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2010年8月 1日 (日)

大入り・豊穣:大井浩明さんの「新ウィーン楽派集成」

大入り満員、そのお客さんたちの期待を裏切らない素晴らしいリサイタルでした。大井浩明さん《新ウィーン楽派ピアノ曲集成》2010年7月31日(土)。
門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。さらに日本人作曲家の作品多数を豊富に採り上げるシリーズを展開します。近々情報を掲載したいと存じます。通しのパスポート購入可能です。http://www.opus55.jp/index.php?ooi_concert



昨7月31日に行われた大井浩明さんの「新ウィーン楽派集成」リサイタル、わりと小さな会場で、ちょっと遅れて出掛けてしまったら、既に椅子席はほぼ埋まっていました。
最終的に、椅子席のさらに半分に相当する立ち見・・・立ち聴き?・・・客が出る盛況で、シェーンベルクやウェーベルンが見たら、ぬか喜びしてしまって、ベルクさんに
「はしたない!」
と、たしなめられたかも知れません。(つまらん低品質ジョークです。)

新ウィーン楽派の作品、それもピアノ作品にほぼ限って、のリサイタルに、これだけ熱心にお客さんが集まるのは、ちょっと凄いことだ、と、正直言って最初は驚きました。
しかし、演奏がまた、大入りのお客さんの期待を絶対に裏切らない、本場欧米人でこんなにまっとうな解釈で純粋に作品そのものに迫ったものがあるだろうか、とさえ思わされる高密度なものでしたし、熱心な聴衆の皆さんはともかく、シェーンベルクもベルクもウェーベルンも、草場の蔭で大満足だったはずです。

新ウィーン楽派作品の演奏は、過剰にウェットであるか、過剰にドライなものか、の両極端であり、前者が多い傾向にあります。
ドライなほうがフォルムが分かり易いので、私のようなニワカ勉強のやからにも
「なるほど、こういう曲なのね」
とまで教えてはくれるのですが、
「んで、どこが面白いの?」
なんてことになりかねません。
かと言って、ウェットですと、今度はフォルムが分からないので、
「これ作った人たち、アタマおかしかったんじゃないの?」
と、うんざりさせられかねません。

大井さんの演奏は、両者のバランスをうまくとった点で、実に意義深かったと感じ、興奮醒めやらずにおります。

「月に憑かれたピエロ」
を聴いた、まだ十代の子供が、
「これ、ミュージカルだねぇ」
と驚いていました。
実は邦楽にも造詣の深い大井さんと、こうしたパフォーマンスに優れた柴田さん、私には文楽の秘曲(文楽の性質上、そんなものはない!)を演じているようにさえ見えました。

先立つ後半幕開けは、川島素晴さん編曲「黄金の仔牛の踊り」とウェーベルンの変奏曲が一気通貫で演奏されました。
私のような「分からん」客がいるからいいや、と考えたのか(冷えッ!)どうかは、私が「分からん」最たる輩につき分かりません。でも、拍手をしようとすれば充分な間があった(「黄金の・・・」は手袋をしての演奏で、終わったときにそれをはずしました)のですから、お分かりのはずのかたでも拍手をしなかったのは、演奏者の気迫を居合わせたみなさんが敏感に感じとった現れだととらえても間違いではないと思います。そんな聴き手の皆さんにも敬意を表したいですし、奏者と聴衆がムードを感じあえる・・・宗教だのヒーリングだのをうたわなくても人間はまだまだそういう能力がある・・・と実感させてくれる場が構築されていたことは、非常に嬉しいです。

前半は、ピアノ音楽ファンには馴染み深いベルクのピアノソナタを冒頭にもってきました。これが、私の描いていた大井さんの演奏イメージに反するほど叙情的なのにはドッキリしました。以降、時系列(作品発表順)に演奏されるシェーンベルクとの対比のための周到な戦略なのか、と勘ぐりました。
この勘ぐりは、ハズレだったようです。「3つのピアノ曲」もまた、叙情的に開始されたからです。ただし、シェーンベルク作品におけるペダリングが巧妙でして、際立ってそれが分かるのは「3つのピアノ曲」第二曲でした。この曲の最初に呈示される遅い足取りの動機は曲全体に重要な役割を果たすのですが、これが重く暗くなり過ぎるのを回避するために(推測)左ペダルを踏んで開始したその思考を終始保っていたのでした。右手表現の都合から右ペダルを踏まなければならないときにも、右ペダルの踏みっぱなしをせずにまた上手く左ペダルを活かすよう、足が常に頭脳的にスタンバイしていたのです。
シェーンベルクの他作品も、概ね「ダンパーはずしっぱなしのダラダラした響き」を避けた緊迫感に溢れるペダリングで、そのぶんは指の表現でカヴァーしていたのだろうと思います。叙情的表現=ダンパーペダルふみっぱなし、という向きの演奏家さんには、大井さん流の奏法を是非ともご研究頂ければ、と、僭越な考えが胸をよぎりました。
作品33a,bは、ひとつながりのものとして演奏されました・・・これは通例なのかも知れません・・・。これも当然ながら作品にふさわしいものでした。

さらに、拝聴した中で耳に残り続けていて、まだ忘れがたいのは、「6つのピアノ曲」終曲の弔鐘の、聴いた限りの他演奏に比べてどこか梵鐘に近い<馨り>でした。

無知蒙昧の私がくどくど綴っても、ここまででもピントがはずれているかも知れませんから、このくらいにします。が、このリサイタル、録音して、本当にたくさんのかたにお聴き頂きたくなるようなものだったことを、最後に申し添えさせて頂いておきます。

  明るい月の白いシミ
  黒い上着の背中にくっつき
  ピエロはさまよう 生暖かい夜
  色事求め 運試しへと
   (「ピエロ・リュネール」第18曲の詩の宮川尚理訳文言一部変更、
    フライターク『シェーンベルク』122頁所収、音楽之友社 1998)


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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