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2010年9月 3日 (金)

「野村誠」という方法(3)

日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。



阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

(1)(2)(3)(4)(了)

・・・アホに勝手放題綴り始めてましたら、ひとさまの情報で知りましたが、野村さん、日本作曲家協議会(JFC)作曲賞の審査員になっちゃったそうです。(審査委員長は三輪眞弘氏、もうひとりの審査員でこの賞の実行委員長は中川敏郎氏です。

http://www.jfc.gr.jp/contents/award/award.html

・・・やばいときにやばいことにとっかかりはじめてもうた。まあいいか。

Semiで、「せみ」の残りがまだ2曲あります。「せみ」を終え次第、いったん「<せみ>を通じての無手勝流まとめ」に入るはずなのですが・・・

「せみ」が、大型店の店頭以外では「糸」ともども通販でも入手出来なくなっているのには愕然としております。
「せみ小倉」も本来は全体像をお聴き頂きたい作品ですし、残り2つも同様なので、ニッポンの新作CD販売状況はせちがらいもんだなあ、と悲しくなってしまいます。バッハからロマン派作品あたりまでだと、数えきれない音楽家の「公式的定番」から「人気演奏家(非名演)盤」・「非公式名演」までピンキリで出ていますし、それについて語る愛好家もたくさんいます。さらによけいなことには、素人愛好家があちこちでいろいろ言ってんだからもういいじゃん、と思うのに、「プロ評論家」さんが、素人と同じ盤をうんざりするほど採り上げた本ばっかり出すケースが圧倒的に多い。

有名著作家さんには

「おもろいものがあるよ〜、きいてごらん〜」

だけ出して頂ければいいんですけど。あとはもういらないんじゃないですか?

野村さんのCDでは「せみ」にだけ拘泥したいわけでは決してないのですが、「せみ」はおもろくて私の大のお気に入りになってしまったのです。これが簡単には手に入らなくなっているのが、もう悔しくて仕方がない。

・・・と、逃げ口上から始めてみました。

「せみ」で2つめに上げるのは、アルバムタイトルと同じ名前の作品、

<せみ>

であります。

「せみ小倉」は<「野村誠」という方法>の中では「野村誠」という方法が野村誠個人を飲み込んでしまっている点で特異なものでした。

あとの2作は、また別の<「野村誠」という方法>で仕上げられているのですが、野村誠さんという個人が、いわば監修の立場にあり、かつ、次回採り上げるほうでは野村さんがスコアも作成しているそうですから、方法としては従来の作曲の範疇にあるといえるのだろうなと思っております。

初回前回では、
「野村誠さんって、い〜かげんの名人なんぢゃないの?」
なるイメージを持たれやすいかも知れませんし、実際、名人なのでして、アルバム「せみ」のリーフレットのプロフィールに、作った作品として<「だるまさん作曲中」(指揮者がふとんで寝るピアノ協奏曲)>なんてのをみつけてしまうと、その感触はいよいよ強まるだけなのであります。

アルバムタイトルと同じ名前の第1曲<せみ>もまた、聴いてビックリ、若い声が口々に
「ミ〜ン、ミ~ン、ミ~ン、ミ~ン」
「つくつくぼうし、つくつくぼうし、つくつくぼうし、つうつくぼうし」
「ボク・・・ボク・・・せみ!」
とかなんとか明るく叫ぶ繰り返しで、これまたびっくり仰天させられます。

が、この<せみ>、意識せずとも言葉に意味をくっつけてしまえる、くっつけてしまわざるをえない日本人の耳にだから、冗談にしか聴こえないところもある。意味が分からない外人さんが聴いたら・・・腹を抱えて床を転げ回るくらい面白がるかもしれません。

果たして、<せみ>は、冗談音楽なのか?

実は、<せみ>はガムランを使った作品でして、曲の構成をとらえてみると、素人ながらに

「そうかぁ、ガムラン音楽の仕組みとか流れとか、本当に良く知って、体に染み付かせて<せみ>に取り組んだのね!」

と納得させてくれる要素が盛りだくさんです。
そうやって聴いてしまうと、作曲した野村さんの狙った所からかなり脱線した聴き方になってしまうはずですから、ここだけの話にさせて下さい。

浅い理解から申し上げますと、<せみ>のガムラン音楽は、ジャワ本島とバリのガムラン音楽の見事な折衷であって、

「インドネシア人もビックリ!」(じじいねたでスミマセン)

なのです。

楽器は本島の上等なセット(に限りなく近いもの)を使っていますが、旋法はスレンドロ音階でも用い方がバリ的であるように思います。若者たちの声が蝉の鳴き声を連呼し手拍子するさまも、バリ系かと思います。
でありながら、導入部は、バリよりも高級感のあるジャワ本島のガムラン音楽の方法をよく踏まえているようです。

ガムランの鳴らしかた自体は、伝統的な本場のガムランにくらべれば定型性が強く、インドネシアのものというよりは「中国本土の旋法の日本的動機化」になっているようでして、それゆえとりわけ日本の聴き手に分かりやすいものになっています。

大きくは「導入部」〜「声の湧出」〜「揃った声による第1の山」〜「宗教性まで感じさせる器楽部」〜「揃った声による第2の山」〜「混淆した声による第3にしてクライマックスを築く山」というふうに私には聴き取れる明解な構造を持っているのも、<せみ小倉>のような共同作業による作曲では得られない、ある種清らかな楽しさを演出してくれています。・・・<せみ小倉>のほうは<せみ小倉>のほうで、複数の意図の交錯によってこそ醸し出される現世の縮図を実現しているのでして、そちらは、<せみ>や、のこる1曲である<せみbongo>で用いている方法では絶対に出来上がらないのですから、方法のヴァリエーションを愉しむには、やはり欠かせない作品なのですが。

以上、ガムラン音楽関係の比喩は純然素人無知蒙昧の私のことですから、ハズシている可能性のほうが高いですので、本気にしないでおいて下さい。この曲もまた、いまとても気に入っているのです。それをなんとか自分なりに表現したいが故の戯言ではあります。

う〜ん、これどうしても、一部抜粋で聴く、というのには馴染まない気がします。
CDが入手困難となると、部分だけでもここでお聴き頂きたいのですが、部分だけ取り出しても、よくある「名曲の断片集」のまねごとになってしまうようで、気が進みません。

そうだ、この作品の創作方法について肝心のことを申し上げておりませんでした。

「楽譜を使わないで、すべて口頭で曲を伝えてほしい」

との委嘱者の要望により、この作品には楽譜が存在しません。

「楽譜を使わずに15分のガムラン曲を作曲する。ちょいと考えて、関係性を作曲することにした。『クンダンがトントンと叩いたら、サロンが3-665-とやって・・・』、『スリンがピーっと吹くのを合図に、全員で・・・』、『楽器の好きな所を叩いて、その音程で歌う、周りの人とは合わせずに」など。説明の多くは、演奏者の関係になっている。しかも、説明しても、しばらく後の練習では、忘れられていたり、知らぬ間に変形していたりもする。そうやって変化して行くことも前提に作曲。曲の終わり方は、上演の度に相談して決めることにした。」(リーフレットから)

作品は何度か再演され、再演される度に形を変えているそうです。
実演では舞踊家さんが踊ってもいるのだそうです。

・・・実演に接してみたいなあ。。。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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