« 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第3章編 | トップページ | 本作りへの危惧として・・・『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしはおしまいにします »

2011年8月29日 (月)

『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第4章編

序章第1章第2章第3章第4章もうおわり

 


20世紀後半事情は「?」と感じても私はよく知らなかったり、当事者の方もいらっしゃって真実はご存知だろうなと思ったりするので触れていません。
それにしても、各章にいちいち西洋音楽史上の人名や曲名、あることないことの話がちらかされていると、この本が何故「入門」などと冠したのか首をひねりたくなります。
『ホントを当ててねくわしっく!』
みたいなタイトルにしたほうが、マニアがたくさん飛びついて大当たりになったんじゃないでしょうか?

メンデルスゾーンにとって大切だった様式感、すなわち最初の主題が最後に回帰してくる、といった音楽のつくりがドビュッシーにはありません。(117頁)
【参考】
「フィンガルの洞窟」と三章ある「海」とを単純に対比することが先ず疑問です。ドビュッシー「海」は第1章では「回帰」はないと言うのでしたら、最後に至るまで利用される動機が生成しては集積していくので回帰など無いのが必然というべきですし、この第1章の動機は第3章では明確に再利用されています。
あるいは、全体をと言うなら、たとえばドビュッシー「ベルガマスク組曲」各曲や「子どもの領分」各曲には「回帰」は手法として見られます。メンデルスゾーン側に「回帰が無いもの」があるかどうかは未検証ですが問題になることは無いでしょう。

フォン・メック夫人はかつてはチャイコフスキーのパトロンでした。チャイコフスキーをサポートするにあたって、絶対に彼女と会わない、という条件をつけたことで有名です。もっともドビュッシーにはそのような条件はつけず(118頁)
【参考】
ドビュッシーは仕事としてメック夫人のヴァカンス旅行に同行してその子供たちにレッスンをつけたり夫人の連弾の相手をしたのでして、条件が違うのは当然です。チャイコフスキーと会うことが無かったことについては現在では諸説あるかと思います。なお、メック夫人はドビュッシーのピアノ曲(ボヘミア風舞曲)をチャイコフスキーに送って意見を求めたことがあるそうです。返事は手厳しかったとのことです。(平島正郎『ドビュッシー』音楽之友社 1966 p.27)

・(ストラヴィンスキーは)ロシア・バレエ団とともに育ち(119頁)
【参考】
ストラヴィンスキーがディアギレフから初めて作品の委嘱を受けたのは26歳のときで、すでに長男長女をもうけていました。「開花」と仰るなら分かりますが・・・

ロシア・バレエ団の第三弾《春の祭典》
【参考】
ロシア・バレエ団の全演目は私は知りませんが、「火の鳥」が第一弾だったわけでもなく(「火の鳥」より前に既に《レ・シルフィード》等複数の演目で興行しています)、《春の祭典》が第三弾だったわけでもありません(1911年にはストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》の他にもヴェーバーの音楽をベルリオーズが編曲したものをベースにした《ばらの精》が演じられているのは確認していますし、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》は《春の祭典》より前の上演です)。その他、ロシアバレエ団関係については検証を省略します。(デームリング『ストラヴィンスキー』訳書 音楽之友社1994 原著 1982)

・(シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》に)影響を受けたモーリス・ラヴェル(125頁)
【参考】
ラヴェルが触発された事実はあるかも知れませんが影響は受けていません。併記されているストラヴィンスキーについても同様です。なお、シェーンベルクによる十二音技法の使用開始は1921年で《月に憑かれたピエロ》の9年後(完成と見なせるのはもっとあと)であり、この項目にあるラヴェルやストラヴィンスキーの作品よりもあとになります。ラヴェルは十二音技法を使ったためしは無いと思います(わざわざ確認はしていません)。ストラヴィンスキーはシェーンベルクの死後になって十二音技法を使用したのでした。

ブラームスとワーグナーという伝統を一つに統合する上で「一二音」という旗印が存在したことは大きな意味を持ちました。(126頁)
【参考】
・・・の前に。漢字表記なら「十二音」とすべきでしょうね。一足すニの三音で実現する技法ではありませんから。
ブラームスとヴァーグナー、なる作曲家を象徴としてドイツ音楽が二分法的に把握されたことがあったなどとは私は知りません。ご教示を乞います。両者とも信奉をしていたのは師のツェムリンスキーで、シェーンベルクもそれによりいずれにも愛着を抱いたことは本人の言として残されているそうなので、異議はありません(フライターク『シェーンベルク』音楽之友社1998 p.16参照 原著1973)。

ベンジャミン・ブリテンは、ベルクの元に留学したいと切望しましたが、当時のナチス・ドイツとイギリスは緊張関係にあり・・・(130頁)
【参考】
ブリテンがベルクの元に留学したがったのは1930年ごろ。ドイツとの緊張関係云々は当時のイギリスにはありません。ナチスのドイツ独裁確立は1934年。そのころにはブリテンにはすでにドイツ留学を希望する気持ちは無かったかと思います。ベルクは1935年に死去。

録音は空間をも超えます。ドビュッシーやラヴェルは、自分自身では行くことのなかった遠いインドネシアや、アフリカのマダガスカル島の民族音楽に触れ、影響を受けました。(131頁)
【参考】
両者とも、インドネシアのガムランはパリ万博(1889年)に、録音でではなく実演で聴いて影響を受けました。録音は当時手軽に再生して聴ける環境にはありません。マダガスカル島云々については私は知りません。

録音機械をもっと活用して、音楽を決定的に進歩させた音楽家(略)ベラ・バルトークとゾルタン・コダーイ(131頁)
【参考】
「(バルトークによる民謡の)記録の主な手段は、採譜と録音である。録音は、当時実用になり始めた蝋管録音機によるものだった。(中略)当時この蝋管はかなり高価であり、すべての歌が録音されたわけではない。」(伊東信宏『バルトーク』中公新書 1997 p.62)
引用書のこのあとに、バルトークの民謡記録方法の手順が記されています。

以降、現在もご存命中だったり、そうしたかたの直接の師でいらしたりして書籍では充分な情報が得られる状況ではないし、私自身よく分かりませんので、検証は省かせて頂きます。ひとつだけ、検証ではありませんが。

ショスタコーヴィチの交響曲・・・《交響曲第14番「死者の歌」》と最後の《交響曲第15番》・・・いずれも演奏すると人が死ぬなどの逸話があり・・・(141頁)
【参考】
かれこれ40年前にオカルト本にチャイコフスキーの作品を演奏すると死ぬなる話が載っているのを読んだことはありますが、音楽関係の本でそんなことを言っているものは見たことがありませんでした。
ショスタコーヴィチのこれらの交響曲では、まして、そんな「逸話」は、耳の悪い私は、一切、耳にしたことがありません。

えっと・・・この本、あと4章あるのですが、もういいかなぁ。
勉強しなおすためにはいい材料ではあるのですけれど、本の構成そのものの「パズル」をどうにか整理する道筋を見つけることのほうが、まだずっと価値があるのではないか、という気がしてきてなりません。時間ももったいないし。
まあ、おもろいネタもなかなかありませんから、ちょっと考えよう。。。

|

« 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第3章編 | トップページ | 本作りへの危惧として・・・『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしはおしまいにします »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第4章編:

« 『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしリスト~第3章編 | トップページ | 本作りへの危惧として・・・『人生が絡まるくらくらしっく音楽入門』ほんとさがしはおしまいにします »