« (ご報告)大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)1回券購入の方法 | トップページ | 「野村誠」という方法(了) »

2010年9月 7日 (火)

「野村誠」という方法(4)

ヨーロッパ在住の非常に優れた古楽奏者阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)による「バロックヴァイオリンコンサート」は10月8日(金)新高円寺のスタジオSKで。



日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。

上記の阿部千春さん・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

(1)(2)(3)(4)(了)

前置きですが、アルバム「せみ」を用いて<「野村誠」という方法>を観察してしまうと、初回の「ふろリズム」みたいな(受け止めようによっては)極端な側面ばかり目に付きますが、意外とそうでもないのよ、という点は、ちょっと申し上げておかなければなりません。
9月23日に、ピアニスト大井浩明さんが野村さんの作品を演奏なさるのですが、そのなかにある"Intermezzo"などは、しっとりした曲調のものです。これは、"Intermezzo"が作曲された経緯とも関係があるのですが(数曲からなるCDが出ていて、そのリーフレットに作曲経緯が述べられています)、そうでなくても、「P-ブロッ」あたりの、共同制作なのか野村さん単独なのかは存じ上げませんが、鍵盤ハモニカの調べも、概ね、しっとり感があります。
ただ、方法のしての野村さんを見ていくときには、「せみ」が極端に面白いビックリネタを披露してくれているのでして、それは他のしっとり感の作品の中にも実は活きている。そのことは改めてちゃんと考えなければいけないと思っております。

世の中、クラシック好き、となると、音楽に対しては、まだまだ「お堅い」価値観が残存している印象があります。
私はそういう只中で育ってきた愛好者のひとりですから、自分もやっぱり「まだまだ」かな、という気がすることも多々あります。
アマチュア仲間で「演歌」を話題にすることが御法度だったり、たまに話す人がいても軽蔑口調だったことは、幼児期には演歌以外の音楽を知らなかった自分には衝撃的でした。
なによりビックリ仰天の経験は、アマチュアオーケストラの打ち上げで、
「あたくし、行ったことないんですのよ」
と仰るかたをカラオケボックスにお連れしたら、入るなり
「えっ、なにここ!?」
と飛び出して行かれてしまい、慌てて探しに出たものの、とうとうお姿を発見できなかったことでした。
今振り返っても・・・う~ん、そこまでになるものなのか、と感じますが、嗜好のことですからなんとも。

さて、野村さん「せみ」の残る一作は〈せみbongo〉です。
これだけは3作のなかで唯一スコアがあるとのことですから、ごく当り前の作曲がされたんだろうな、と、まず思うわけです。
「そう言わないで・・・なんか面白い点は?」
「そうですねぇ、箏を使っていることですかねぇ」
「そう、ですか・・・」

・・・大変失礼致しました。

( ̄~ ̄;)

で、そんなくらいの前知識でこの作品をお聴きになったら・・・とくに箏をなさるかたは、どのようにお感じになるでしょう? それが心配です。楽器を箏しか使っていない(はず)でこういう音楽を作る、というのは20世紀中の「洋楽系」音楽家にはなかったことでしょうから、それは画期的なのですが、それにしても楽器の扱い方がとんでもない。なにせ、箏をハンガーで叩いたりしているんですから!!!

箏の合奏ではあるものの、これを伝統的な意味での「邦楽」らしさを聞き取るには、無理やり「邦楽なんじゃないの?」と思い込まないかぎりあかんのじゃないかと思います。

タイトルから察せられる通り、この作品ではさっきのような叩き方の他には、箏の胴体を打楽器のように打ち鳴らしたりするのですが、「ゲンダイオンガク」の作り手なら、その程度のことは、当り前にやるでしょう。
驚くとすれば、箏を扱うその他の方法は、ところが野村さんは案外極めて伝統的なものを用いていると思われること、しかしそれがまったく伝統的に聞こえないことのほうかも知れません。
そうした部分から少しだけ抽出してみましょう。抜き出したうちのおしまいのほう、非常に効果的です。(加工ソフトの使い方に慣れておらず、抽出ベタはご容赦下さい。)

せみbongo抜粋

・・・「野村誠」という方法の中には、
「いままでにあった単語は使うけど、文法はボクの自由だよ」
なる色合いが、淡そうでいながら非常に濃くあるように思います。

〈せみbongo〉自体は、標題音楽としても、環境音楽としても、ぼんやり聞き流す音楽としても、どれでも構わないものだ、と、私は勝手に決めつけておりますが、iPodに取り込むと、ジャンルはロック(Rock)になります。でも、Rock売り場では扱っていません(でした)。

仮に標題音楽として聴きますと、アブラゼミがやかましく鳴き、やがて・・・現実にそうであるように・・・道にバタバタと倒れては断末魔を上げ、やがて亡骸はまとめて風に吹き飛ばされ、入れ代わりにツクツクボウシが囁きだす、という絵が、私には浮かびます。
場面を決めつけてはつまりませんが、そんなストーリー性のある、爽やかな音楽です。

もし20世紀の流れの延長として聴くなら「ミニマルのパロディのメドレーかな?塊ちょっとでかいのもあるけど」(抽出部分には該当箇所はありません)くらいにしか感じとれないのが私の能力の限界ですが、実際には4分経過したあたりで湧き出るように現れてくるモチーフが、後半の盛り上がり・静粛によるその断絶・夏の夕暮のような終結部を、ミニマルに比べると立体的に組み立てることになり、古典風の構成感があります。
このへんの混じり具合が、いかにも「野村誠」という方法、の柔軟性を、心地良く印象づけてくれているのではないか、と思います。
・・・まあ、こんな程度の、どんくさい聴き手で、スミマセン。(T_T)


野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

|

« (ご報告)大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)1回券購入の方法 | トップページ | 「野村誠」という方法(了) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「野村誠」という方法(4):

« (ご報告)大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)1回券購入の方法 | トップページ | 「野村誠」という方法(了) »