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2011年2月14日 (月)

でたとこ能見物(6)「高砂」をめぐる鬼

(1)能の大まかな構成(2)小段構成の具体例(3)能の始まりかた(常座・ワキ座・狂言座)(4)能の臍(5)能のクライマックス・(5)『高砂』


さて、能の大枠・・・始まり、臍、クライマックス・・・がだいたいどのようなものかをみておいたところで、具体的に一番の能楽を材料に、少し立ち入っていくことを試みましょう。

まずは(2)小段構造の具体例で最初に挙げた「高砂」を材料にしましょう。ただし、小段のことにはまだ触れませんで、雑談みたいなものです。・・・あ、おいらはなにやっても雑談か。

能にはよく「鬼」が現れますが、『高砂』は別段、鬼が登場したりしません。
ですのに、なんで「鬼」か?

『高砂』は脇能【初番目物】で、めでたいものの代表です。いま実際に謡われることは少なくなっていると思われますが、時代劇ですと、祝言(婚礼)の場面でよく、

たかさごやぁ〜 このうらぶねに〜 ほをあげ〜てぇえ〜(第7小段、上ゲ歌)

と謡われます。
無理も無いことで、江戸期を通じ、『高砂』は神に捧げるために最初に演じられる『翁』に続いて必ず舞われる脇能だったこともあり、江戸幕府の将軍家の謡初では観世大夫が同じく『高砂』の中の

四海波静かにて 国も治まる時津風 枝を鳴らさぬ御代なれや(第3小段最後の上ゲ歌)

を謡う習わしだったそうです。(「岩波講座 能・狂言 VI 能鑑賞案内」p.30)
婚礼で謡われるのは、『高砂』のストーリーが、高砂・住吉の相生の松の精が睦まじい老夫婦(前シテ・ツレ)として前半を仕切るところから来ているのでしょうか。

ですが、『高砂』は誕生当初、極めて時事的な能だった、ということが、天野文雄「世阿弥がいた場所」(ぺりかん社 2007年 509−547頁)で詳しく考証されています。

キーになるのは、最初に登場するワキの、「九州肥後の国 阿蘇の宮の神主 友成」という人物で、この人は平安期の延喜三年二月、外従五位下に叙せられた実在の人物です。世阿弥がこの人物を登場させたのは、『高砂』が創作されたと推測される応永三十年(1423)に、それまで南朝方・北朝方として分立していた阿蘇氏(双方とも友成の子孫)の雑掌(主人の代理人として重要な役目を担っていた)が、いずれが正統かを訴訟で争うために上洛し、いずれも室町幕府(足利義持)に相次いで忠誠を誓おうとしていたところに便乗したらしい、なんてまとめてしまうと正式にご研究なさっている方からは叱られる表現ですが、まあ、そんな背景があったとされているのです。

この阿蘇氏が宮司を務める阿蘇神社というのがまた面白くて、ここの神が鬼八法師という鬼の無作法に怒ってその首をとった、という伝説があり、いちおう別の神社ですが、阿蘇霜神社というところで行われていた火焚神事(最近復興の試みが続けられているようです)は天に昇って星になった鬼八法師の首が霜を降らせるのをやめてもらうために行われるようになった祭りである旨、「日本の鬼」(近藤喜博著 現在、講談社学術文庫 2010)で語られています。

つまり、阿蘇宮司は鬼を退治した神に仕えていたわけで、その家同士が争っていたところに、ストレートにではありませんが、能にたくさん現れる「鬼」と繋げてイメージすると、素人には興味深く思われてくるわけです。

『高砂』(元の題は「相老(あいおい)』だった由)が成立した当時の室町期の人のは、平安期の「鬼を恐れる」のとは違った心性を持っていたようで、室町時代史の入門書籍のひとつのまえがきには、横死した人物が子孫の頼みで霊媒に呼び出されたとき、
「恨みをはらすことより、家を存続させることを大事にしてくれ」
みたいなことを言った、なるエピソードが掲げられています。(「室町人の精神 日本の歴史12」 現在 講談社学術文庫。)

