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2010年12月20日 (月)

ど素人 平曲考(12)『横笛』鑑賞 【とりあえず一段落】

埼玉県立大宮光陵高等学校、恒例の年末の定期演奏会は12月23日です。
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/25-4f53.html



(1)入口(2)曲節概観(3)琵琶の手(4)平曲の構成(5)口説(6)初重(7)三重(8)中音(9)拾等(10)折声、差声、歌(11)本文から想像する曲節(12)『横笛』鑑賞


「クラシック」を謳っているからには、ヨーロピアン・クラシックのブログでなければならんのですが、平曲すなわち「平家」を採り上げて来た理由は、後で申し上げます。

で、ちと煩雑になりましたが、ここまで、「平家」(平曲、平家琵琶)の、とくに名古屋に残っていて今井勉検校が録音を出している8つを主な素材とし、「平家」の曲(句)構造、その要素である曲節について、いくつかの本を参考にしながらみてまいりました。前回は、それを要約した上で、文学としての『平家物語』本文から逆に曲節が推測できないかどうか、を試してみたりしました。ご興味に応じてトライしてみて頂けたら面白いのではないかと存じます。

平家琵琶、と俗に呼ばれるところから今日の私たちが描くイメージからすると、初めて聴く「平家」は、琵琶の手数(てかず)が結構少ないのが意外だと思われるかもしれません。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が採話し『怪談』で昇華させた「耳なし芳一」の話から私たちが現在想像しがちな激しい琵琶は、同じく平家物語を素材にするようになった薩摩琵琶の演奏のほうがよく聴かれるようになったところに由来するのでしょう。

とはいえ、本来の平家琵琶、すなわち「平家」でかき鳴らされる琵琶は、それを用いながら語られる言葉を引き立てる上で最も適度な手数と適切な調べになっているもの、と、私は思います。使われた琵琶は雅楽の楽琵琶に由来するとされています(ただし、単純にそうであると言ってしまうべきではないことについては、兵藤 裕己『琵琶法師—“異界”を語る人びと』【岩波新書】およびその記述に従い一遍上人絵伝をご覧下さい)。実際、楽琵琶単独を雅楽から抜き出したものや、琵琶単独の秘曲として引き継がれているもののテンポ感は、平家琵琶と類似するものを持っています。

「平家」を語った琵琶法師たちは、次世代に盛んになる「能」の世界とも活発に交流したらしく(山下宏明『琵琶法師の「平家物語」と能』塙書房 2006 など)、「平家(平曲)」の構成は、たしかに謡曲にかなりの影響を与えたことが、じつは曲節の名称や繋がれ方から充分に推測されます。
ですので、今回、「平家」の中の一句を、そのすべては掲載できませんので、ハイライトをいくつかネタにして鑑賞の手がかりとし、いったん「平家」の世界から歩を進め、「能」に注目して行きたいと思います。

鑑賞するのは『横笛』にいたします。
これが、「平家」に少し突っ込んでみたい、と思ったきっかけになった平曲でした。
大井浩明さんがPOC第2回で採り上げた松平頼則のピアノ組曲『美しい日本』のなかに、この『横笛』を素材とした章があったのですが、記憶の中の松平作品は、平曲の歌い語りのほうを軸にし、琵琶の手については平曲の原態よりもロマンチックなかき鳴らしを試みているように感じ、20世紀の洋楽系作曲家としては日本の素材にもっともこだわった松平氏が、果たしてどんな意図でどんなふうに日本の伝統を引き継いだのかを考えてみたかったのでした。ただし、『美しい日本』は市販の録音が存在せず、楽譜も現在入手不可能ですので、実際の対応関係を見ることは出来ません。

『横笛』本文の鑑賞は、啓蒙書としては、これも現在では新刊では手に入らない山下宏明編『平家物語の世界』(朝日カルチャーブックス 大阪書籍 1985、こちらは古書で入手可)の中で、平曲の実際にもお詳しい山下さんご自身がすばらしいお話をなさっています。こちらではそれを援用しきれませんので、実際にお手に取ってみて頂ければ幸いです。

