「弱法師」の世界
能の二番目物をとりあげるつもりで、「頼政」の映像を見直していましたら、同じDVDに収録されている「弱法師」に引きつけられてしまい、そっちを一生懸命眺めてしまいました。
「弱法師」は、説教節「しんとく丸」と同じ素材の説話から題材をとった四番目物です。浄瑠璃にも同じ素材で「摂州合邦辻」があります。現代では寺山修司の戯曲「身毒丸」があり、映像も出ています。
能での物語は、説教節「しんとく丸」が説話の全体を語っているのだとすると、そのほんの一部です。
説教節「しんとく丸」は、私は一昨日やっと、文字化されたものを読むことが出来ました。(荒木繁・山本吉左右編注『説教節』東洋文庫243 昭和48年 平凡社)
音楽的な興味からは、説教節としての「しんとく丸」を、そのことばから追いかける方が面白いのですが、それはもう少し説教節の世界をも理解し、機会もあれば、ということにします。上掲『説教節』の解説に、その構成の面白さを知るためのヒントが、たいへんよくまとめられています。
物語の方を申し上げますと、「摂州高安の庄の長者夫婦が京の清水の観音様に参籠して、なぜ子宝に恵まれないのかを《前世の因縁のせいだ》と告げられ、なおも粘って、夫婦どちらかが七年後に命の危険に迫られることと引き換えに、信徳丸を授かります。しかし、十三年経っても命に別状のなかったことから清水の観音様をみくびった発言をした母親は観音様の罰で急死し、高安の長者は後妻を迎え、やがて後妻にも息子が生まれます。後妻のたくらみと呪いで信徳丸は視力を失い、父によって天王寺に捨てられ、《弱法師(よろぼし)》となり、身を恥じて過ごすことになります。それをいいなづけの乙姫が探し当て、恥じる信徳丸を抱えるようにして喜捨を受けながら熊野に参り、そこで信徳丸は視力を回復し、高安の里に戻って栄えます。父や後妻、その息子は、信徳丸への行いの罰が神仏から下って、零落します」といった内容です。(テキストそのものは江戸時代初期のもので、文字化は能の「弱法師」よりあたらしいことになるのですが、物語じたいは「弱法師」よりも古いものとみなしてよいであろうことについての根拠は後述します。)
能の「弱法師」では、捨てられた後の信徳丸が天王寺を徘徊している所を迎えにくるのは父親その人です。物語も、その部分だけが切り出されています。古形では信徳丸の弱法師は妻と同行していたとのことです。
物語がなぜそのように絞られ、また、父がいい役割を与えられたのか、を考えるのも面白いのですけれど、それはおそらく永遠に分からないでしょう。
いま、「弱法師」の面白さは、私にとっては、物語の由来と、能としての演技にあります。
『説教節』の解説によりますと、「しんとく丸」すなわち「弱法師」の物語は、今昔物語巻四の、インド由来の説話と同根で、この説話は玄奘三蔵の「大唐西域記」巻三にも載っており、それはさらに「阿育王経」とか「六度集経」といった経典にまで遡る話だとのことです。今昔物語での対応する説話の題は、「くなら太子、眼を抉り法力に依りて眼を得たる語」となっています。
ところで、「しんとく丸」および「弱法師」に出てくる地名「高安」(現在、八尾市内)は、古代においてはいわゆる渡来人の居住地であり、その渡来人の姓でもありました。そのことと、インド渡りの説話でありこととが、何か関係ありはしないのでしょうか?
あるいは、天王寺(四天王寺)が舞台になっていることも、天王寺の草創に渡来人たちが大きく関わっていただろうこと、天王寺が視力を失ったり重度の皮膚病を患った人々が施行を受ける場所だったと言われていること・・・さまざまなものがないまぜになって「弱法師」が成立した背景にありはしないのでしょうか?
