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2010年10月23日 (土)

モーツァルト「イドメネオ」

ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。



さて、モーツァルトの作品そのものを追いかけるお勉強も、7月から3ヶ月もあいてしまいました。
(藤原定家はしばらくうっちゃってるし!!!)

ザルツブルク大司教と決裂しウィーンを本拠にすることとなる翌1781年を前にしての最後の大作は、オペラ・セリア『クレタの王イドメネオ』K.366です。(初演は1781年1月29日、ミュンヘンのキュヴェリエ劇場劇場にて。)

・・・間が空いてしまったわりには、そんなに述べられません。
・・・聴けば聴くほど素晴らしい作品であり、スコアを覗けば覗くほど、細やかな気遣いが伝わってくるのです。
・・・それはとうてい言葉で上手く言えるものではありません。なんとかまとまる範囲で述べます。

『イドメネオ』を初演した1781年当時のミュンヘンのオーケストラは、選帝侯の移住とともにうつってきたマンハイムのメンバーとミュンヘンの混成部隊であり、当時のヨーロッパでも最高水準の演奏が出来たはずです。
作曲の筋書きや創作経緯の概略については伝記類にありますから省くとしまして、モーツァルトは単に
「書きたかったオペラがやっと書けた」
だけでなく、オーケストラのレベルをも最大限引き出せる喜びをもって本作にとりかかったのではないかと思われます。

終幕には当時のオペラにつきものの長いバレエ音楽が付されており、その創作には、モーツァルト自身は辟易している旨を、初演11日前の1781年1月18日まで、さんざん書簡にこぼしているのですが(しかも、このバレエ音楽は今日の「イドメネオ」上演に際してオペラと一体として演奏されることはまずないでしょう・・・幕間の第8番後半のガヴォットなども省略されます)、それを入れても抜きにしても、劇中にオーケストラだけが活躍する箇所が豊富にちりばめられています。これは彼のオペラとしては珍しいことです・・・いや、他にはないかもしれません。なお、合唱にも舞曲名が記されていて、合唱とともにバレエも演じられたことが判明します。
終幕のフィナーレで、合唱と一体で書かれているため現在も省略されることなく演奏されるガヴォットは、K.503のハ長調ピアノ協奏曲のフィナーレと同一主題です。

切れ目をほとんど感じさせない作風は、当時のオペラの枠を超え、ヴァーグナーがわざわざ「楽劇」と称した類いの作品を確実に先取りしています。

また、調号と冒頭和音からすると長調でなければならない序曲が、常に短調と長調のあいだを揺れ動く曖昧さは、「無調」をまで予言するものではないかもしれませんが、他者の「疾風怒濤」の作品群と一線を画しているだけでなく、モーツァルト自身の序曲やシンフォニーでもこれしか存在しないと言って良く、斬新なものだったことが窺えます。

序曲はクラリネットを含みトランペットとティンパニを伴った完全な古典的二管編成であす。
クラリネットは第一幕の第2番【イリアに愛の告白をするイダマンテのアリア】、第6番【嵐から生還したイドメネオのアリア】、第三幕第19番のイリアのアリア【イダマンテが父イドメネオの意を汲んでエレットラと海に出るところを嵐で失敗した為に、イダマンテへの愛が叶う希望が繋がる・・・と記すとイリアがずうずうしく見えますが、むしろ謙虚な祈りの歌とでもいうべきものです】、第26番のイドメネオと神官のカヴァティーナ【イダマンテをネプチューンの犠牲にする決心をする】、第30番のレシタティーヴォ・アコンパニャート【ネプチューンの許しの声が低く響いたあとのイドメネオの敬虔な心情を表わす】といった、このオペラ中でも翳りの色合いを持つ名曲にしぼって使用されており、モーツァルトのこの楽器への入れ込み具合が伺えます。
第二幕の第17番の合唱(嵐を表わします)にはピッコロも用いられます。
第30番を前にしてネプチューンの神託が荘厳に述べられる箇所(第28番)では3本のトロンボーンが用いられます。この第28番は全部で4つの異版がNMAに記載されており、最短のaで9小節、最長のcで70小節ですが、私が録音で耳にしたものは、たしかどれもb(44小節)のものが使われていたのではないかと思います。