ここでの鑑賞は、先に申し上げました通り、断片的に終わります。ただ、『横笛』は、名古屋伝来のものを録音(一部伝来や復元曲は含まれていない)した今井勉さんのCDのほか、現在唯一手軽に聴くことの出来るCDでは井野川検校のもので聴くことが出来ますので、完全な姿を耳にしたい場合、もっともそのチャンスが多いものでもあります。

『横笛』は合戦場面等がないので、活発な「拾」は全く登場しません。その曲節構造を単純化して見れば、

口説折声差声三重折声差声中音

と、山場の三重を中心にして「折声〜差声〜中音(初重)」を聴かせる<だけ>のものではあります。

が、実際に全編を聴くと、『横笛』は、この曲節の組み合わせの後半部に「上歌・下歌」を配して物語の余韻を強調する方法を採用していることで、この物語の持つ<意味>を絶妙に浮き出させているのが分かる、大変興味深い性質を生み出していることが分かって来ます。今井勉さんが『横笛』を習ったのは、8つの現存句のうちの最後から2番目だったことが、『横笛』の持つ微妙なニュアンスの演奏の難しさ、それゆえの味わい深さを物語っているようにも思います。

本文と、それに付された曲節を記し、間の部分をまとめてお聴き頂くことで、全編の鑑賞に代えることをお許し下さい。なお、括弧内の部分は覚一本『平家物語』の本文中で現行の平曲『横笛』では語られない部分です。その部分は覚一本の本文(講談社学術文庫のもの)に忠実に写しておきます(巻十)。現代語訳は文庫等の書籍でご確認下さいますよう。また、発音される読みも本来触れたいところでしたが、今回は省略します。

(さる程に、小松の三位中将維盛卿は、身がらは八島にありながら、心は都へかよはれにけり。故郷に留めおき給ひし北の方、をさなき人々の面影のみ、身にたちそひて、忘るるひまもなかりければ、「あるにかひなきわが身かな」とて、元暦元年三月十五日の暁、しのびつつ八島の館をまぎれ出でて、与三兵衛重景、石童丸と云ふ童、船に心得たればとて武里と申す舎人、是等三人を召し具して、阿波国結城の浦より小船に乗り、鳴門沖を漕ぎとほり、紀伊路へおもむき給ひけり。和歌、吹上、衣通姫の神とあらはれ給へる玉津島の明神、日前・国懸の御前を過ぎて紀伊の湊にこそつき給へ。「是より山づたひに都へのぼ【ッ】て、恋しき人々を今一度見もし見えばやとは思へども、本三位中将の生取にせられて大路をわたされ、京鎌倉、恥をさらすだに口惜しきに、此身さへとらはれて、父のかばねに血をあやさん事も心憂し」とて、千たび心はすすめども、心に心をからかひて、高野の御山に参られけり。)

【口説】高野にとしごろ知り給へる聖あり、三条の斎藤左衛門茂頼が子に、斎藤滝口時頼とて、元は小松殿の侍なり、十三の年本所へ参りたりしが、建礼門院の雑仕に横笛といふ女あり、滝口かれに最愛す、父この由を伝へ聞いて、いかならん世にある人の婿にもなして、出仕なんどをも心安うせさせんと思ひ居たれば、由なき者を見初めてなんど、あながちに【下ゲ】諌めければ、滝口申しけるは、

(以下、中音の部分までを、井野川幸次検校の録音からお聴き下さい。COLUMBIA COCF-7889)
西王母・・・

【折声】西王母といひし人、昔はあって今はなし、東方朔と聞こえし者も、名をのみ聞きて目には見ず、老少不定の世の中はただ、石火の光に、異ならず

【差声】たとへ人長命といへども 七十八十をば過ぎず、そのうちに身の盛んなることはわづかに二十余年なり、【中音】夢幻の世の中に、醜き者を片時も見て、何かせん、思はしき者を、見んとすれば、父の命を背くに似たり、これ善知識なり、しかじ憂き世を厭ひ、実の道に入りなんにはとて、十九の年もとどり切って、嵯峨の往生、院に、行い澄ましてぞ、居たりける、

