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2010年10月21日 (木)

松平頼則「近代和声学」(1)「序」および第1篇第1章

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いちど雑誌上に載ったものを軽くご紹介しただけで、それでやめておこうと思ったのですが、先日彼のピアノ作品を大井浩明さん「POC」第2回で集中して聴かせて頂いて、ちょっと考えが変わりました。

昭和の中葉以降、太平洋戦争の敗戦後とくに、日本人が日本人の手で自由な枠組みの、ただし平易さよりは著者の体系を大切にして、「和声学」なり「対位法」なり「作曲法」の本を必死で書き、出版した時期が続いていたはずです。私が音楽に興味を抱いたのは、その最後の時期に当たっていたかと思います。いまでは教科書的なもの以外には、そうした試みは絶滅に瀕しているのではないかということに、ふと思い当たりました。

松平頼則の「近代和声学」は、和声の「教科書」には甚だイメージの遠い著作です。
しかしながら、自作を始めとする日本の戦後作品をも交えながら、幅広い響きの実例を譜例として豊富に採り上げている点で異色です。その内容をあらためて瞥見しますと、松平作品が「日本嗜好」だと単純に捉えることがいかに誤りであったか、を反省させられさえします。

私は理解力が非常に低いので、一通りご紹介しようとするとかなり時間がかかることになるでしょう。
ですので、思い立った時にちびりちびり、かつ、著者が紹介している実例からはほんの一部をお聴き頂けるならばお聴き頂けるようにしながら進めて参りたいと思います。・・・従って、次回がいつになるかは自分でも見当がつきません。

最低限ご紹介しなければならないのはその序文と目次なのですが、今回は「序」の3分の2ほどを引いておきたいと存じます。(序の日付:昭和29年12月20日、印刷:昭和30年1月10日、当時の価格460円、音楽之友社)



「序」

調性が崩壊し始めてから----くわしくいえば十九世紀の最後の四分の一世紀以後----書かれた多くの作品について、今迄の和声学の理論の枠からはみ出す多くの例を私たちは発見する。作曲を志す人々----初歩の教程を終えた----はこの未知の世界に恐怖を感じ----或は保守の格子のない牢獄に閉じこもるか、或は無謀の急進を敢てして音楽上の路頭に迷うであろう。私のこの小著が少しでも、近代の断崖(実は断崖ではない)をよじのぼる為のガイドの役をするならば、私の目的の一つは到達されるだろう。
更にも一つの私の目的は特に作曲を勉強している日本の若い人達がここに挙げた若干の例証から種々な考えを展開させ、発展させてほしい事である。
私はこの本を二つの部分に分けた。即ち「素材」と「応用」である。「素材」については前述したような目的から単にヨーロッパ諸外国の素材だけでなく、日本及び東洋諸国の素材を蒐集しようと試みた。又「応用」についてはヨーロッパ及び諸外国の傑れた作品の実例だけでなく、日本の作曲家達の作品から実例をも(可能な限り)蒐集しようと試みた。
この本の標題は「近代和声学」である。然るに私は敢てこの択んだ表題から逸脱してしまった。即ちここには若干のフーグ【フーガ】の技法の例や、十二音の技法の例などがある。しかしこれ等の例は車の他の一つの車輪である。私にとっては近代並びに現代の音楽の多様な道を通過する車をよく回転させる為に二つの車輪は絶対に必要だったのである。



付記:
松平頼則の卓見を示すものとして、「第一篇 素材」から、第1章の短い序説も併せて掲載しておきます。

十九世紀の最後の四半世紀以来の近代的作曲家達はそれまで尊重されて来たいくつかの原理に公然と背返した。即ち、極限にまで到達した調性は、古代旋法(ギリシャ旋法或はぐれごリア旋法)への復帰、或は異国的な起源を有する音階、東洋諸国の旋法等によって置き換えられた。又フランキズムの時代に発展した変質音は全音音階の招来をもたらした。
調性の転換はいよいよその速度を増し、多調性の使用によって、調的統一は破壊された。
即ち、異る調性はもはや継続的ではなく同時的に聴かれるようになった。又半音階性は益々頻度を加え、且つそれは各調に所属し得るが為に調性破壊の因子として働いた。この事は旋法がポリフォニーの発達によって解消したと同様に、調性はポリフォニーの発展を可能ならしめた要素である半音階を内蔵していた為に解消し始めたのである。

これだけでも、松平頼則という人の発想法についてはよくよく見直さなければならない事がクッキリ浮かび上がってきてはいないでしょうか?

次のチャンスには目次の大枠をご紹介したいと思います。

(なお、20世紀音楽については松平著のご紹介でいいのかと思っておりますが、19世紀以前についてはヨーロッパの本を同様にご紹介しなければならないと思っております。それは宿題とさせて下さい。)

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