でたとこ能見物(5)「是より急」
(1)能の大まかな構成・(2)小段構成の具体例・(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)・(4)能の臍・(5)能のクライマックス
白洲正子『お能/老木の花』(講談社文芸文庫C4)に収録された「梅若実聞書」に、こういう一節があります。
「翁」の次にまいりますものは、脇能(神をシテとする能)でござい ます。大体四種類にわけられまして、「老松」、「白楽天」などは、序之舞。「高砂」、「弓八幡(ゆみやわた)」、「難波」などは神舞。「東方朔」、「白 鬚」の楽。それから「嵐山(あらしやま)」、「賀茂」の類は働(はたらき)でして、真の一声で出るものは位がやや同じでございます。二の句、送りこみ、が あって、サシになります。これは「高砂」ですと、「誰をかも知る人にせん高砂の」という所でちょっと気分が変わります。「老松」ですと同じサシでも軽くな らず、もっとどっしり謡います。(以下略、235ページ)
このあたりは、能役者さんが能一番をどう捉えているかを、脇能を例にご開陳なさっているもののように感じられます。
「真の一声」以下の部分が能一番の構成感をお述べになっているわけで、ここには前に採り上げた「小段」的な考え方ほどの細かさはなく、世阿弥が「能作書(三道)」で述べていた序・破・急の感覚を、能の中の具象的なもので表現しているのだと言えるのでしょう。
真の一声とは一声の特殊なもので、脇能で(前)シテの登場の際に用いられる固有の囃子(脇能以外では「松風」にのみ用いられている由)ですから、以降の言葉の前提になっています。
この囃子で登場した人物は必ず一セイ・二ノ句(一セイの謡に続 く同趣の謡で、七五・七五の二句から成るのが正格である:高砂「波は霞の磯がくれ、音こそ汐の、満干なれ」)・サシ(拍子に合はせずスラスラと淀みなく謡 う:高砂「誰をかも知る人にせん高砂の・・・」)・下歌(高砂「訪れは松に言問ふ浦風の、落葉衣の袖添へて木蔭の塵を掻かうよ掻かうよ」)・上歌(高砂 「所は高砂の・・・」)・を謡ふことになつてゐる。
と、藤波紫雪の『・・・稽古の手引』にありますから、梅若実さんのお話は、能をなさるかたが常に念頭においていらっしゃることを忠実にお話しになっているのだと分かります。
そうした流れのことよりも興味深いのは、前半の部分です。
能のメインとなるのは何であるか、をお話しになっているようであるからです。
「老松」、「白楽天」などは、序之舞。「高砂」、「弓八幡(ゆみやわた)」、「難波」などは神舞。「東方朔」、「白鬚」の楽。それから「嵐山(あらしやま)」、「賀茂」の類は働
とあるところは、すべて、世阿弥が言っていたところの、それぞれの能の「急」に当たる部分に配されている舞が何であるかを語っていらっしゃるわけです。
すなわち、能一番の<メイン>は、最後の「急」の部分に配されるこれらの舞なのであって、能役者さんは、ここを目指して能を演じて行くのだろう、と考えてよいのだろうなぁ、と思う次第です。
脇能ではなくても、能の「急」の部分は、舞で締められます。
序ノ舞はゆったりと始まり、中ノ舞ならばいくぶん早めとなり、破ノ舞、早舞、神舞、男舞、などは活発で、最も「急」を実感させてくれる舞であります。
たいへん興味深いのは、こうした多様な「舞」を支える囃子の、笛の奏でる節が、すべて共通である事実です。
速い舞の囃子は、ちょっと聴いただけですと、序ノ舞や中ノ舞などとは違う節に聞こえますが、洋楽で言うところの4拍子に当てはめて2小節相当分をよくよく耳にしますと、速い舞の節は、ゆったりした舞の節の見事な短縮型であることに気付くはずです。
節が一定だと言うことは、囃子は決して能の場面を具象化する手立てではない、ということを物語っています。
すなわち、舞の囃子に限って言っても、能楽囃子はある種象徴的なものなのであって、能が何を表現しているかは、あくまで舞そのものに委ねる姿勢を貫
いている。これは歌舞伎と大きく違う点であり、前にみました「平家(平曲、平家琵琶)」の、「詞章を取り去った節」と類似した機能を果たしているとみなせ
るようです。
同じ序ノ舞でも、たとえば「羽衣」(三番目物)で舞われるものと「井筒」(これも三番目物)で舞われるものが異なっているのはDVDでも目にすることが出来ますので、ご興味がおありでしたら是非ご覧頂きたく存じますが、用いられる囃子は基本的には<同じ>なわけで、それでも<同じ>に聞こえないのが、能の面白いところです。
とはいえ、序之舞を二つ並べても仕方ありません。
先に述べた、節の同一性を聴き取って頂くために、序之舞、中ノ舞、早舞のそれぞれから、少し抜き出して比べられるようにしてみましょう。
・序ノ舞(部分)笛:藤田大五郎、小鼓:幸宣佳、大鼓:瀬尾乃武
序ノ舞
(日本伝統文化振興財団「能楽囃子体系」から)
・中ノ舞(部分)笛:中谷明、小鼓:敷村鐵雄、大鼓:柿原崇志
中ノ舞
(KING RECORDS「室町の仮面劇・能楽」から KICH2252)
・早舞(部分)笛:寺井政数、小鼓:北村一郎、大鼓:守家金十郎、太鼓:柿本豊次
中ノ舞
(日本伝統文化振興財団「能楽囃子体系」から)
いかがでしょうか?
この節に耳慣れれば、あとは
「おお、能の見どころだ!」
と、舞そのもののほうに視線を集中して鑑賞が出来るわけですね。
それにしても、こんな万能の節回しを最初に創り出した人は誰なのでしょう?
こうやって抜き出して聴いてしまうと「なあんだ」なる具合になりかねませんが、むしろ、これまで能をぼんやり眺めて気付かずにいたのですから、この同一性には私たちは<非常な驚き>を感じるべきでしょうし、私自身は本気でびっくりしております。
今回までで、能のはじまり、中盤の愁嘆場(!)、クライマックスを、耳の方でどう判別するかの方法は明確になった・・・のでしょうかね。(^^;
さて、それならまたべつのことに話をかえて行かなければなりません・・・
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