それらについての興味が尽きないのですが、いまのところ、切り口となる視点をどこに見つけたらいいのか、皆目見当がつかずにおります。
また、「太平記」に「妖霊星」と誤って解釈されることになった「てんのうじの、や、ようれいぼし(よろぼし)の・・・」の「ようれぼし」が「弱法師」のことをさすのだ、ということについては、手近には天野文雄『能という演劇を歩く』に説明があり(190頁、2009年刊 大阪大学出版会)、「弱法師」が室町期に能になる以前、遅くとも鎌倉末期には田楽の定番になっていたことを示唆してもくれるのですけれど、「弱法師(よろぼし)」がどうして「妖霊星」なる不吉な星と誤解して受け止められるようになったのか、も、上の背景と関連した事情が潜んでいるからではないか、と勘ぐりたくなります。
・・・「弱法師」には、かく、ミステリアスな要素があります。
映像はNHKエンタープライズの能楽名演集に友枝喜久夫のシテ、松本謙三のワキで1980年に放映されたものが収録されています。
ここでの友枝師は、ほんとうに視力を失っているのか、と信じ込まさせる見事な登場ぶりを見せてくれます。橋掛りからシテ柱まできた所で、杖のおかげでやっと柱の存在を知っているていで、照明のためだったのでしょうか、柱の後ろに垂らされていた電気のコードが友枝さんの体にひっかかってぶらぶらとゆれ、アイ座に控える役者さんが心配げな視線を送っています。さらに、常座から脇正に歩み出るところでも、杖が舞台からはみ出して、まかり間違うと友枝さんは能舞台から下に落ちてしまいそうです。
クセの部分で友枝さん扮する弱法師を見守る父、すなわちワキの松本師もまた、見守っている間、またたきをひとつもせず、切々とした視線をじっと我が子に送り続けているのでして、これは、友枝さんの足取りが危うく見えたりするとこれまた心配げに覗き込む若手(といっても壮年期の方ではあります)後見のかたと好対照を成していて、この映像の上で繰り広げられている情景への、見る者の思い入れを、いやがうえにも高めてくれます。
友枝さんの、日想観を行なうさいの舞ぶりは、ここでは視力が戻ったように活き活きし、であるが故に、結局は往来の人につまづいて目の見えぬ悲しみによろめく部分がまた非常に活きてきています。
なお、三島由紀夫が、出色な小説「美しい星」のなかで、金沢の人々が法事の時などに「弱法師」からの謡を謡うのが常だったように読み取れる表現があり、ご示唆頂いて確認しました。金沢にそういう習慣があったのかどうかは、残念ながら、まだ定かに確かめられてはいないそうです。小謡の本では現行の観世流のものには、法事で謡える小謡が「弱法師」からも取り上げられていますが、宝生九郎が大正年間に著した小謡集では法事の小謡には「弱法師」はなく、「梅」の部に掲載されていて、そのうえそれがまた観世の法事の小謡と同じもの(花をさへ)であるのが謎です。「梅」のほうは、当然、春を愛でるものとしての小謡なのです。
ご専門のかたがご調査なさると思います。・・・でも、たいへんそうです!
以上、なにかお分かりのことがおありでしたら、情報を頂ければありがたく、記事にしてみた次第です。
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コメント
山中さんは知人ですが、弱法師初演のころは、説経のことをご存じなかったようです。説経はらい病(病因が分からない昔はハンセン病に限らない)の話です。
六度集経はジャータカの中国僧の翻訳または創作で、これが原流だろうとは青江舜二郎の意見です。世阿弥自筆の弱法師は近年上演されていますが、夫婦と僧が出てきて、原流に近いですが、能はたぶん別の流れです。今昔のくなら太子のは映画釈迦の元ネタです。律宗の僧がらい患者相手に治療を行っており、天王寺も叡尊が別当だった時代がありました。江戸時代になって、大名の前でこの話がやれないので、きれいに改良したもののようです。だからほうぼうで矛盾しています。施行は僧の仕事ですし、冒頭の夫婦の文章はおかしいし、通俊の独白もおかしいです。復曲の演出はあまり成功していないようです。しんとく丸や説経関係はは被差別の話なので、一般の出版はひかえられています。松原右樹、乾武俊、足代健二郎といった先生が内輪で発表なさってきました。ようれいほしは単に太平記作者の聞き違いででょう。私も特に詳しくなく、高安にも何回か行った程度ですがあ、すでにお調べになったかと思いますが、また教えてください。
島之内芸能文化協会山下孝夫
投稿: | 2015年2月26日 (木) 22時09分
山下様
詳しいお話をありがとうございます。勉強になります!
素人の私が目に出来た参考図書は記事中にあるくらいで、この後目新しいことも分からずにおりますが、「弱法師」の物語は魅力的で、また機会を得てじっくり勉強したいと思っております。
いま確認で説教節と太平記のことだけ振り返ってみました。
説教節はご存知の通り記者を乞う乞食芸で被差別者の歴史をよくかえりみなければ本質には迫れないのだろうなと思っております。物語が能と説教節で交流があるのが(「隅田川」もそうですが)興味深いとはいえ、とりあえず「弱法師」と説教節「しんとく丸」では「しんとく丸」のほうが新しいかも知れませんので、直接の交流というより唱導芸能の氷山の二つの水面上の姿と考えた方がいいのかも知れません。
世阿弥『弱法師』についての話は東洋文庫『説教節』の解説に少し出てくるのを知っているくらいですが、そうですか、不自然なのですか。
「ようれいぼし」については太平記の説はこの星が継体天皇のころにあらわれたとしているあたり、単純に太平記記者の聞き間違いではなさそうに感じるものの、継体紀には妖霊星の話はなく典拠不明だそうですから(東洋文庫『太平記理尽鈔』1、284頁)、何とも言えません。
定年にでもなったら中世から近世にかけての専門的な勉強ができるようなら嬉しいのだけれど、と思っているところです。
投稿: | 2015年2月26日 (木) 23時01分