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2010年12月 7日 (火)

【クリスマスの音楽】生月島のオラショから

大井浩明さんの第4回Portraits of Composers「平義久×杉山洋一」2010年12月15日(水)19:00開演(開場18:30)門仲天井ホールにて。

関連放送はラヂオつくば:FM 84.2 MHzで12/6(月) 18:00~18:30、再放送12/8(水) 24:00~24:30に聴けます。同時間帯に、インターネットのサイマル放送でも聴けます。聴取方法については下記の杉山作品解説記事リンクをご覧下さい。

杉山洋一さんの作品解説・プロフィールは大井さんのブログに掲載されました。たいへん心魅かれる解説文です。ぜひお読み下さい。

http://ooipiano.exblog.jp/15549738/

 

杉山作品が聴けるサイトへのリンクは、こちら。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-6321-1.html

前回大井さんが作品を演奏した伊左治直さんによる杉山洋一エッセイ

http://ooipiano.exblog.jp/15568547/


このテの話のときにいつも助けてもらう、八木谷涼子『キリスト教歳時記』(平凡社新書 2003)を参照しますと、12月3日は聖フランシスコ・ザビエルの日、12月6日が聖ニコラウス(いわゆるサンタクロース)の日、となっているのがまず目を引きます。いずれも過ぎてしまった日なので、すみません。
サンタクロースの日がクリスマス・イヴではないのが面白いといえば面白いのですが、そっちの話題は機会があれば、ということにしましょうか。ちょっと別の日との兼ね合いもありそうだし。

ザビエルの日を祭日とするのはカトリックと聖公会、それに準ずるのはルター派だけのようです。 この日は、日本を含むアジア地域に広くカトリックを宣教したザビエルが、広東沖の上川島というところで亡くなった日なのだとのことです。 八木沢著によりますと、1999年にもザビエルの聖腕(遺体のうち、右腕の一部)が日本を巡回したそうですが、私の母が子供のときに見た、と訊かされています。1949年のことだったようです。1999年の際については、下記リンクのようなwebページを見つけました。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/a-kgs/seiwan.htm

ザビエルの言葉は、講談社学術文庫『ザビエルの見た日本』など、いくつか手軽に読むことが出来る本があります。

ザビエルが伝えようとしたキリスト教が、結局日本に定着しえなかったのは、周知の通りです。 が、ザビエルの来日6年後の1555年には、大分に日本人聖歌隊が生まれていたことなどが記録に残っているそうです。以後、1614年(禁教令なるものが発せられた翌年)頃に始まったとされる大弾圧まで、途中に豊臣秀吉によるバテレン追放令(1587)があったりしても、とくに九州には根をおろしかけており、1600年には天草地方で竹筒パイプのオルガンが何台も製造されていたそうです(團伊玖磨『私の日本音楽史』65頁)。また、1605年には有名な『サカラメンタ提要』日本語版が長崎で印刷されています。これに記載してあったのは、カトリック教会の洗礼・告解・聖体・婚姻などについてのルール(秘磧マニュアル)で、1585年にスペイン、1560年にメキシコで発刊されたそうです。その中には聖歌(葬儀と協会訪問のものに限られる由)も収められているものの、聖歌の旋律と記譜法は印刷された国により違っているとのことです。日本のものには葬儀向け13曲・高位聖職者の教会訪問のための聖歌6曲が、大型の定量音符を使った五線のネウマ譜で載せられています(團著53頁に写真の記載がありますが、竹井成美『南蛮音楽 その光と影』からの転載であると断られています)。
1614年に始まった弾圧の後、九州に築かれたこうしたキリスト教音楽の芽はことごとく摘まれてしまったのですが、長崎県の島々には、いわゆる「かくれキリシタン」がずっと存在し、祈りの言葉(オラショ)を小声で唱え続けていたそうです。
ここまでの文の資料にしている皆川達夫『洋楽渡来考』CD解説によると、 「かくれキリシタン」とは、

徳川幕府のきびしい詮議をもと、キリスト教を棄てたとして踏絵をふみ、しかし潜伏して心のうちの信仰を守ってきた人々

であり、

1873年(明治6年)の禁教令撤廃の後もキリスト教会に戻ることなく、潜伏時代から伝承されてきた独特な信仰----正統的なキリスト教からいちじるしく変容した一種の汎神的な信仰を今なお受け継いでいる

とのことです。

「かくれキリシタン」でも、大きな平戸島の北西に身を潜めるように浮かぶ生月(いきつき)島の人々が伝えるオラショは、地図に見る島のささやかなたたずまいとは全く印象が異なり、これが「かくれキリシタン」なのか? と耳を疑いたくなるほど大声で豪勢に唱えられるものです。これは、皆川さんの私見によれば、次のような事情が推測されています。

「弾圧の時代に生月の島民の多くが捕鯨業に従事していたことによって詮議の手は他地域と比較して多少ゆるく、いささかの目こぼしがあった故と思われる。」

祈りの大半は言葉を唱えるもので、しかも独特の訛りのために元のラテン語がどんなであったかが、皆川さんたちによる解明までほとんど分からなくなっていました。 その祈りを唱える部分が、民が集まって仏教のお経を唱えるのとイントネーションが似ていたりするので、そちらもお聴かせしたいところだったのですが、いちおう、「歌オラショ」のほう・・・メロディをもつもの・・・の方を聴いてみましょう。

らおだて(『洋楽渡来考』CD3から:「らおだて」)

面白いのは、歌が五音音階化(実際にはソラドにあたる3音のみ)していることで、これは元からそうだったのか、伝承の過程でそうなったのか、分かりません。
もうひとつ面白いのは、耳にした限りの他の歌オラショにはなかったことなのですが、今回挙げた例では歌が終始ほぼしっかりと完全五度で歌われ続けていることで、これは歌っているかたの声の高さの都合なのかどうなのかもまた、分かりません。

團さんと皆川さんが当時の日本人の歌唱技術をみる目が対照的なのも、実はベースを同じくしているのではないかと感じられるところがあり、このあたりを考えるときに念頭に置きたいところです。

皆川見解:(提要中の聖歌は)一般信徒が歌うことは不可能で、専門的な訓練をうけた聖職者ないし聖歌隊、またコレジョやセミナリヨで音楽を修得した神学生たちによって歌われたものである。逆にいえば、洋楽を習得していた当時の日本人たちの音楽的水準は相当程度に高かったことを証明している。(『洋楽渡来考』CD解説8頁)

團見解:・・・日本人の和音、あるいは重唱・合唱に代表される各声部の対比的進行に無自覚であることは、現代でも一般の日本人の感覚として残っています。・・・当時の日本人の洋楽技術では、鍵盤楽器に比べて弦楽器演奏のレベルはずっと落ち、声楽はさらに落ちたということになるでしょう。もちろん、声楽については言葉のハンディも加わっていたと思います。・・・やはり、日本語の歌には日本語のための発声が一番合っています。つまり言語と発声とは一体のものだから、よく理解していないラテン語で歌っても、うまくいくはずはないのです。(團著69頁)

クリスマスには直接関係ないのですが、こういうものも知っておいて頂くのは悪くないことだと思いましたので、ご寛容に願います。

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