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2010年10月31日 (日)

「日本戦後音楽史」中の塩見允枝子

大井浩明さん"Portraits of composer"も、11月13日には折返点の第3回となります。

Shiomialbumこの回では塩見允枝子(みえこ)さん、伊左治直の作品が演奏されます。(それぞれのお名前のところにAmazonのCD頁へのリンクを貼りました、是非お聴き下さい)。CDの印象についてはまた別途とし、「日本戦後音楽史」(平凡社、上下2冊、2007年)から塩見さん・伊左治さんの活動を拾い出しておくことを先にやっておきたいと思います。

今回はまず、塩見允枝子さんです。

演奏者、大井浩明さんのブログにプロフィール、お写真が掲載されましたので、
こちらを是非ご覧下さい。

http://ooipiano.exblog.jp/15379131/

以下が、「日本戦後音楽史」中の、塩見允枝子さん関連の記述です。
文中に「評論的」なものが加えられていてもそのまま引用します。

・・・合流的な集団にいるのではなく、・・・グループとしての活動を貫いたのが「グループ音楽」である。ジョン・ケージの不確定性の音楽が、草月コンテンポラリーシリーズの活動を通して日本に紹介される以前から、「グループ音楽」は不確定性をめぐって創作活動を始めていた。
「グループ音楽」は東京芸術大学音楽学部楽理科の卒業生を中心に1961年に結成された。メンバーは、小杉武久(1938〜)、水野修孝(1934〜)、利根康尚、塩見允枝子(1938〜)、戸島美喜夫(1937〜)、柘植元一(1937〜)、のちに武田明倫(1937〜2003)が参加する。ヨーロッパ音楽のアカデミズムに対抗するグループで、声明文には「現在の不当に縮小された『音楽』の意味を回復する役割を受けもっている」とある。
(上330頁)

第1回公演第2部「全員によるインプロヴィゼーション」のやり方をめぐってメンバーの中で意見が分かれ、作曲家としての姿勢が強いメンバーは、秩序に従った即興演奏を通して、楽譜には記せないような勢いのある非合理な音の追求を追求しようとし、一方、インド音楽などの即興性を研究していたメンバーは、宇宙につながるような哲学的次元で即興演奏を考えたという。(上331頁、塩見著からの援用)

「グループ音楽」第1回公演は、草月コンテンポラリー・シリーズにおける、高橋、一柳によるアメリカ実験音楽の紹介に一歩先んじて、ハプニング、インプロヴィゼーションといった実験音楽を独自のコンセプトで実践していたのである。・・・第1回公演で上演されたうち、個人の作品として発表された器楽作品やミュージック・コンクレート作品は、先行する日本の作品に示唆を投げかけるものではなく、集団即興にこそ「グループ音楽」の特性がある(上331-332頁)

メンバーの塩見允枝子と小杉武久はその後ニューヨークに渡ってフルクサスの活動に参加する。「グループ音楽」のグループとしての活動は短い期間のものだったが、前衛は、学ぶものではなく自身の内側から引き出すものであることを実践した影響力は大きい。(上333頁)

日本現代音楽研究会の主催する「現代の音楽展」は、1974年から「プロデューサー制」を導入するようになった。一晩のプログラムを1人の責任者が決定するというものである・・・プロデューサー制導入の初年度・・・松平(頼暁)が担当した第一夜は「伝記的に拡大された音響を主材とする作品とシアターピースのための音楽会」という、それまでの現音にはまずなかったようなプログラムであり、・・・松平の作品は(中略)コミカルなパフォーマンス性にも富む。塩見のパフォーマンスと併せて、(小略)この時代のシアターピースのもう一つの側面を代表するものである。(下107頁、もう一つの、とは、柴田南雄による劇団とのコラボ的なものなどをさす。)

日本においてロマン主義への回帰を初めてうたった催しは、おそらく1982年に大阪のドイツ音楽文化センターで行なわれた「ミュージックスペース第二回公演 日独現代音楽シリーズその二 《WIEDER ROMANTISCH ふたたびロマンを・・・・・・》現代音楽における新しい語法としての『調性』的要素」であろう。(この中で塩見作品も演奏された。)
この催しは、80年代の新しい動向をはっきり示している点において、そしてそれが東京ではなく大阪において行なわれている点において特筆すべきものと言える。
(下169頁)

「神戸国際現代音楽祭」は1990年に第1回が開催され・・・第4回となった97年には・・・フルクサス的パフォーマンスを自在に扱った、塩見允枝子の《日食の昼間の偶発的物語》などが演奏(上演)された。(下305頁)

1993年9月4日、京都ドイツ文化センターにて、塩見允枝子を中心に、大井浩明、野村誠、福井知子ら京都の若手音楽家を集めて、「フルクサス/ナンカロウ&ソウ・フォース」と題されたフルクサス・コンサートが行われた。「フルクサス」は、60年代に、ディック・ヒギンズやオノ・ヨーコ、利根康尚、小杉武久らが参加した運動で、だらりとしていて不安定で、垂れ流している、あるいは「下剤をかけて排泄物を放出させる」というような意味のラテン語に起源を持ち、既成のものに下剤をかける意味を込めて名付けられたものである。・・・東京での回顧展等はあまり大規模に行なわれなかったが、京都では平安遷都1200年関連の企画として、塩見の企画・構成・監督でフルクサス・コンサートが行われた。
・・・フルクサス・コンサートは、前半にコンロン・ナンカロウやデイン・ルディヤーらの作品を並べ、後半がフルクサス作品、という構成で進んだ。コンサート会場では懐古趣味的な雰囲気は薄く、ジョージ・マチューナスやエメット・アンデルセンらの60年代作品と塩見の新作パフォーマンス《グランド・ピアノのためのフォーリング・イヴェント》(93)は若者たちに熱狂的に迎えられた。
塩見のこのパフォーマンスは、フルクサスのキーの概念としての「落とすこと(フォーリング)をテーマにしている。ピアノの前に置かれた椅子に凛として腰かけた塩見が、籠の中のビー玉を、意味ありげに「落とす」。そしてベートーヴェンの《月光》を大井がゆっくりと演奏する。評論家末延芳晴は、その場にいる誰もが知っているベートーヴェンを「引用、パロディ、コラージュとして取り入れ、消化することによって、(かつてのサブカルチャーが)オルターナティヴ・カルチャーとして90年代に再生、生き延びることを得た」と言っているが、ケージや60年代の実験音楽が90年代になって新たな受容者たちを得たことは、90年代のテクノロジー社会の環境で、もう一度ケージのようなコンセプトが新たな形になって表現される可能性を示唆していた。
(下355-356頁)

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