« 好演:大宮光陵高等学校管弦楽団第24回定期演奏会 | トップページ | ムソルグスキー「禿山の一夜」:好きな曲30 »

2010年8月30日 (月)

「野村誠」という方法(1)

横山幸雄氏と共演した大宮光陵高等学校管弦楽団第24回定期演奏会、好演でした。



同日に行なわれた、マンハイムでご活躍の小川隆さんをはじめとする「古楽器によるフルート演奏会」が素晴らしかったとのこと、Curraghさんがブログで採り上げて下さいました。 お聴きになれた方、ラッキーでした! 是非また日本で演奏して下さることを願っております。

日本人作曲家の作品を集中的に紹介する大井浩明さん《Portraits of Composers》(POC)は、2010年9月23日(祝)、2010年10月16日(土)、010年11月13日(土)、2010年12月15日(水)、2011年1月23日(土)です。

阿部千春さん(Vn.コンチェルト・ケルン等で活躍)・大井浩明さんによる「モーツァルト:作品2」昨年大好評の作品1に続きより充実の響きです。10月13日。(リンクでは大井さんの師カニーノとアッカルドの演奏引用で曲のサワリをご承知頂けます。)

野村誠さん・片岡祐介さん「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」もっと早く知っていたかった好著でした。ご一読を強くお勧め致します。

(1)(2)(3)(4)(了)

先日、野村誠さんと片岡祐介さんの共著「音楽ってどうやるの」・「即興演奏ってどうやるの」を4回にわたって無手勝流購読しました。(1)(2)(3)(了)

片岡さんについてはこの両著で初めて存じ上げたのですが(「あいのてさん」は会社員である私は数回拝見出来たきりで、惜しいことをしました)、野村さんについては、家庭の出来事に関係してお名前を知りました。

息子が中学のクラスごとの演奏発表で鍵盤ハモニカで合奏に参加するのを決めて来て、
「他の人は鍵盤ハモニカなんて小学校までの楽器だ、って言うんだけど、僕はこの音が好きなんだ。おかしいかなあ」
というので、
「そんなことないよ」
とこたえながら、何か息子を勇気づけるような材料がないか、と探したところ、野村さんたちが「Pーブロッ」なる鍵盤ハモニカのアンサンブルを組んでいらっしゃるのを見つけました。CDが1枚出ているので、さっそく購入に走ったのでした。
これが大当たりで、鍵盤ハモニカが軽蔑的な意味合いで「小学校の楽器だ」と呼ばれるのがいかに不当か、を思い知らせてくれる素晴らしい演奏でした。

で、野村さんってどういう作品を作っているのか、にも興味が湧いて来たのですが、目新しいものをあれもこれも聴きたがっていた時期に、野村さんの作品は他の作曲家さんのものに比べていつも結構店の棚に並んでいるので、予算の関係もあり、油断して後回しにしていたら、1種類しか手に入らなくなってしまっていました。(T_T)

このCDを聴いた印象を綴って行きたいのですが、今日のところはそれは後回しです。

野村さんを後回しにした理由は別にありまして、「P−ブロッ」のCDを聴いて
「このひとやお仲間は平明で優しい作品をお書きになっているんだろうなあ」
と理想的に思い描いていたところに、ある情報で、とんでもないYouTube画像を見てしまって、「引いて」しまったからでもあったのでした。

これです。

私の固まった音楽の常識からすると、まさに
「なんだこりゃ!」
でありました。

しばし呆然としました。

これ、このリンクのイベントと関係があったようですね。

『野村誠 お湯の音楽会~銭湯混声合唱曲&フロリズム』
http://tenjinsite.jp/today/detail.php?hid=21470

で、野村さん、つい昨日のasahi.comによると、こんなこともなさっていました!

<水着だらけの音楽会、バタ足だって演奏だ 名古屋> 2010年8月29日

水と戯れる音による「演奏」を楽しむ「プールの音楽会」が、名古屋市立冨士中学校(東区)の屋外プールであった。市内で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2010」のプログラムの一つ。同市出身の作曲家・野村誠さん(41)が「蒸し暑い夏の屋外公演に」と企画した。
 野村さんと地元の演奏家11人が水着姿で登場。リコーダーを吹きながら水中を歩く「行進曲」を皮切りに、ビート板に張った楽譜にしたがってバタ足で進む「バタ足クインテット」、ペットボトルで水面をたたく「ペットボトル・ドラミング」など、既成概念にとらわれないオリジナル7曲を披露した。ユーモラスな場面も交じる演奏に、約120人の観客は笑いながら拍手を送った。
 野村さんは「あらゆるところに音楽は隠れている。楽器がなくても音楽を立ち上げられると示したかった」と話した。(西岡一正)

片岡さんとの共著2冊を読み、CDを聴かせて頂いたあとでなければ、私の「唖然」はそのまま続いていたことでしょう。

「音楽ってなんだろうか」
を謙虚に考えるとき、私達はいらぬ先入観を多く持ち過ぎているのかもしれません。

ロマン派までの音楽に比べるとよくも悪くもまるで違った種類の響きのするものが、20世紀の後半から次々と産み出されてきました。
ですが、それらは、各々、それなりの「論理学的背景」によって作曲法が決められているのが普通です。

野村さんは・・・そして幸いにして出会った先の2著からすると片岡さんも、また、野村さんのCDで共演なさっているたくさんの音楽家さんも・・・「論理的背景」というものをまた裏返してみせているのです。

どうですか?

とりあえずは、野村さんのこの映像のパフォーマンスを「音楽」とお認めになりますか?

「音楽ってどうやるの」を読んできたときの話に戻って、そこをお考え頂ければ幸いと致します。

で、じつは、この先は「音楽ってどうやるの」で私自身が感じ、それによってパウロ的回心をさせられてしまったことの延長として、野村さんのCD「せみ」を聴いてのお話を、あいだを置きながらになるかもしれませんが、して行ってみたいと思います。・・・今日はそこまではしません。

3作収録されたアルバム「せみ」では、最終曲は片岡さんも含む21人の音楽家さんの、一聴した限りでは「狂乱の」共作となっています。・・・が、これが「論理的背景」なる硬すぎるルールより緩い約束事から成り立っていて(これは「音楽ってどうやるの」に出て来た方法のひとつを用いています)、そのルールのシンプルさゆえに、むしろ
「あ〜、人って、ランダムに集まっているつもりでもこうだよな!」
と非常に納得させてくれる流れを産み出していたりする。決して「狂乱」ではない。・・・いや、私達が日常「狂乱」のなかにいることの裏返しなのかも知れない。

先走りました。

以上については文を改めます。

なお、大井浩明さんが、日本人作曲家をとりあげるPOCシリーズの第1回で野村誠作品を採り上げられるということで・・・組み合わされるのが、野村さんとはおよそ対照的ともいえるアプローチで作曲していた、と思われる(実際の中身は案外そうでもない、って、これも先走りだ!)松下眞一作品と抱き合わせられるというのが、また面白そうだな、と思っております。

ハンパですが、本日はこれまで。

次回はあいだに別のことを綴ったあとになるかもしれません!


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

|

« 好演:大宮光陵高等学校管弦楽団第24回定期演奏会 | トップページ | ムソルグスキー「禿山の一夜」:好きな曲30 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「野村誠」という方法(1):

« 好演:大宮光陵高等学校管弦楽団第24回定期演奏会 | トップページ | ムソルグスキー「禿山の一夜」:好きな曲30 »