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2010年9月10日 (金)

CD<片岡祐介さんと子供たち>~「感じる」と「考える」とは

ヨーロッパ在住の非常に優れた古楽奏者阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)による「バロックヴァイオリンコンサート」は10月8日(金)新高円寺のスタジオSKで。



日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。1回券はローチケ(ローソンチケット)で(入手法まとめました)・3回パスポート・5回パスポートはopus55にて入手出来ます。

上記の阿部千春さん・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

さて、近々私の伺える演奏会で野村誠さんの作品のほうが取り上げられるので、そちらに熱を上げてみてしまいましたが(9月23日、大井浩明さん《POC》第1回)、「音楽ってどうやるの」・「即興演奏ってどうやるの」の共著者、片岡祐介さんの実際の試みのほうにも強い関心を惹かれておりました。

片岡さんのサイトを拝読させて頂きましたら、やはり惹かれるタイトルのCDをお出しでしたので、聴かせていただくことにしました。

Polyper・・・貧乏人で子持ちヤモメの私にとってはもう予算がだいぶ厳しくなってきましたので、そろそろ当分「手持ち」の聴き直しをじっくりやるほうに楽しみを求めるべきですし、モーツァルト作品をみんな聴き漁るぞ、とか、藤原定家の日記を読み砕くぞ、なる無謀な試みも、とくに後者は1年に1記事程度のサボりようですから、話になっちゃおらんのですが、興味は熱いうちに持て、であります。

タイトルはどちらがサブか分かりませんが(どちらがメインであっても良いと思います)、「ポリフォニック・パーカッション」とも付されたこのCD、障害のある人たちの表現活動をサポートしているNPO法人クリエイティブサポートレッツさんからの発行ですが、携帯プレイヤーに読み込んでも各ナンバーのタイトル等は表示されませんから、一般商流に乗せているものではないのかもしれません。
こうしたCDの発行のされ方も最近は多く見かけるようになりました。そうしたなかに、一般商流に乗ったものより優れたものがあったりすることがあり、
「CDマーケットは縮小している」
と商業ベースで言われ続けているのが「商業」の上では否めない事実ではあっても、また、映像DVDのように「見ること」に集中を要する媒体ではないところに・・・かつ、オーディオDVDのような膨大なデータ量でもなくてよいところに・・・オーディオCDの役割は、まだまだ非常に重要であることが示されているように思います。

片岡さんのCD、と申し上げましたけれど、片岡さん個人の作品を集めたものではありません。
このあたりに、パーカッショニストとしても作曲者としても、私の受けている印象ではおそらく素敵なセンスをお持ちである片岡さんの
「でもまず、いっしょにやろうよ!」
精神が垣間見られて、届いた包みの封を開けるときには、ほんとうにワクワクしました。

陽気なようでも気難しい、気難しそうでも気難しい、理屈を言わなくても理屈っぽい、理屈を言うともっと理屈っぽい、というのが、プロに限らずジャンルを問わず整っているかハチャメチャかを問わず、「音楽をやる」連中の特徴ではないかと常々感じるのですが(・・・ということは、素人であっても私もそうだということです)、人格を存じ上げないながら、片岡さんの世界には、なんだか「だれでもすんなり入っていける」気安さを持ってしまいます。・・・失礼になっていなければ、と、そのことを恐れます。

そんな、私の独断と偏見の価値観からするといかにも片岡さんらしい、と決め付けて選んだこのCDは、私の期待を裏切りませんでした。

いや、裏切られたとすれば、パーカッションの世界だからもう少し「巨大な音響の鳴らしっぱなしか」との先入観はひっくりかえされた、というところでしょうか。
賑やかなものも含まれるとはいえ、ナンバーの全てに、ジャカジャカドンドン式のやかましさが聞かれることは、まったくありませんでした。
むしろ、「子供たち」といっしょであるのに、この「静けさ」はなんだろう、と、不思議な気持ちがしました。
・・・協力してくださった打楽器奏者仲間さんが良質であったことも、促進剤となっているのでしょう。

ですので、無心に聴き、電車通勤族の私には、電車のなかで安心して周囲から自分を隔離する世界を作ることができます・・・なんて言ってしまうと、CDそのものの趣旨には反するのですが、通勤時は皆イライラしていますから、こうした効能を認めることをお許し頂ければと存じます。イヤホン・ヘッドホンからの音漏れを気にせず聴けるパーカッション、というのは、それだけ有難いものでもありますし、CD中の演奏が、それだけ自然であることの証になるということでもあります。

じゃあ、単純に無心に聴けることだけが、このCDの特徴か、というと、それはまったく違います。

聴きながら、たくさんのことを考えさせられもします。
それは、ナンバーの一つ一つが、「設計図のある、意図された音楽」ではない、ということによります。

「即興演奏ってどうやるの」付属CDのラストに、面白い例がありました。
最後から2つめの、これは私が大変に胸を打たれてしまった《参の町交響楽》というのが入っているのですが、これは片岡さんが老人ホームでお年寄りたちと自由にセッションしたもののアンソロジーです。
で、これをヒントに、最後には野村さんが「自閉症者の即興音楽」という作品を、言ってみればランダムアクセス可能プログラミング的に創作しているのです。これも興味深い音楽ではありました。
しかしながら、やはり後者は<「野村誠」という方法>の世界の延長なのです。
作品としての音楽に浸りたいとき、前回まで繰り返し駄文を連ねましたが、<「野村誠」という方法>で出来上がった作品は、いま世に溢れているもののなかでは「聴き手をさまざまな<拘束>から解放してくれる」点で最も優れている、と、私は感じ、思い、確信をしています。

