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2011年3月12日 (土)

卒業式と重なった地震

昨日、娘の卒業式で、たいへん印象に残るよい式でした。
子供たちがみんな明るいことを喜ばしく思っておりました。
その楽しい話を綴るはずでした。

セレモニーも終わって、妹の友人のご家族とバス停に向かって歩いているときに、なんだか妙に足下が揺れるなぁ、と思っていたら、それが長い横揺れの地震でした。どれくらい続いたのか分かりません。まだ田畑が沢山残る地域で、目の前が空地を利用した駐車場ですので、そこへ退避しました。前の家から子供さんをだっこしたおばあちゃんが出てきて、おびえているお孫さんをなだめていました。
すぐバスがきて、最寄りの埼玉県の大宮駅までは到着出来ました。そこでの次のセレモニー会場に、娘のクラスの子や親たちが集合しました。ここで も激しい余震があり、そごうデパートが歪むように揺れているのを数度目にしました。ちかくの居酒屋さんが津波予報のラジオを大きく流してくれ、それを聞い て、波高のすさまじさに耳を疑いました。実際に到達した津波が予報をさらにこえていた、と知ったのは、16時半ごろに駅前ビルの大きなモニタに映し出され たのを見た時でした。

バスの運行は止まりませんでしたが、JRに向かった人は戻され、駅は18時頃にはシャッターを閉めました。通路には、あきらめた人たちが隙間なく座り込んで夜明かしを決めていました。ちょっと先のホテルのロビーに行ってみましたが、こちらも人で溢れかえっていました。

揺れが落ち着いて、JR全線ストップが明らかになった17時半頃、セレモニー予定だったお店の地下にみんな入れてもらえましたが、19時過ぎにはそこを出なければならなくなり、親御さんと一緒ではない生徒さん4人はバスで学校に戻り、そこで夜を明かすことになりました。大多数の、帰れると判断した人たちが、バスなどのルートを何とか探して戻っていきました。その時点ではすごい渋滞だっただろうと思います。残った6家族程度が別のお店で夜明かしの許しも得て過ごしていましたが、最初に2家族が徒歩で帰ることにし、残り家族は順次迎えが来て(たどり着くまでに大変な渋滞だったということです〜他のかたですが、新宿からタクシーに乗っても、1時間で1キロしか進まず、8時間かけて歩いて、埼玉の大宮まで戻ってきた、というかたもいらっしゃいました)ウチも最後のお迎えのご家族のかたに送って頂いて、午前3時 に帰宅出来ました。
息子は一人で留守番、眠っていました。
家の中は西側の本とデスクトップパソコンあたりが散乱した程度で済みました。・・・まだ片付ける気力が湧きませんが、午後にはやらねばならんと思っています。

携帯電話はメールは当初2〜3時間遅れでしか到着せず、送る方もひとつ送るのに2分程度かかりました。夜中まで同じ状態でした。通話は今朝方ま で、近場のお相手でもまったく繋がりませんでしたが、6時過ぎには回復しました。数少ない公衆電話でないとだめで、長蛇の列でした。

夜10時過ぎにやっと電話が空いてきて、職場にも電話を入れましたが、10人程度が帰宅手段がなく夜明かしを決めたようでした。今朝は留守番電話になっていたので、なんとか帰路に向かったものと思います。

実家へは、役所勤めの上の妹からの電話で連絡がつき、家の中は仏壇が崩れるなどかなり酷い様子ではあるものの、無事であることが確認出来ました。 我が家からはいまだに繋がりません。妹の方から避難を奨めているそうですが、地域的には地盤も高さも問題が少ない所ではありますが、父が病気だったりしますので、いずれこちらへ連れて来なければならないかもしれません。妹の所には泊まれますので、そういう体制になるかと思います。
下の妹はその二人の子供たちと、津波の被害のひどかった地域の、海からはいちばん離れた地域に住んでいるのですが、連絡は全くつきません。今朝の情報で、妹の子供たちの母校が避難所になっているとのことなので、そこへ無事に避難してくれていることを祈ります。

東北地方へは普通の家庭からは電話がかなり通じにくくなっています。
災害伝言版サービスの利用がいちばん良いようですが、たとえば妹は携帯電話を持って出たかどうかも分からず、有効に使えるかどうかは不明です。

新潟でも夜中に大きな地震がありましたが、太平洋側と繋がりがあるのでしょうか?

帰宅してテレビをつけましたら、馴染んだ港町がどこもかしこも景色が激しく変わってしまっており、市域の殆どが火災になってしまった所あり、映し出されない所は壊滅状態と伝えられ・・・しばし言葉を失っていました。

仙台市で言いますと現在は電気もガスも止まった状態で、実家の最寄りの停電した役所が映し出されていました。そのはるか向うに、隣接する港町から上がっているらしい黒煙が見えました。
それでもライフラインの復旧は3日くらいで可能らしいと聞きました。

肉親はもとより、被災した皆様総てが、食料・トイレ・寒さからの保身を、なんとか上手くなさって下さるよう、心から祈っております。

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