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2011年2月 9日 (水)

【予備として】西ヨーロッパの管弦楽演奏会内容の変遷(19世紀末まで〜ドイツ圏に偏りますが)

Ooibanner

以前にも「リスト考(5)」で試みたことがあったのですけれど(「リスト」のカテゴリ参照。8例まで重複、シューベルト唯一の公的演奏会だった室内楽的なものを省略)、若干補強して、ちとあることの予備調査です。

エマヌエル・バッハの一例以外は、教会での演奏は除きます。また、詳細はわからなかったところばかりなのですが、ヘンデル〜エマヌエル・バッハの世代までは演奏会は声楽中心とみられ、器楽の「公式演奏会」的なものの存在は邦文献では確認出来ませんでした。したがって、掲載例は管弦楽演奏会ではありません。
以前掲載したものは重複して載せますが、日付の明らかなものに限ります。
作曲家の伝記類に掲載のものは断片情報が多く、演奏会の全貌を記していることが少ないのは、はなはだ残念です。・・・ベルリオーズやシューマンやドビュッシーの評論でもそうだから、やむをえないといえばやむをえないのですが。あるいは、ゲヴァントハウスについてあるはずと推測したい豊富な記録でも垣間見れたら嬉しいのですけれど。
また、文献の参照の仕方がいけないのでしょう、メンデルスゾーン、マーラー、(以降、20世紀ですが)ヴェーベルンの立てたプログラムなどについては内容・曲順が明確に出来ず、掲載を断念しました。それぞれ、各々の時期のコンサートのあり方を規定する上で大きな役割を果たした「指揮者」であったことを思うと、遺憾なことです。
ただ、そうした断片類から推測するに、以下の例はそれぞれの当時のコンサート・プログラムとしては悪くないサンプルではあると考えております。


ジョージ・フレデリック・ハンデル(ヘンデル)のための顕彰演奏会(伝記【三澤寿喜】p.116)
【A】1734年3月28日(ロンドン、ヘイマーケット劇場)
   第1部:アンセム「鹿が冷たい谷川を慕いあえぐように」
   第2部:オラトリオ「デボラ」のアリア
   第3部:戴冠式アンセム、アリア、二重唱


カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(伝記【久保田慶一】p.236)
【B】1779年三位一体後の第二日曜日(ハンブルクの教会)
   第1部〜フリーデマン・バッハ:カンタータ「地獄の罪業を我らから取り除き給え」
   第2部〜テレマン:カンタータ「私につねに優しくあられますように」
   第3部〜ヴァイオリンソロを伴う小曲、ドイツ語合唱楽章


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(ドキュメンタリー【ドイッチュ・アイブル】p.169)
【C】1784年4月1日(ウィーン、帝室王室国民宮廷劇場)
   1)トランペットとティンパニ付きの交響曲
   2)アリア(男声)
   3)フォルテピアノ協奏曲(新作)
   4)交響曲(新作)
   5)アリア(女声)
   6)管楽器とピアノのための五重奏曲K.452
   7)アリア(男声)
   8)フォルテピアノによる幻想曲
   9)交響曲


フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(伝記【大宮真琴】p.127)
【D】1790年のザロモン・コンサートから、規模の大きい記録でおそらくフルのコンサートだったもの
   第9回 5月13日
   1)交響曲(第92番以前のもの?)
   2)弦楽四重奏曲(作品64のうちの1曲)
   3)カンタータ "Ah, come il core"


【E】1801年12月4日「愛好家コンサート」(ミュンヘン、『オーケストラの社会史』p.54)
   1)ヨーゼフ・ハイドン氏のシンフォニー
   2)ヴィンター氏のヴァイオリン・コンチェルト
   3)ガッツァーニガ氏のアリア
   4)ダンツィ氏のクラヴィーア・コンチェルト
   5)リチェント・グラーツ氏のフルートのためのコンチェルタント(二本のフルート?)
   6)モーツァルト氏のオブリガート・ヴァイオリンに伴われて(?)アリア(記述不詳)
   7)(作者不明の)シンフォニー


ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(伝記【大築邦雄】p.89)
【F】1808年12月22日(アン・デア・ウィーン劇場)
   第1部
     1)「田園」交響曲
     2)アリア「ああ、不実なる人よ」作品65
     3)ハ長調ミサ抜粋
   第2部
     4)ハ短調交響曲
     5)ラテン語讃歌
     6)ピアノ独奏の幻想曲
     7)合唱幻想曲作品80


ウィーンフィルハーモニー第1回演奏会(「王たちの民主制」p.79)
【G】1843年4月3日
     1)ベートーヴェン:第7交響曲
     2)ベートーヴェン:アリア「裏切り者」
     3)モーツァルト:「劇場支配人」序曲
     4)ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第2番
     5)モーツァルト:コンサートアリア
     6)ケルビーニ:「メデア」からの二重唱


ウィーンフィルハーモニー演奏会(同上p.215)
【H】1870年11月13日
     1)ウェーバー:「オイリアンテ」序曲
     2)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
     3)ルードルフ:「金髪のエックベルト」への序曲
     4)シューマン:交響曲第3番


ブラームスがウィーン楽友協会音楽監督として組んだプログラム(伝記【西原稔】p.112)
曲数の多いもの
【I】1873年12月7日
     1)シューベルト『ファエラブラス』序曲
     2)フォルクマン『コンチェルト・シュトゥッケ』
     3)バッハ:カンタータ第60番からのコラール『満ち足りて』
     4)ベートーヴェン:合唱幻想曲

