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2011年8月31日 (水)

本作りへの危惧として・・・『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしはおしまいにします

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり


気づかせて頂いたのですけれど、粗捜ししながら本を読む、というのも、実に勉強になるものです。
ですが、減糖者親書『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』については、一介の素人で費やせる時間に制限のあるサラリーマンには、ここまででもう充分かな、と思いました。

ひとつには、書誌にお詳しいかたならば(それがお仕事だったりすればなおさら)もっとたくさんのことが見つかるでしょうし、まして、今度別記事でコンサートをご紹介する時にも言おうと思っていますが、本書にこれ以後頻出する20世紀後半事情となると、私は門外漢です。新鮮な響きそのものは大好きですから懸命にそれらの本質にも迫りたいと考え続けてきましたが、それをするには、私にとっては20世紀後半以降の音とはやや年嵩を食い過ぎてからの出会いになってしまっていた。ある意味で「閉鎖空間」の中で音楽を味わってきた時間のほうが長過ぎた、と痛感しております。ですから、そういうことは、あとはお詳しい方から教えて頂ければもう良しとすることにしたからです。他にもあるいは、楽器学的なことは、非専門の私には、あるラインから先は興味の対象外です。この楽器がこういう構造だから、ということは私にとって音楽の入口にはなり得ません。したがって、これもまた語る資格も資質もありません。

もうひとつ、さらに自分にとって本質的には、(これは良心的な方がとっくにお感じの通り・・・そして私はマヌケ故にようやく気がついたお粗末さでありながら)これまで序章と本編4章についてリストアップしてきたような錯誤(や、もしかしたらそうとばかりは言えないもの)は、第一義的にはそれそのものが問題なのではなく、どうしてそのような錯誤が印象としては無秩序に本書の中に登場するのか、を考えておくほうが、より大切だ、と、ここに到って思うようになったからです。

錯誤の項目をあげつらうだけなら、ここまでの連続した記事の通り、たいしたこともないくせにちょっとイカれたマニアであるような私ごとき素人でも充分可能だった訳です。ということは、本当に真摯に史的なことに取り組んでいらっしゃる方なら、もっと容易に出来てしまうでしょう。

問題は、しかし、素人でも、本編の半分の量の中だけで既に50項目以上もの疑念点や錯誤点を見いだせてしまうようなかたちで本がでてしまったことにあります。
なぜそんなことになってしまったか。

本書にある<ご著者>の謝辞に、本書は30時間以上もの(・・・読者にしてみればたかだか30時間足らずの)語りおろしの録音から原稿起こしされたことが語られています(252頁)。推敲にはかなりの時間を費やした、ともありますが、その推敲が「語りおろし」の単純に忠実な再現であったとすれば、語った人がおかしてしまっているかもしれない錯誤に対するチェック機能が全く働かないことになり、これは指摘しているかたもいらしたかと思いますが、「語りおろし」で本をまとめる際の編集者のほうのありかたとしては、語った人のキャリアだけをストーリーにするもの、ではない以上、まず大いに責めを負うべき失敗ではないかと考えます。
・内容の相談
・話題に対するアイディア
を先行させがちなのは一般ビジネスでも多いことなのですけれど、相談やアイディア提案が何らかの裏付けをしっかりとった上でなされてから採り入れられるのでなければ、そのビジネスは偶然の要素で花咲く可能性はあっても、持続するかとなると、「早晩、多大の負債を抱えて倒産に陥る」結果をもたらす確率が非常に高くなるでしょう。まして、人名や歴史的・現在的事実について「述べた通りか?」なる調査をしっかり行なわなければ、本そのものも、語った「著者」も面目丸つぶれになることがある、というリスクに目が向かないとなると、編集者はいったい何を責務としているのか、表に出ることがないからそこから逃れられる、と甘く考えているのか、と、まずそのことに不審の念をいだかざるを得ません。

「入門」と付すからには、まず、語られた中身が入門に相応しいかどうかの検証も必要であるはずです。
学者さんがご自身のペンで入門書を書く時には、ご自身がそのような吟味を厳しくなさっていたと記憶しています。
ある漢文入門の文庫(ご著者の逝去後に発売となりました)に、本文どおりではありませんが、ご家族があとがきでこのように述べていらしたのを、いつも思い出します。

