『イタリア・オペラ』(白水社 文庫クセジュ)がたくさんのことを述べていますけれど、たとえばこれを上げておきます。
「アッフェット、人物を表象する術、さまざまな態度を対比的に表現し、なおかつそれらを変化させる術をすでに収めていた音楽は、ヴェルディにいたって、厳密に音楽的手段によって実現される劇の一貫性を手に入れることになる。」(p.152-153)

・(略)ブラームスには、コンサートホールで演奏するドイツ語の宗教音楽《ドイツ・レクイエム》という作品があります。(98頁)
【参考】
ドイツ・レクイエムのテキストはルター派聖書、6曲版の初演は1868年にブレーメン大聖堂で行なわれています。(西原稔『ブラームス』音楽之友社 2006 p.101-103参照)

ベルリオーズはカトリック圏のフランスで、大革命のさなかに生まれました。(99頁)
【参考】
「カトリック圏の」とこだわらなければならない理由はなんだかさっぱり分かりません。
ベルリオーズは1803年生まれ、いわゆる「大革命」の終焉は1799年。
なお、幻想交響曲初演の経緯は(古書でしか読めないのが残念ですが)ベルリオーズ自伝に詳しく語られています。これを読むと、たとえばWikipediaにも掲載されているような流布した話と異なった面も見えるのですが、すみません、いま、どこにしまいこんだか、見つけられません。)

ワーグナー自身、歌手や美術家など協力者にまず前奏曲を聴かせてから舞台制作の準備を聴かせてから舞台制作の準備を進めていました。ピアノでも演奏できるダイジェスト版があることで、打ち合わせなどにも大いに役立ったわけですね。(104頁)
【参考】
ヴァーグナーの伝記や作品論を数冊ひっくり返しましたが、対応する事実についての記載はこの節穴の目には止まりませんでした。素朴な疑問として、第一に、「指輪」を除く彼の歌劇・楽劇の序曲・前奏曲は劇中のモチーフを巧妙に活用したものであり、初演の稽古を始める段階では完成していなかったケースも多々あるのではないかと思うこと、第二に、「指輪」は前奏曲だけ聴かせても楽劇の内容は全く想像がつかないからそれだけ聴かされても歌手や美術家は困っちゃうだろうこと、を感じるのですが、ともあれ、「否」の証がどこにあるかごく応じ頂きたいと謙虚に思っております。なお、「ダイジェスト版」の意味が分かりません。

現在、職業作曲家は指揮の専門的な経験を持たず、職業指揮者は楽譜をゼロから書いて演奏する経験など持っていない人が大半です。(107頁)
【驚き】
<聴衆の前では自ら音を出さない音楽家>って、そんなにお粗末に養成されているのですか?

リストの交響詩《レ・プレリュード》は「人生とは死に向かって進んでいく前奏曲のようなものに過ぎない」という詩にヒントを得た哲学的な作品で、《第九》のすぐ隣にあるような音楽です。(109頁)
【参考】
この作品はフランスの詩人オーラントの詩による合唱曲《四大元素》の序曲として作曲されたものであることが近年明らかになったそうです。すなわち、単独で完結する作品ではありません。(福田弥『リスト』音楽之友社 p.212)
また、《第九》は
「死に向かって進んでいく」人生観は終楽章に用いられた詞には全く登場しません。

国民楽派を代表するイーゴリ・ストラヴィンスキー(110頁)
【参考】
国民楽派、という言い方で括られる作品群は、19世紀ヨーロッパ諸国に勃興した国民的・政治的意識の高まりを反映したものとされるのが通例です(例えば白水社『図解音楽事典』423ページの「国民オペラ」についての記述)。
そのことからしても、まあ、教科書でも、ストラヴィンスキーは国民楽派には該当しません。

マーラーもまたフォン・ビューローの副指揮者を志望しましたが、自作の第二交響曲の一部をピアノで演奏したところ、酷評の上、落とされてしまいました。(111頁)
【参考】
マーラーがビューローに弟子入りを断られたのは1884年、第二交響曲の原案の一部(冒頭楽章)となった交響詩"Totenfeier"を作曲したのは1888年。1892年にはビューローの信頼を得て代役を務めるようになっていて、第二交響曲の冒頭を酷評されたのはこの時期ですが、指揮者としてのビューローからの高評価はそれによって失うことはありませんでした。

マーラーの音楽は常に深い苦悩とともにありましたが、リヒャルト・シュトラウスの交響詩やオペラは非常に娯楽性が高い音楽です。(111頁)
【参考】
少なくともマーラーの第四交響曲に深い苦悩はありません。少なくともR.シュトラウスの『バラの騎士』終幕には、包み込まれた大人の女の苦悩があります。その他、どっちの作曲家の作品が娯楽性が高いか低いかは受け手の感性の問題でしょうから、まあいいや。興行に乗せ得る作品を書けたと言う点ではR.シュトラウスは娯楽的なんですかね。
なお、マーラーの暗さはユダヤ人故でありR.シュトラウスはそうではなかった、と読めるような文がこの箇所にありますが、R.シュトラウスの主要な台本作者ホフマンスタールはユダヤ人ですし、R.シュトラウスがナチスに苦しめられる元となった作品『無口な女』の台本作者ツヴァイクもユダヤ人です。ツヴァイクとの関係については次項。

圧倒的な説得力を持つ彼(=リヒャルト・シュトラウス)の音楽は、ナチス・ドイツの時代、民衆煽動に利用されました。・・・戦後は戦争協力を断罪されて失意のうちにこの世を去りました。
【参考】
死後の評価状況がどうかの問題はありますが、R.シュトラウスは第二次世界大戦が終わって数年経った1949年に生誕85年祝賀記念式典をミュンヘンやガルミッシュ(R.シュトラウス晩年の居住地)で大々的に開いてもらってから亡くなっています。
本書の小見出しに「ナチス協力者ながら今も愛されるR.シュトラウス」とありますが、もし彼がナチス協力者なら、戦後少なくとも祖国で誕生日を大々的に祝ってもらうなどということがあり得たでしょうか?
この点については、
社会史的には山田由美子『第三帝国のR.シュトラウス』(世界思想社 2004)
創作活動等との関連からは広瀬大介『リヒャルト・シュトラウス「自画像」としてのオペラ』(ARTES 2009 とりわけ第3章)〜彼の作品が果たして「煽動」に使われたのかどうかについても本書の記述が参考になるでしょう〜
にお目通し下さい。
全体像という点では私は山田著のほうに好感を持っていますが、広瀬著の引く書簡文の訳の数々は良質で感動的です。R.シュトラウスはナチス政権が実権を掌握していく過程でなお自分のオペラの台本作者としてツヴァイク(ユダヤ人)以外考えられないとの姿勢を貫き、結果的に彼がツヴァイクに宛てた手紙がナチスの検閲にひっかかったことで不幸な事態に陥っていきます。検閲に引っかかって不幸の始まりとなった書簡の訳の一部を、広瀬著から、ほんの少し引用しておきます。
「私がかつて、自分がゲルマン人(そうかもしれない、という程度のことです)であるという自覚から自分の行動を律していたなどとお考えですか? モーツァルトは自分を「アーリア人」などとみなして作曲していたとお考えですか? 私にとって、人間は才能のあるものと才能のないものの2種類しかいません。」(広瀬著 p.128から)

・・・第3章はあと2頁半あるのですが・・・もういいや。

|

« 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第2章編 | トップページ | 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第4章編 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第3章編:

« 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第2章編 | トップページ | 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第4章編 »