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2011年1月23日 (日)

ロッシーニは何故オペラを書かなくなったか

24essays 大井浩明さんPortraits of Composers(POC)最終第5回は来たる1月29日19:00〜、門仲天井ホールにて。採り上げられるのは今年傘寿、先ごろ中村和枝さんの演奏(作曲家自身も最終曲で連弾参加)によるアルバム「24のエッセーズ」を出された、流麗な作風の松平頼暁さんと、中堅作曲家として不思議な音世界を堪能させて下さる田中吉史さんの作品です。
田中吉史さんのプロフィール作品解説が大井さんのブログに掲載されました。
また、ラヂオつくばで24日(月)に紹介番組があり、水曜日に再放送されます。こちらの一覧から関東のなかの「ラヂオつくば」脇にある<放送を聴く>をクリックすればパソコンで聴取出来ます(VLCが必要な場合があります。ダウンロードする場合はVLCのリンクをクリック下さい)。


「第37回スペインギター音楽コンクール入賞者によるニューイヤーコンサート」は、1月30日、台東区生涯学習センターにて。是非お出掛け下さい。


Lecomteory 先日風邪で寝込み、ちょうど良いから、と、ぼんやり、ロッシーニのオペラの映像ふたつを眺めて過ごしました。

見たのは、「ランスへの旅」と「オリー伯爵」。後者は前者の音楽を転用したものです。が、これも転用だらけであるはずの「セビリアの理髪師」同様、すべては「オリー伯爵」にふさわしい歌へと見事に昇華しているため、こちらの音楽を耳にしただけでは転用だとは思えません。
「セビリアの理髪師」が複数作からの転用をしたのに対し、「オリー伯爵」は「ランスへの旅」一作からの転用にとどまっている、という事情が、ニ作を対比したとき、さらに驚嘆の声を私たちにあげさせます。仕上がった作品は、全くの別物です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BC%AF%E7%88%B5

「オリー伯爵」が、やがて売れっ子となるスクリーブによって書かれた珍妙な台本にも支えられたことにもよるのでしょうが、必ずしもこの台本作者を 好んでいなかったらしいロッシーニが、彼のブッファのなかでも殊更変態的なこのオペラに、国王シャルル10世の戴冠を当て込んだ「ランスへの旅」の音楽か ら何故こんなにもふさわしい配列や声部の変換をなしえたのか、と不思議になります。錬金術は化学の世界では通用しなかったものの、十九世紀初頭には、ロッ シーニという大魔術師を輩出していたのでした。
「オリー伯爵」後半の、偽修道女となったオリー一党が淑女の館で主人の目を盗んで繰り広げる酒盛りの場面は、音楽共々、後のオッフェンバックの 「ホフマン物語」の最初の酒場の場面を連想させてくれます。ここには、「ランスへの旅」で場面に転換をもたらすバスの難しいアリア、「セビリアの理髪師」 中の有名なフィガロのアリアを思わせる楽しくも超絶技巧的な歌が転用されていますが、両作共に挿入効果は抜群です。

で、この、酒宴の場面で「ホフマン物語」を思い浮かべた瞬間、あっ、と、感じ始めました。

「ランスへの旅」と「オリー伯爵」の間には、同じ音楽が使われているとはいいながら、深い裂け目がある、ということを、です。

思いつきだけに、これは甚だ主観的な受け止めかたではあります。
ただし、キーワードはしっかりあります。
ひとつは「ランスへの旅」からも明白な、シャルル10世の王室とロッシーニの経済事情の密接な関係であり、対するもうひとつは、「オリー伯爵」における、傀儡的なものに向けられた意地悪く醒めた目線です。
特に後者はロッシーニがそう好んだ目線ではなかったらしいこと(マリオ・ニコラーオ『ロッシーニ仮面の男』176 ページ等参照)、恐らくはそれゆえに、類似の精神をより昇華させた「ギョーム・テル」を仕上げたくてたまらなかったこと、といった、作曲家の補償行動に よって、シャルル10世失脚後のロッシーニのオペラ創作断念に繋がる大きな葛藤を生み出す一因になったのではないか、と感じられてならないのです。

「ランスへの旅」は、シャルル10世の戴冠式に向かうヨーロッパ貴族たちがフランスの外れの温泉宿に終結して繰り広げる喜劇ですが、ロッシーニは この中でヨーロッパ各国の国歌を取り入れ、シャルル10世のみならず、ヨーロッパ各地に「媚び」を売ったとも見える手法をとっています。そしてそのフィ ナーレで、フランス王室を華やかに礼賛します。続いてヨーロッパが対立者と見なしていたアラブ世界にヨーロッパが精神的勝利をおさめる「コリントの包 囲」(傑作だったが時期尚早で失敗した「マホメット二世」の改作)を成功させ、ロッシーニは1826年にはフランスの〈国王付の主席作曲家、フランスの声 楽総監督〉なる役職を手中にしたのです。

