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2010年9月21日 (火)

17世紀イギリスの音楽事情(2)

日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)、第1回2010年9月23日(祝)が近づきました。以降、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。1回券はローチケ(ローソンチケット)で(21日(火)までの取り扱い、その後は当日券となります)・3回パスポート・5回パスポートはopus55にて入手出来ます。当日演奏される野村誠さん作品の解説こちら


ヨーロッパ在住の非常に優れた古楽奏者阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)による「バロックヴァイオリンコンサート」は10月8日(金)新高円寺のスタジオSKで。


上記の阿部千春さん・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)


その他、10月のコンサートは日が近づいたらまたご紹介します。


(1)(2)



Musicandsociety3(1)では、「ピューリタン革命」直前までの事情を、『西洋の音楽と社会3』(訳書 音楽之友社 1996年)から若干抜き出しました。
後半として、同書から「ピューリタン革命」期以降、パーセルの時代にかけてを、また少しだけ抜き出しておきます。(第14章 ロンドン:共和国時代と王政復古)


1642年4月始めに、宮廷の他の人々同様、ヨークで国王に仕えることが命じられると、王室の音楽家たちは混乱に陥った。彼らはひとり残らず王党派であったので、問題は精神的なものではなかった。経済的困窮こそが問題なのであった。(中略)もはや賃金が支払われないのが明らかになると、王家の音楽家たちは自活の方向へ向かい始めた。(323頁)

クロムウェル自身は、「優れた声楽曲と器楽曲をとても愛していた」。(中略)1653年から1658年までのプロテクトレート[護国卿]時代には10人の音楽家を雇用していた。(325頁)

ピューリタン革命の動乱は、疑いなくイギリスの音楽の流れを変えた。大陸に逃避したことで、当時のフランス、イタリア、ドイツの音楽様式に接触したイギリスの指導的な音楽家もいた。(325頁)

音楽出版社ジョン・プレイフォードの活動からも、この時代の混乱がいかに自国の音楽の育成を促したかが判る。(中略)彼は1640年代の終りにテンプル教会の入口の傍らに店を構え、組織的なやり方私情の独占に着手した。(中略)プレイフォードはアマチュア音楽家を購買層の対象にしたため、他の出版者が従来失敗していた分野で成功を収めた。中産階級の家庭で容易に利用できる器楽と合奏のために、単純な記譜による簡単な作品を出版した。(326-7頁)

ピューリタン革命が音楽状況の変化の原因となったことは、ヴァイオリンを見れば最もよく理解できよう。ヴァイオリンは1600年までにはイギリスに根付いていたが、プロの音楽家のための楽器であり、専ら舞曲に限って使用されていた。(中略)共和国時代には、おそらくオクスフォードがイギリスの音楽活動の中心であった(現在、必要な資料が最も多い)。ヴァイオリンは、明らかに1650年代後半になって音楽界に突然普及した。(329頁)

チャールズ2世はイギリスに戻ると、ダヴィナントとトマス・キリグルーに特許を認め、ロンドンの商業劇場に新しい様式を打ち立てた。2人はヨーク公と国王の庇護のもとにカンパニー(劇団)を作り張り合った。彼らの2つのカンパニーは、まず古い革命前の演劇のレパートリーの復活上演から始めたが、その際、マスクやイタリア・オペラの様式にかなり依存した上演を行なった。ダヴィナントとキリグルーは2人とも、国王不在の時代に海外でイタリア・オペラに接触していたのである。(334頁)

1674年の《テンペスト》(註:マシュー・ロック)は<オペラ的な>作品であると見なされているが、それは全編にわたって音楽が付けられているからではなく(シェークスピアの戯曲は様々な形で今日残されている)、合奏用の音楽を伴う上に、さらに壮大な舞台効果を持つマスク的な場面を含んでいるからである。(335-6頁)

1690年(註:名誉革命の翌年)に王室の音楽は縮小化され、常時音楽家を雇用することは、実質的になくなった。以後。音楽家たちは、特別な場合以外は必要とされなかったようである。この変化は、パーセルの作品にはっきりと投影されている。1690年以前、パーセルは主として宮廷作曲家として活動しており、王室礼拝堂 のためにアンセムを書き、プライヴェート・ミュージックのためにオードやその他の世俗音楽を書いていた。しかし1690年以後は、活動の中心を劇場に置き、5年そこそこの間に50近い舞台作品に作曲をしている。彼は相変らず王室礼拝堂の一員であったが、同時にウェストミンスター・アビーのオルガニストでもあったので、折にふれてしか宮廷に顔を出すことができなかった。(337頁)


こんなところですみません。


野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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