「『泣下と書いて『なんだくだる」と読む。なんだくだらん、と言うなかれ』とは呆れられる一節ではあるかも知れませんが、著者が発想に詰まって風呂でくつろごうとしながらも、やっぱりどう書くべきか頭から離れなくて、のぼせるまで苦吟し続けた一節なのでした。」(私の記憶に少々誇張があります。趣旨はこの通りだと信じています。)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』(の呼称で通させて頂きます)は、本来ならば推敲時の本当の苦吟に値する、純真でよいではないかと感じられる発想が、後半になってようやく散見され始めます。入門をメインにするなら、まずそちらを先に持ってくるべきだ、という「推敲」もあってもよいはずなのですが、現実に出来上がった本の構成は、語られたものを機械的に時系列に本文に流し込む以上の発想があったとは推測しにくくなっています。
「語りおろし」であるが故の<言い過ぎ>に対しても、読者がどんな気持ちで読むだろうか、なる配慮が欠けていはしないだろうか、と疑う箇所が少なからずありました。
たとえば終章の「ライナーノートは読まなくてもいい」なる小見出しのもとに書かれた部分ですが、音楽を初心で聴く者にとっては、実際にはライナーノートは、人によっては、その中身が分かっても分からなくても、手にとる時に「ああ、ようやくこのCDを手に出来た・・・でもいきなり音楽を聴いて、それを心から楽しめるだろうか?」なる不安を抱いた時に拠り所になるものだったりします。分からない部分があっても、そこに書かれた「物語」によって、昔ならLPに針をおろすワクワク感が高まったりしたものでして、それは別にクラシック音楽に限ったことではありません。ロックなりジャズなりポップスなら、そこからプレイヤーとの精神的中退が得られる気がして、むしろ必ずライナーノートを読むのではないでしょうか? まあ、この話の正誤や可不可を言うつもりは荒りませんが、たとえばそういう可能性についても、語りおろしの録音を聴いた編集者が充分に考えたかどうか、は書物の価値を決める上で大切なことではないかと考えます。

さらにまた『入門』なるレッテルをタイトルに貼るなら、大前提は
「読者は(この書物の場合)クラシックをほんの少し、または、まったく知らない」
であるべきでして、音楽史的なこと、作曲家の名前やその作品の羅列で始まってしまってはターゲットであるはずの読者にはまったく寄り添っていないことが自覚されなければなりません。これは、著者に読者層を自覚させる役割を全く果たしていない編集者も当然責めを負わねばなりませんが、『入門」ですよ、と注文されながらまったくそのことに思い至らない著者が最大の責任者であろうかと考えます。なぜなら、本は著者の名前で出版されるからです。

クラシック音楽<だけ>がことさら難しい、だからくだいて書かれた本でなければならない、と言いたいわけではありません。このジャンルの「入門書」には、過去にも難しいものはあり(伊福部昭や芥川也寸志のもの・・・したがって本書が考えるべきだったと思われる読者とはターゲットが違う)、易しいものもあります(近衛秀麿)けれど、難しければ難しい、易しければ易しいことで一貫しているのを、是非これからこの手の本を書こうと思っている人には学んで頂きたいものです。
人名や歴史がほぼ冒頭から乱立し、でありながらおしまいのほうでは「調とか主題とか分からないから、なんて気にしなくていい」なんて言われてしまったら、読むものとしては目を白黒させる以外になす術がありません。

たまたま私が「クラシック音楽好き」だから本書に対して感じたことを言ってはみたのですが、これはことさらクラシック音楽の本に限ったことではないでしょう。ロックだろうがジャズだろうが、そっちについて好きになっていいかどうか分からなくて「なにか分かりやすい本はないか」と探した際には必ずぶつかった問題でもありました。さらには音楽の本に限った話でもありません。もっとも手っ取り早い例を探すなら、勉強が分からなくて易しい参考書を探そうと思ってタイトルに「初心者のための」「分からない人のための」とあってとびついたら、説明がちっとも分からなくて、ますます勉強ができなくなる、なんて思いは誰でも味合わされているはずです。編集者の方はわかりませんが本書の場合ご著者は某T大准教授でいらっしゃるから、そんなアホなご経験は皆無だったのでしょうか。

いずれにせよ、もっとも危惧されるのは、これからは書籍の世界では学習参考書だけでなく一般の新書にも「羊頭狗肉」の書物が蔓延するのではないかという点でして、なにも今回続けて取り上げてみたこの本に限ったことではありません。

ご著者にも編集者にも、口先ではない「ノーサイド」、日ごろのプライドをちゃらにした物書きに勤めて頂き、日本の良識が凋落しないようにする努力を怠らずにいて下さるよう、切にお願い申し上げたい次第です。

これまで、と致します。

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コメント

またまた おじゃま致します。

興味深く拝読いたしました。ブログの記事で十分なのですが、とりあえずその本をさっき注文しました。

なんだくだる 私もずいぶん前に読みました。書棚のどこかにあるはずです。この話があったので書き込みしてしまいました。

投稿: HSPT | 2011年8月31日 (水) 02時45分

HSPTさん

御礼が遅くなってすみませんでした。
あの「漢文入門」懐かしいのですが実家を家捜ししないとみつからないかな・・・高校で漢文を習い始めたくらいの子供たちには読ませてあげたい文庫でしたが、もう出版者が無くなってしまったので残念です。
ご本をご覧になってお感じになったことは、また何でもご教示頂けましたら幸いに存じます。

投稿: ken | 2011年9月 1日 (木) 21時33分

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