一方、音楽は同じでありながら内容が全く対照的な「オリー伯爵」は、1828年のもので、シャルル10世の政治に不満を募らせてきたブルジョア ジーの発想を反映しはじめていると思われます。この作から翌年の「ギョーム・テル」の上演までにかけて、ロッシーニは先に得た名誉の地位から得られる報酬 を、〈国王付の主席作曲家〉と〈フランスの声楽総監督〉で別々に分離することを画策していたようです。すなわち、この頃には、ロッシーニは来るべきシャル ル10世の政権崩壊を暗に予想していたのではないか、と思われるのです。
画策がうまくいったのか、ロッシーニは「ギョーム・テル」の上演に踏み切ります。が、「オリー伯爵」のハチャメチャに比べ、これは聴衆には真面 目で重すぎる「改革」だったと考えられています。イマイチだった反応に落胆したロッシーニは、テル初演の10日後、フランスを後にしています。端的には、 ロッシーニはこの時点で、来るべき新時流には自分は乗れない、と、半ばは諦めだしたかのようです。

1831年・・・シャルル失脚の一年後(その間に自分の債権を主張する訴訟のためにいちど単身でパリに戻ったことはありますが)再びパリに腰を据 えようとしたロッシーニを直撃したのは、もはやロッシーニの志向とはあいいれない直裁な内容の、例えばマイヤーベア「悪魔ロベール」などの、スクリーブが 台本を書いた作品のヒットでした。

まだ絶頂の中にあった1827年に故郷在住の母を失い、その臨終を看取れなかった悔いもロッシーニを無気力にした、というのが、『ロッシーニ 仮面の男』の所説です。同書はまた、ロッシーニがこの当時から肉体も精神も病魔に支配され始めていることを指摘しています。

シャルル10世の時期に王室と結んだ契約による終身年金の権利は1835年には保証されました。これで経済的な苦しさと縁が無くなったことがロッ シーニに「食道楽」の、オペラを書かない晩年を過ごさせた、と思われるのが常でしょうが、であればロッシーニは1835年までオペラを書いていても良かっ たはずです。
やはり、彼にオペラの筆を断たせたのは、「テル」で感じた挫折と、そこからの復帰をも視野にパリに戻ったときに、もはやロッシーニの志向とは相容れないオペラ群が隆盛しているのを目の当たりにした失意だったのではないかと考える方が良い気がします。

『オリー伯爵』の内容でオペラが描ければ、ロッシーニには多分まだ救いがあったのです。これはずっとあとにオッフェンバックが描き続けることと なった精神風景と大変よく似ています。ただし、ロッシーニ自身はオッフェンバックを快く思っていなかったし(『ロッシーニ 仮面の男』264ページ等)、 オッフェンバックの音楽を皮肉ったピアノ小品も創作していたので、書けていたとしてもまたオッフェンバックとは違う世界のものにはなっていたでしょう。

さらに、ロッシーニが社会にどう見られていたか、が、『オリー伯爵』路線ではロッシーニに活路がなかったことを明白に教えてくれます。パリでのこ とではなく、1843年には退いていたボローニャで五年後に彼の身の上に起こったことですけれど、自由主義には必ずしも寛容ではなかったロッシーニにたい する人々の目の色合いを物語るエピソードではあります。

(1848年4月27日、イタリアの義勇軍の)ある一隊がロッシー ニの家の前に立ち止まり、軍楽隊が彼に敬意を表そうとした。隊列の最後にはシチーリアから来た義勇兵たちがいたが、かなり疲労した彼らは予定外の休止に苛 立った。彼らが叫びを上げ、口笛を鳴らし始めると、民衆の一部がそれに和す。皆は「反動主義者、反動の金持ち、保守野郎」と叫んだのだ。最悪の事態を恐れ たロッシーニは、翌朝、フィレンツェへ逃げた。(『---仮面の男』240ページ)

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コメント

なんの根拠もない妄想ですが、私はずっと以前から別の考えを持っていました。それは、あのいい加減な性格のロッシーニ(それは三日間でオペラを書いたり、書き殴った音符等から判断してますが)もしかしてゴーストライターがいて、自分で書いてないとか。 それで、例えばそのライターの死とかで、先が続かなくなった。とか(笑)  いや何も根拠がないです。

投稿: たお | 2011年1月23日 (日) 20時54分

わぉ、たおさん、ありがとうございます!

>ゴーストライターがいて、自分で書いてない

う〜〜〜む。
あったかもしれない。

それだったらヘンデルも・・・(><)

投稿: ken | 2011年1月23日 (日) 22時49分

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