1874年4月19日
【J】
     1)ハイドン:変ホ長調の交響曲
     2)ディッタースドルフ:ヴァイオリン協奏曲
     3)ブラームス『運命の歌』
     4)バッハ:パストラーレ
     5)ヘンデル『ソロモン』からの合唱曲

1874年11月8日
【K】
     1)ルビンシュテイン『ドミトリ・ドンスコイ』序曲
     2)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番
     3)ベルリオーズ『イタリアのハロルド』

1875年1月10日
【L】
     1)メンデルスゾーン『カラマーチョの結婚』序曲
     2)ヨアヒム:ハンガリーの旋律による協奏曲
     3)ブラームス『アルトラプソディ』
     4)シューマン:ヴァイオリンとオーケストラのための幻想曲
     5)バッハ『おお、永遠の炎』


12例では心細いのですが、これでも
・「交響曲≦シンフォニー」は18世紀中葉以降コンサートの初めに置かれる傾向が強く
・それがだんだん「(明白に)序曲(と称されるもの)」に地位を譲って行き
・コンサートの最後もまた、むしろ協奏曲的なもの、声楽を伴う大規模曲である割合が高く
・19世紀中葉から「交響曲」がコンサートの締めくくりにも使われ出した
なる一般的傾向は垣間見られます。
もう少し数を集めたかったのが正直なところですね。(T_T)

なお、19世紀オーケストラの運営事情やその社会的背景については日本語しか分からん私のような者にはいまだに

Chr.-H.マーリンク/大崎滋生『オーケストラの社会史』(音楽之友社 1990)

に勝る好文献がありません。古書でしか入手出来ないのが残念ですが、探せばむしろ安く入手出来るかもしれないのだから(新刊では3,500円でした・・・古書では半値にはなっています)、いいのかなぁ。

このなかのいくつの文には注目しておく必要があります。

ヴュルツブルクでは、司教座が廃止される前の最後の二人の公爵司教のもとで(1779-1801)、それまで宮殿内で教会音楽のみを行なっていた宮廷楽団は、1786年から始まった愛好家によつ公開コンサートにも、また1797年に設立された”大学合奏団”(Collegium musicum academicum)”にも参加するようになった。・・・ヴュルツブルクの教会資産は1802年に世俗化されたために、こうした音楽活動は重要な支えを失ったように見えたが、1804年に設立された市立劇場が代わって活動の継続を保証した。(p.42)

「(ミュンヘンのパン屋のパウル・フッター)の企画と支援により、かつて修道女教会であったところに音楽を愛好する人々が集った。楽器と大作曲家の作品(これはみな我々のパウルの出費で入手された)を集めて、ハイドン、モーツァルト、その他たくさんの人々の有名な作品を演奏できるようになった。当地の宮廷楽団のメンバーでもあるヨハン・モラルトがこの企画の音楽上の指導者で、彼は愛好家に練習させ、聴衆に快い時間を与えられる唯一の人である。」(1811年記事の引用、p.50)

コンサートの質の向上に対する社会的要請から、すでに19世紀初めにディレッタントたちは次第にオーケストラに加わって演奏することから排除され、その運営面を担当したり、聴衆としてのみコンサートに参加する傾向が顕著になってくる。(p.55)

18世紀においては作曲家は自分がよく知っているオーケストラのために書くことが普通であった。その作品が演奏されるオーケストラについてよく知らない場合には、情報を集めるか、経験に基づいて編成の変更を提案したりした。・・・(ハイドンとモーツァルトのケースを例示)・・・18世紀前半から中盤にかけて、音楽の発展全体と関連して、オーケストラのおそらく・・・(以下、その経過についての記述)・・・18世紀後半にはトゥッティ楽器群から通奏低音担当グループが抜け落ちて、ソロ楽器群においてのみ、それはレチタティーヴの伴奏役として残った。(中略)それぞれの楽器には新しい機能が割り当てられ、たとえばホルンにはオーケストラを和音によって支えるという役割が課された。オーケストラのサウンドに対する概念も大きく変化して、それがオーケストラの生まれ変わりを決定づけ、18世紀の終わり頃にオーケストラからチェンバロが最終的に消えていった。(p.75-76)

チェンバロの残存がいつまでだったかは明確ではありませんが、19世紀初頭には確実に消え失せていましたから、最後の文も妥当だとみなせます。
ハイドンやモーツァルトは最後の引用文(p.75-76のもの)の時期のオーケストラを念頭においていたのであり、ベートーヴェンは最初の引用文(p.42のもの)の時期のオーケストラに依存していたこと、シューベルトはまさにそういうオーケストラの直中にいたこと、等は留意しておかなければならないでしょう。
これは、ハイドン以降の「交響曲〜シンフォニー」の内容・創作数の変貌と相関関係にあるものと感じられます。
であれば、日本ではこのところそればかりしか書かれない「交響曲」の本が、以上のようなオーケストラの変貌を念頭に置いていないのは、他のジャンルに比べ、本をお書きになった人々の視点の置き方には、かなりの「錯誤」があるものと思いながら読まざるを得ません・・・が、別段それをどうのこうの言うのが目的ではありませんので、直接どの本がどう、という話はするつもりは今後もありません。ただ、「一般人」が感じる、書籍の論点の奇妙さについては、まずはシューベルトの交響曲に関連づけて、これから少し疑問を呈させて頂きたく思っております。

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