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2010年9月 1日 (水)

「野村誠」という方法(2)

日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。



阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

(1)(2)(3)(4)(了)

さて、これから断続的に、好き勝手な観察を続けて参りたいと存じます。

Semiおよそ新世代の「音楽」に疎い私が、よりによって新世代のカリスマのお一人である(かも知れない・・・そこも知りません)野村さんや、そのご理解者たちに
「おまえはかなりズレてる、目も耳も勘違いだらけだ!」
と大叱責をお受けするようであっても、「激しい思い込みで好き勝手に間違ったまま喜び楽しみ感激してしまう」のは私の得意技です。少なくとも、なんの前知識もなしにお読み下さる方は、私の「ズレ」に引きずり込んでしまうことになりますから、是非どこかで是正をなさる努力は怠らないで頂きたいと存じます!!!

前回は野村さんに度肝を抜かれてしまい、引いてしまうきっかけになった例をYouTubeから引っぱり、また、朝日新聞web版からの記事も引用したのでしたが、ちょっとだけ補足すると、新聞記事のほうのペットボトルは、実はかなりいい音がします。
片岡祐介さんとの共著『音楽ってどうやるの』125頁(楽器の章~なるほど楽器事典)に<コカ・コーラのペットボトル>が「超安価で手に入る低音の太鼓/これほど軽くて、便利な低音の太鼓はない」とのうたい文句で出てきます(ただし、1.5リットルのペットボトルでなければいけません)。付録CDにサンプル音が収録されていて、聴いてなるほど、でした。是非お試し下さい。

・・・いや、この話はもう終わった話の中のひとつでした。

お風呂でバシャバシャ、も、プールでバシャバシャ、も「音楽になるのだ」という<奇抜な>(と、まだそう言っておきましょう)発想は、それが野村さん個人ではなく、集団でやることを前提にしている点で、野村さんの大事なスタンスの内のひとつを代表しているもの、と、今の私は受け止めております。

野村誠さんの名前で出ているもので唯一入手し得たCD「せみ」のリーフレットを拝読しますと、ソニーのオーディションでグランプリになり初CDを出した1992年以降、野村さんの「作曲」活動は路上セッションなりワークショップなりで育まれて来たことが伺われます。すなわち、野村さんは「ひとり書斎にこもって<楽譜を書いて>創作する」作曲家として人格形成されて来ているのではないのです。

アルバム「せみ」に含まれる3曲中2曲がワークショップを揺りかごにしていることからも、そんな野村さんの側面が見えてきます。
今回は、アルバムの最終曲である<せみ小倉>に触れておいてみたいのですが、これはもっとも端的に「ワークショップ的産物」です。

『音楽ってどうやるの』第3章に当たる「できちゃった音楽」には、本の紹介のときに触れた「しょうぎ作曲法」なるものが最初に登場するのですが、<せみ小倉>は、この「しょうぎ作曲法」により、21人の音楽家によって「作曲」されたものです。

「しょうぎ作曲法」について、私が拙い文でまとめるのも愚かしいので、これは『音楽ってどうやるの』付属CDにある音声で野村さん自身に語って頂きましょう。

しょうぎ作曲説明

これを、21人が寄り集まって作り上げた音声は、CDで30分もの長さに渡って収録される長大さを持ちます。

<せみ小倉>には、五線譜で書き通された楽譜などありません。では、<ゲンダイオンガク>ふうな記号の羅列みたいな楽譜があるのか、といえば、それもありません。この点については、上の野村さんのご説明を最初から繰り返してお聴き頂き、ご理解頂くのがいちばんだと思います。

で、ご説明によれば、楽譜はないわけではありません。

親切なことに、<せみ小倉>は、いちおうはおそらくオリジナルではないながら、CDに「すべて日本の字かアルファベットに書き直された」楽譜がついています。

リーフレット上は、入ってくる演奏者の順番に・色付きで<担当する音楽>が書かれているのですが、色をつけるのは私の環境上ちときびしいので、第1巡目(真面目に数えていないのですが6巡目くらいまであるはずでして、上の野村さんの説明にさらにひとひねり工夫を加えているはずです・・・たとえば21人はあまりに人数が多いので、音の重なりあいは一定数までに止めるとか、クライマックスが来た、と思ったらいったんそこで演奏を一斉にやめるとか・・・が、リーフレットにある部分だけ)を連番で上げ、対応する音声を引用させて頂いておきます。