では、音楽とは作品として仕上がったものばかりか、というところは、作品を仕上げるのとはまた別次元の問題で、野村さん片岡さんが二つの本を仕上げるに当たって最も意を砕いたところではなかったのかと考えてもおります。

となると、別次元のほうを実現したサンプルは、野村さんの公式CDのほうには見つけられない。
行動のほうでは<「野村誠」という方法>初回に綴ったようなことをなさっているのですから、CDにないこと即、意を砕いているはずのことの非実現ではないのですから、野村さんの録音は録音として貴重なものとして聴くべきです。

別次元、のほうを、片岡さんの録音のほうに見出せるのは、たいへんな僥倖であるといわなければなりません。

聴いてみると分かるのですけれど、、ひとつひとつのナンバーは、片岡さんたちが子供たちと任意になさったセッションからの、おそらくは抜粋です。セッションのトルソだ、といっておいたほうがふさわしいのかな。

大まかには、

・拍節感の明確なもの~「アフリカ1」「箏ポッポ」「ドンドコ」「コケコケ」「サンバ」「ジャイアント」「根洗」
・拍節感が入り混じったもの~「アフリカ2」「缶の虫」「歌心」「エレガンツ」「日本」「バレエ」
・拍節感が不分明なもの~「公民館まつり」「風呂場の響き」

と分けることが出来ると感じて拝聴しておりますが(間違って聴いていましたらごめんなさい)、それぞれ、トルソならではの面白さ、聴きながら
「この前と後ろはどうだったんだろう?」
なる想像をさせて頂ける独特の美観があります。

一括して言えるのは、「音楽」の原初とは何であるか、将来とは何であるか、をじっくり考えるためにも、たいへんよい素材になる・・・それが本アルバムの持つ大きな意味なのではないか、ということです。

上に見ましたように、拍節感がある無しに関わらず、それぞれが自然に発露した「音楽」であり、それゆえに、単なる楽しみとしてだけでなく、自分が音楽に臨む際の絶好のヒントになるわけです。

たとえば歴史の側面から言いますと、西欧における拍節感は「書かれた音楽」としては(20世紀に入って)バロックと呼ばれることになったものにおいて初めて強固に明確になるのですが、潜在的には、記譜の如何に関わらず、舞曲や進軍のための音楽にはもっと古くから存在したものでしょう。いっぽうで、「バロック」精神の発露の前には、「書かれた音楽」は、主流は聖歌の類いのように、言葉のフレーズと音の高さの関係を示すもののほうが多かった・・・これが人間の音楽に対するどんな価値観を反映したものなのだろうか、みたいなところは、本アルバムを聴きながら、私などつい思いを馳せたくなった世界のひとつです。民族音楽と対比して聴いてみるのも楽しそうです。

他の切り口もあるでしょう。リズムや音色などがもたらす、体や気分への影響などは、ひとつひとつのナンバーでハッキリと違いますが、そういうことを一度に知らせてくれるCDというのは、滅多にないでしょうから、この点、本アルバムは(少なくとも私にとっては・・・ですからたぶん、そういうことに興味を持って下さるどなたにとっても)貴重な存在です。
たとえば、耳にしているとき、リズムが明確であれば、他にやっている行動(書くことなりキーボードを打つことなり)は知らず知らずそのリズムに合わせて進行しますから、プラスになる場合とマイナスになる場合があります。じゃあ、自分の行動にあうのはどんなリズムなのだろう、あるいはリズムが明確でないものの方がいいのだろうか、などということも、試してみることが可能です。音色についてもまた然りで、パーカッションはその点、ほかの楽器に比べて固有の音色を持つものが豊富にあり、その音響効果を知り尽くしたセッションが組まれていますから、リズムの場合と同様の「自己診断テスト」が出来るわけです。
・・・別に、そうしたことのために本アルバムを聴くことをお勧めしたいわけではなく、
「こんな楽しみ方もあるんだよなあ」
と私が感じたことを綴っているのでして、以上には拘泥なさらないで下さいね!

ちと乱文過ぎて意味不明になってしまったか、と、大変恐縮に存じますが、ご興味を持ってくださったかた、ぜひお耳になさってみて下さい。

いいアルバムです。

で、CDとは別のものですが・・・


野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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コメント

またもや、嬉しい評をありがとうございます!
このCD、「絵を描く時のBGMにいい」という声を複数の美術関係者から聞いていたんですが、
文章読ませていただいて、その理由が分かった気がしました。

大井さんとお知り合いだったのですね。ならば、どこかでお会いすることがあるかもしれませんね。
その時はどうぞよろしくです。

投稿: 片岡祐介 | 2010年9月15日 (水) 00時20分

片岡さま

今朝コメント頂いたのを拝読してビックリ仰天、縮み上がってしまいました!!!ありがたくもただひたすら恐縮に存じます。
・・・でも、本当にそれだけ、感じるものが多いCDです。「絵を描く時のBGMに」とは、なるほどそうか、と、また新視点を知らされた気がします。仰った美術家さんたち、素晴らしいですね。

大井さんは1年半前に知友の勧めで拝聴した「月光」のCDで存在を知り、その半年後にちょっとした縁で直接お話を訊かせて頂け、以来、家族中でファンをしております。こんどまたそのつながりで片岡さんと野村さんの共著2冊を拝読して新鮮な目を開かれ、こんな幸せなことは無いと思っております。

お目にかかれる日がありますことを、心から楽しみにしております。

お礼が遅くなりましたが、本当にありがとうございました。

投稿: ken | 2010年9月15日 (水) 22時31分

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