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2010年10月20日 (水)

阿部千春×大井浩明「モーツァルト」賛

阿部千春さんと大井浩明さんの「モーツァルト 作品2」の演奏についても触れておきます。

そんなに饒舌にならないように・・・

ケルンで活躍している阿部さんの、驚嘆すべきヴァイオリン奏法は、顎に挟むことをいっさい放棄していながら(レオポルト・モーツァルトが著書「ヴァイオリン奏法」の中で「演奏者にとってはハイポジションで速い動きをする時に、手が高い位置にくるのでむずかしい」【塚原訳40頁】と否定的に評価した古風な奏法です)、レオポルト・モーツァルトが同じ節で「(この持ち方では)バイオリンは全く拘束を受け」ないと評しているメリットを存分に生かすことに成功しています。なお、同じ文のすぐあとに「このような持ち方では、弓は水平よりも上下に弾くことになります」と言われており、16〜18世紀の肩に置く擦弦楽器を弾いているのを描いた絵などのように手首を下げたボウイングでしたらそのとおりになるのですが、阿部嬢のボウイングは水平です。もともとが近代の難曲コンチェルトもスラスラ弾いていた人ですから、近代ボウイングのメリットも熟知しているはずで、じつは彼女の弓遣いは単純に「バロック奏法」の復元ではないのだな、と知らされます。このボウイングがあることで、阿部さんはバロックだけでなく、古典派・ロマン派まででも、あるいはもしかしたら20世紀作品でも意のままに、楽器を自由に遊ばせながら弾ける貴重な技術を身につけているのだと言えるでしょう。・・・このボウイングなくして、先日拝聴させて頂いたような、軽やかながらも重み付けのしっかりしたモーツァルトのソナタ演奏はあり得なかったであろうと感じます。
これは、誰もがそうそう真似出来ることではありません。元来高い技術力を持っていたところへ、長年試行錯誤を重ねて身に付けた奏法なのですから。
古譜の解読や専門文献にも精通していて、裏付けがしっかりしていますから、もっともっと母国の日本人に
「こういう誇るべき人がドイツで活躍している」
ということを知って頂ければなあ、と、常々思います。

一方、大井さん。

大井さんを長く知る人は、現代音楽のエキスパートとしての大井さんから接しはじめたかたが圧倒的に多いのではないかと推察します。
私はその点例外的で、大井さんを初めて知ったのは、彼の録音したベートーヴェンを聴いてからでした。しかも、通常のグランドピアノではなくフォルテピアノなんかを使っているものだから、てっきり古楽畑のかただと思い込んでいたのでした。

http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/beethoven-sonat.html

・・・彼がクセナキスの演奏で名を馳せたことは幸いにしてすぐ知りましたけれど。

ただし、楽器がなんであろうと、私が本当に驚いたのは、上にリンクした記事で述べていました通り、その「楽譜の読み」の適切さでした。今回のモーツァルト演奏を前に、サロンコンサートの練習等を通じてオペラをも徹底的に研究したフシのある大井さん、こんなことを述べていらっしゃいましたので引用しておきます。

「アウエルンハンマー第1番第2楽章、コジ・ファン・トゥッテ。同第4番第1楽章、魔笛(第2主題等)。同第5番第1楽章、完全にドン・ジョヴァンニ、続くロマネスカによるパルティータ。同第6番第3楽章、初期ベートーヴェンと見紛う。全6曲を一度に弾くのは大変だけど、続けて弾くと見える風景も。」

・・・大井さんの本領は、バッハからクセナキスや21世紀作品までを、モダンピアノ・オンドマルトノ・フォルテピアノ・オルガン・チェンバロ・クラヴィコード、と、どんな鍵盤楽器でも弾ける(私はオンドマルトノとオルガンとチェンバロに付いてはまだ拝聴する機会を得ていません)、なるところにあるのではない、と私は勝手に思っております。勿論、そんな多彩な楽器を自在に操れることはそれだけで驚嘆に値します。ですが、所詮それは大井さんにとって「掴み得たイメージを表現をしたいがための手段」に過ぎないのだと感じるのです。
時代を超えた音楽をオールマイティに演奏したい、というのは、メンデルスゾーンのバッハ復活活動以降、多くの音楽家が抱いた幻想ではなかったかと思います。ですが、「自分らしさ」などというものにこだわる限り、それはことごとく失敗に終わり、野心は水泡に帰してきた・・・そういう例は、ドイツの指揮者で言えばマーラー、フルトヴェングラー、カラヤン・・・といった面子がハッキリ示してくれています。
人格的には「押しが強い」かも知れない大井さんが、しかしながら表面上オールマイティに見えるのは、オールマイティであるから、というよりはむしろ、どんな楽譜に対しても長時間虚心に臨み、分からなければ専門家さんに熱心に聞きながら研究を重ねた成果を演奏に反映させているからなのではないでしょうか? 「押しの強さ」を独善的な「解釈」にすることをしないため、大井さんの演奏は、どんなに激しく聞こえるものでも、常に安心して聴かせて頂くことが出来ます。

ですから、大井さんの演奏する「バロック」や「古典」を、現代音楽奏者としての(とくに東京方面の)彼のファンにも是非、ますます耳を傾けて頂ければ、と、切に祈る今日この頃です。

この2人の演奏するモーツァルトは、疾風の早さで駆け抜けていながら(実際はやめのテンポでした)、「かろやかなモーツァルト」を好む聴き手にはショッキングなほどに骨太でした。ヴァイオリンがノンヴィブラートなのも「モーツァルトはこんなに音楽が<強靭>なの?」と印象づけるのに一役買ったかもしれません。

ちょっと前のモーツァルト演奏でも、オーケストラなら山田一雄指揮のものは骨太でした(ただし、この前発売されたDVDではそうした最盛期の山田一雄カラーは聴けません・・・すぐあとに述べることと逆に、日本のオーケストラ団員の「ソロ弾き」としての資質が上がったことによります・・・これは単純に喜べることではありません)。これにはファンもいる一方で、モーツァルト愛好家からの反発もありました。反発の方にも道理がありまして、ヤマカズさん当時の日本のオーケストラ演奏では、「太くすれば重くなる」ので、肥満体の疾走のようになってしまう嫌いがあったのでした。

阿部さん大井さんの骨太は、贅肉も脂もないのです。

そこが旧来の日本人的モーツァルトとは一線を画すものだったと思います。

2人の顔合わせでのモーツァルトのソナタは、残り4曲となってしまっています。
願わくば、以降、同じ顔合わせでシューベルトなりロマン派の名ソナタがまた新しい色合いで響き続けてくれ、ひとりでも多くの聴き手に真価を知ってもらえますように!

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