残念ながら、今日はそこまでで目一杯になります。

<せみ小倉>の最も面白いのは、最初はあとから入ってくる人が、どちらかというと前の人とは対照的なことをやってみようと試みているふうでありながら、あるところで響きがだんだんに寄り添って来て整った響きになったり、そうかと思うとまた互いが離れて行ったり、離れたかと思うと、別々に耳にする分にはそれぞれが勝手であるようでありながら、まとまった渦になると「ひとかたまり」の巨大な音の塊になっていたり、と、とても複数人のアイディアの積み重ねで生まれたとは考えられない巨大なプラズマが形成されるところでして、何度も聴くうちに、私にはそれが人間の行動の縮図ではないのかと強く感じられ出し、いまは正直のところ1日最低1回は聴かないと眠れない中毒症状に陷させられております。(もうひとつ中毒になっているのは、共著者の片岡さんが現場で収録して来た『参の町交響楽』とタイトル付けされた老人ホームでのセッションです。)

・・・とりあえず、時節柄、薬物の摂取を類推させるような発言は、これ以上自粛させて頂きます。
・・・余分なことながら、薬物を外部から違法に取り寄せなければ自己を止揚出来る陶酔に至れないのは、尊敬するある方が「失格行為だ」と仰っていましたし、私はあくまでそのことに賛意を表します。
・・・音楽に陶酔できるのであれば、そんなものはいりません。苦悶のうちの創作、というのは、日本人好みの「虚像」でもあるかと思います。(たとえばラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は「苦しんで」作曲されたのではなく、「苦しみから解放されて」から書かれたものではありませんか。)
最近では内容を知らない世代の方も増えましたが、映画『アマデウス』の中でモーツァルトの天才に嫉妬したサリエリでさえ、嫉妬に苦悶こそすれ、自身の創作行為で苦悶することはありませんでした。作ることが「事務仕事」になってしまったときは、芥川龍之介の選択肢が(行為そのものには共感はしていないのですが)創作家としては正解でありましょう。

・・・いけない。脱線し過ぎ。

で、第1巡目の音声です(区切り箇所ちと失敗しました!)
「せみ小倉」冒頭部

以下が、CDリーフレット記載の、その「楽譜」です。(メンバー各人が手元に持っていたものを演奏後にまとめたのでしょう。意味不明の語については私に訊かれても分かりません。)

1. N K T T Ge Na Te Te Ge Na Na G Tun
2. 野獣ゆっくり+ラッパ短長
3. ピカピカ中 チーン!!ちょーん!やさしーくドワーン
4. んにんにんに~ににに(スグットぽい)
5. あひる
6. 鍵ハモ+Vchanger対位法
7. サンプリング音をいろいろ入れていじっていじっていれてとする
8. うらレン
9. リンゴリンゴン
10. 学校の思い出を語る 実演を含めて
11. さかりのついたねこ
12. 空気入れをひたすらふむ 疲れたら左右の足を交換
13. ジャンベ
14. ドドソド ドラソド レ みたく 左手リコーダでまね
15. うたみたいならくごをする
16. コン!フライパン&マイアミのまね(ちょっと変えて)
17. アンチマイアミ
18. 四角で声を出す「オレ、ウィリアム」
19. 大正琴6723をメインに
20. フラジオでミンミンゼミのように 自由に
21. つつ ミ・シ トントコ、コ ト ~F.O.

・・・こうした「共同作曲」~作曲は「ひとりでなければできないものではない」~は、野村さんの精神を貫く重要な精神に端を発したもののひとつのかたちのようなのですが、このことについてはアルバム「せみ」内の他の2作をも観察しながら、またあらためて触れます。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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コメント

おっもっしろーい! ですね! 実は、まだちゃんと全部聴いたわけではないのですが、すごく、面白い……録音で、ここまでライブ感? と、いうのでしょうか、コミュニケーションしている感じが出ているのも、またすごいですね。どうしてもインド音楽に関連付けてしまう私は、これってインド音楽ともすごく親和性があるぞー、と思ってしまったのですが、どんな楽器でも、モノでも、できそうなところが魅力というか、力ですよね。ご紹介ありがとうございました!

投稿: フネ | 2010年9月 6日 (月) 18時05分

フネさん、いつもありがとうございます!

ほんとに、インドとの親和性があるかもしれませんね。それぞれの人格が音や声で自由に対話する・・・先に話し始めた人に対して後からの人が「はたらきかけ」をするんですよね。そうすると、ほぼ無意識状態のまんま、前の人も影響を受ける。そんな面白さがあるとの印象を受けてもおります。このアイディアは楽しい! 方法については。より具体的には野村誠さん片岡祐介さん共著の「音楽ってどうやるの」にけっこう詳しく、でも大変分かりやすく書いてあります。お時間があるときに是非目を通していただけたらと存じます。

投稿: ken | 2010年9月 6日 (月) 21時53分

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