場面転換には管弦楽だけによる行進曲がよく使われています。

レシタティーヴォも、セッコよりはアコンパニャートが多い(しかも効果的である)のが、また珍しいことでもあり、モーツァルトのこの作品に賭けた意気込みをよく伝えてくれます。

それにしても、NMAに収められた本作品のスコアは、本編と付録に分けられてはいるものの、作曲にあたってモーツァルトが最後の最後まで活発に試行錯誤していたことを示す混乱を留めたものになっていて、まずそれに驚かされます。先の第28番に異版が4つ存在するのが、その最たる例です。が、もっとも大きな試行錯誤で、もっとも大きな成功を収めているのは、次に述べるナンバーです。
台本の根本的な欠陥として、イリアの敵役に位置するエレットラ(R.シュトラウスがずっと後年ものにした『エレクトラ』の主役と同一人物で、ギリシャ悲劇で有名)の存在感が極めて薄いのですが、当初はそれでも薄いままに放置して作曲が進められました。さすがにそれでは、と、モーツァルトはちょっと欲求不満だったのではないかと思われます。で、先述の第3幕の第30番の前にあるレシタティーヴォを書き換え(NMA本編には書き換え前のものが載っています)、本作中最も高い歌唱技術を求められるアリアを、エレットラに与えています。このあたりの経緯についてはNMA以外にはアルフレート・アインシュタインでさえも明確に述べていないのは不思議なことです。このアリアは、第3幕最初(19番)のイリアのアリアと共に、このオペラの中で最も有名なナンバーでもあります。

合唱の数が多く、それがことごとく場面を劇的に盛り上げることに成功しているのは、本作について触れたいくつかの記述が述べている通りです。モーツァルトの作劇技法をよく体現しているのが、この合唱の、幕が先に進むにつれての変容のさせ方でして、第1幕中ではザルツブルクで培ったミサでの書法を用いているために、彼の初期作品を好んで聴く人には大変なじみ深く思われる一方で、劇の内容の急展開・・・第1幕は特に、場面が速いテンポでころころかわります・・・に比べると物足りない気分にさせられます。囚われのトロイアの人々の手枷足枷が外される場面の合唱は、ザルツブルク・ミサではグローリアでよく使われた手法をそのまま用いています。ところが、二幕三幕と進むにつれ、合唱の様相は、最初の幕での動きの活発なものから、動きの少ない代わりに緊迫感溢れる分厚いものとなって行き、とうとう「レクイエム」を先取りするような漆黒の闇をさえ示します。それゆえに、締めくくりの明るい合唱は、開放的で、むしろ大衆的な喜びを素直に表現しているのが聴き取れ、これは直近のジングシュピール『後宮からの誘拐』の終曲を先取りして聴かせてくれます。
この合唱をキーポイントにし、独唱は最初の幕では最高音を合唱と同じg"音に置いたままにしてあって、第二幕以降、劇が本格的に緊迫していくにつれて最高音を上げて行くのです。これがまた、劇を効果的に進めるのですが、これは独唱者の声帯をいたわり、慣らしながらクライマックスに持って行かせる試みとして優れたものだと言っていいでしょう。

「クレタの王イドメネオ」のスコアは、NMA第6巻所載です。
コリン・デイヴィスが録音している2例はイダマンテを女性が歌っています(初演時はカストラートだったことにちなみます)が、グライトボーン音楽祭の映像では男性(テノール)が歌っています。現在入手出来るかどうかの確認はとっていません。コリン・デイヴィスの録音では終幕の舞曲が別建てでいれられています。モーツァルト当時の「シャコンヌ」がどのようなテンポで把握されていたかを知るには、「イドメネオ」終幕のバレエ音楽は重要な材料であり、かつ、当時のオペラの上演形態を知る為にも、舞曲で幕を閉じる映像があったらいいのだけれど、と思います。・・・でも、冗長になるかもしれません。

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