【口説】横笛この由を伝へ聞いて、我をこそ捨てめ 様をさへ、変えけることの恨めしさよ、たとひ世をば背くとも、などかかくと知らせざるべき、尋ねて今一度恨みばやと思ひ、ある暮れ方にひそかに【下ゲ】内裏をば紛れ出でて、嵯峨の方へぞ、あこがれける、

【三重】頃は二月、十日余りの、ことなれば、梅津の里の、春風に、よその匂ひも、なつかしう、大井川の、月影も、霞にこめて、おぼろなり、【下リ】ひとかたならぬ哀れさも、誰れ故にとこそ、覚えけめ、往生院とは聞きつれども、定かに、いづれの坊とも知らざりければ、ここにやすらひ、かしこに、たたずみ、尋ねかぬるぞ、無残なる、

【素声】住み荒らしたる僧坊に念誦の声のしけるを、滝口入道が声に聞きなして 様の変はりはておわすらんをも今一度見もし参らせんがために わらはこそこれまで参って候へと 具したる女をもつて言はせたりければ 滝口入道胸打ち騒ぎ浅ましさに障子の隙より覗いてみれば 裾は露 袖は涙にしをれつつ まことに尋ねかねたる有り様 いかなる道心者も心弱うやねりぬべし 人を出だいて 全くこれにはさることなし もし門違へにてや候ふらんと つひに会はでぞ【ハヅミ】返しける、

【口説】横笛情けなう恨めしけれども、さてしもあるべきことならねば、涙を抑へて帰り上りにけり、そののち滝口入道【下ゲ】同宿の、僧に語りけるは、

【折声】これも世に静かにて、念仏の障碍は候はねども、飽かで別れし女に、この有り様の見えて候はば、たとへ一度こそ心強くとも、またも慕ふことあらば、いとど心も、働き、候ひなんず、【初重】いとま申してとて、嵯峨をば出でて、高野へ上り、清浄心院にぞ、居たりける、

【差声】そののち横笛も様変へぬる由聞こえしかば、滝口入道高野の御山より一首の歌をぞ送りける、

【上歌】剃るまでは、恨みしかども、梓弓、実(まこと)の道に、入るぞ嬉しき

【半下ゲ】横笛の返事に

【下歌】剃るとても、なにか恨みん、梓弓、引きとどむべき、心ならねば

【中音】そののち横笛は、奈良の法華寺に行ひ澄まして、居たりけるが、その、思ひの積りにや、幾程なくて、つひにはかなくなりにけり、滝口この由を伝へ聞いて、いよいよ深う行ひ澄まして、居たりければ、父も不孝を許しけり、親しき者も、みな用ひて、高野聖とぞ、申しける、

(三位中将、是に尋ねあひて見給へば、都に候ひし時は布衣に立烏帽子、衣文をつくろひ、花やかなりし男なり。出家の後は今日はじめて見給ふに、未だ丗【さんじふ】にもならぬが、老僧姿にやせ衰へ、こき墨染に同じ袈裟、思ひいれたる道心者、うらやましくや思はれけむ。晋の七賢、漢の四皓が住みけむ商山、竹林が有様も、是には過ぎじとぞ見えし。)

文学としての鑑賞は意図しておりませんが、以上の文にはたらいている作為の傍証を少し申し添えておきます。
講談社文庫の注釈にもあり、先の山下さんのお話にもありますが、『平家物語』の異本(延慶本)では、滝口入道は尋ねて来た横笛に説教し、横笛はそれを聞いて出家したことになっています(講談社学術文庫に該当箇所の引用があります)。歌は延慶本では滝口入道と横笛のものは作者が逆になっており、上の文で入道が詠んだことになっている歌は横笛が出家の際に詠んだものとされています。また、横笛の籠った寺の名前も異なっており、出家した後の横笛は桂川に入水した、という話になっているとのことです。このあたりの機微については、山下さんのお話をお読み頂いたほうがよろしかろうと思います。

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