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2010年9月18日 (土)

17世紀イギリスの音楽事情(1)

日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)、第1回2010年9月23日(祝)が近づきました。以降、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。1回券はローチケ(ローソンチケット)で(入手法まとめました)・3回パスポート・5回パスポートはopus55にて入手出来ます。当日演奏される野村誠さん作品の解説こちら


ヨーロッパ在住の非常に優れた古楽奏者阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)による「バロックヴァイオリンコンサート」は10月8日(金)新高円寺のスタジオSKで。


上記の阿部千春さん・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)


その他、10月のコンサートは日が近づいたらまたご紹介します。



Musicandsociety3ダウランドが17世紀初頭のいわゆる「ピューリタン革命」前、パーセルが同世紀後半の名誉革命ごろに活躍した旨、イギリスにはしかし、<バロック音楽>なるものは、嚆矢に位置づけられているダウランド、盛期を作ったとされるパーセル以外には冠せられたものがほとんど見当たらないこと、を、先に申し上げました。

ご専門のかたから、
「ダウランドはしかし、バロックではない」
というお話も少しして頂き、なるほど、と思っているところです。これはこれでまた、よく知りたいところです。ただ、先日、ごく普通の大型楽譜店を覗きましたが、ダウランドの楽譜はありませんでした。そのうち専門店にでも出向かなければなりません。

いくつかの文献からまとめたいところですが、視野も手を出せる領域も狭く、へたなまとめをするよりはマシかと思いましたので、『西洋の音楽と社会3』(訳書 音楽之友社 1996年)から少し抜き出してみます。多くなると思われますので、今回はダウランドの活躍期と被る部分(第13章 ロンドン、1603-49年」ピーター・ウォールズ筆、藤井孝一訳)からのものに限ります。・・・このシリーズも今では古書しか入手出来なくなっているのですね。他に本来の意味で網羅的な音楽史の本は市販品には無くなってしまっているので、勿体ない話です。


ロンドンは急激に成長しつつあった。その人口は、16世紀の中頃には4万人からおよそ25万人にまで膨れ上がった。1640年までには、およそ2倍近くの40万人にいたる伸びをみせ、ヨーロッパでも群を抜いた最大の都市に成長した。(286頁)

ボーモントとフレッチャーの《燃えるすりこ木の騎士》のような戯曲からあまり特権化されていない音楽に対する意識を理解することが出来る。音楽家たちはしばしば居酒屋を訪れている。(286-7頁)

この世代の偉大な戯曲家たちは、大体において、専門の作家であり、劇場関係者だった。作曲家の地位は、概して似通っていた。少数の者しか(その時代は同時代の多くの詩人たちのそれと平行する)音楽によって生計をたてることが出来なかった。(290頁)

音楽家にとって最も名誉な雇用は、王(または国王一族の誰か)に仕えることであった。チャペル・ロワイヤルは、歌手とオルガン奏者(通常32人のジェントルマンと12人の少年)の集りであった。王室の参列する礼拝式で演奏するために召し抱えられたのであった。必要があれば、音楽家たちは旅をした。(292頁)

多くの専門音楽家は、経験豊かな音楽家組合や宮廷楽団のメンバーに7年間徒弟としてつき、訓練を受けた。(297頁)・・・その教育の理論内容は、中世のものを引き継いでいたことが、続いて述べられています。

視唱は望ましい技能として位置づけられた。女性はリュートやヴァージナルを演奏することを奨励された。(301頁)
ジェントルマンは「ヴィオールおよびフレット系楽器を演奏する」ことが奨励されていた。ヴァイオリンは、舞踏教師や専門家の手垢がついた楽器として暗に軽蔑されていた。教育を受けたアマチュアがヴァイオリンを演奏するようになるのは、17世紀も半ばになってのことである。(302頁)

17世紀の最初の10年間、ロンドンには42の出版社があり、楽譜印刷が盛んであった。これは、商業実践の重要な変化と一致しているだけで、需要を直接反映したものではない。・・・楽譜出版は1630年代に再び減少していった。この現象の理由は完全には明らかではない。とりわけ、この傾向はより大きな書籍出版業の隆盛と相反するからである(1600年から1640年の間、毎年出版される本の数は2倍以上の割合で増えていった。)(303-4頁)

最も多作なリュート歌曲の作曲家である、キャンピオンとダウランドの2人はこのジャンルに於て反対の傾向を代表していると見なされてきた。キャンピオンの表向きの意図は音楽において寸鉄詩に相当するもの、つまり外見は素朴で髄のある歌を作り出そうとすることであった。ダウランドの方法はより複雑で技術的であると同時に保守的であった。彼の声のパートの旋律は基本的に対位法的なテクスチャーに相応しいものであった。しかし1612年までに《巡礼者のなぐさめ》が出版された段階で、新しい様式が現れつつあった。・・・《巡礼者のなぐさめ》には前衛を意識を示した歌が含まれている。・・・つまり、声のパートが自然な話し言葉の自由度を保持出来る和音的/和声的伴奏を支える比較的静的なバス声部を伴った歌曲・・・この例と新様式の間には明らかな類似が見られる。(304-5頁)


とりあえずはこれくらいにしておきましょう。


野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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