そんなあたりからの目で『高砂』を眺めますと、能に描かれた室町期の「鬼」が、その後の時代の解釈の変遷で「恨みはらさでおくものか」式に性質を変えてしまったのではないかと思わされ、むしろ『高砂』のように鬼そのものが登場しない能の背後の方に、能が現在に通じる形に整ったばかりのころの、もっと現世的・実利的だった当時の「鬼」のありかたを気付かされるように感じる次第です。
この「鬼」の見方をとると、四番目物五番目物に多く現れる鬼が、たとえば現代人の目を通じた「今昔物語」的な、あるいは「伊勢物語」や「源氏物語」的な、通常人より高い位置から祟をなす怨霊的なものではなく、もっと通常人と水平位置にいて、生きた人間と共にいがみあい、争い、嘆きあい、あるいは喜び合う、いわば日常的な存在であることが、なんとなく分かってくるように感じられはしないでしょうか?

『高砂』はいまでも演じられることの多い能だと思いますが、映像は見当たりませんで、CDで全編を「聴く」ことが出来るものがあります。音響的にも非常に面白いので、お聞きになって損はないと思います。今回、そこからの音声例は挙げませんが、

シテ:武田太加志、ツレ:野村四郎、ワキ:森茂好、ワキツレ:鏑木岑男
笛:寺井政数、小鼓:幸円次郎、大鼓:亀井俊雄、太鼓:柿本豊次
地謡:観世寿夫、観世静夫(当時)、野村四郎

という、なかなかにたいそうな顔ぶれの録音です(昭和38年? CDはVictor VZCG-537

詞章が一部省かれ((5)で引いた梅若実さんの説明にある「二の句」など)、伝承的に問題をはらむアイ語りの小段である6段目も省かれたりしていて、真面目に全貌を聴きたい、となると不足に思われるかも知れませんが、録音も優秀で、リーフレットの参照は少々必要かもしれませんが、先に読んでおけば言葉もたいへんよく聞き取れます。長さとしても、最初に通しで見聞きするのにちょうどいいのではないかと思います。(別の記事に記しましたが、演能の所要時間は室町期には現在の4割程度しかかからなかったそうで、現在の平均が約80分なのですが、この録音では50分程度ですから、少しは短いわけです。)

内容を追いかけてクドクド綴ることもできないわけではありませんが、前に掲げた小段をそのまま再掲載し、トラックのだいたいどの辺の時間からその小段が始まるかを記しておきますので、ご興味があったらぜひ、音声を味わってみていただければと存じます。

なお、ワキが登場するところは「真ノ次第」、前シテが登場するところでは「真ノ一声」というものになっているのですけれど、「真」がつくのはその能が儀礼上重要な演目であったことを示しているようです。「真ノ一声」は神性を持つシテが現れることを示しているのですが、「真ノ次第」は、

まず幕際でいきおいよく両腕をあげるようにして広げて爪先立ち、その腕をすぐにさっとおろしつつ、かかとをドンと落とす。そのあと橋掛かりを進んで舞台に入ったところで、ワキは再び同じ所作をくりかえして、「いまをはじめの旅衣」という次第を取る。(天野文雄「能という演劇を歩く」59頁 大阪大学出版会 2009)

もので、「室町将軍にたいする恭礼だったのではないかと思われる」とのことです(次頁)。

なお、『高砂』の謡は、すべて<強吟>です。<強吟>は能を音楽として解説する場合も、謡の説明にも、洋楽的に相対的な音程を当てはめられていますが、実際のには晴れやかな語りの抑揚が聞こえる感じです。これについてはいずれあらためたいと思っております。

00:00~ 1.(真ノ次第)~次第~名ノリ~上ゲ歌~着キゼリフ 
07:20~ 2.(真ノ一声)~イッセイ~(アシライ)~サシ~下ゲ歌~上ゲ歌
18:51~ 3.問答~上ゲ歌
23:12~ 4.問答~クリ~サシ~クセ
33:42~ 5.ロンギ
(省略)   ~ 6.問答~語リ~問答
37:30~ 7.上ゲ歌
39:00~ 8.(出端)~サシ
41:26~ 9.上ノ詠~一セイ~神舞
46:47~ 10.ロンギ

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