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2010年7月17日 (土)

ショパンによるレッスンと「エチュード」:リスト考(番外)

oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。



リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
     (9)(10)
     番外(ショパン1)


出会った当初は親近感を覚えたリストに対して、ショパンはすぐ後に必ずしも良い評価を与えなくなりました。

リストの弟子だった生徒にレッスンしたときのエピソードがあります。

「わたしは・・・これはひとえにリストのおかげなのだと思いながら、ベートーヴェンのテーマ(アンダンテ・コン・ヴァリアジオーニ、ソナタ作品26の第1楽章)を、教えられた通りに・・・上手に段階をつけて弾いてみた。それは秋の風景に真夏の太陽が照りつけるような感じであった! ・・・体が熱くて、真っ赤な炭火のように感じられた。これは挑発のようなものだった----が、わたしは自己にのみ語りかけたのだ。テーマを弾き終えると手を休め、わたしは落ち着いてショパンの眼をのぞきこむ。彼は親愛の情をこめてわたしの肩に手をかけ、『これはリストにも言っておきましょうね。わたしもこんなことは生まれて初めてですよ。いや、ほんとうに美しい。でもそれほどいつも演説めいた調子で演奏すべきなのでしょうかねえ?』と、言ったのである。」(レンツ【1809-1883】の証言、『弟子から見たショパン』訳書77頁 音楽之友社 2005年)

リストが生徒に対してどんなレッスンを行なったか、のほうは私は文献等で目にしていません。が、ショパンの自身の作品への価値観については、パリ音楽院ピアノ科教授でショパンの隣人になったマルモンテル【1816-1898、ドラクロワ作のショパン肖像画の所有者でもあった】の証言に
「ショパンは自作が改竄されるのを嫌っていた。どんな些細な変更も重大な誤りに感じられ、いくら親しい人でも我慢ならなかったのである。彼を熱烈に崇拝していたリストについても例外ではなかった」とあります。(同書174頁)

リストのほうではおそらくショパンの本質は理解していたのではないか、と思われる発言をいくつか残しているのですが・・・ショパンは自作を人前では二度同じように弾くことはなかったといい、リストはショパン自身が思い込んでいるほどショパンの音楽は固定された楽譜の上では本性を現しきれないことをショパン以上に知っていたのではないでしょうか)、いかんせん、ショパンの顕在意識的嗜好とでもいうべき演奏様式は、リストのもっているものとは正反対だったようで、リストの側がそれには鈍感だったのかもしれません。
激烈な文学的表現でショパンに賛辞を贈り続けたシューマンに対してとなると、ショパンは極めて冷淡な無関心さを示していたようです。彼は生徒への教材としてシューマン作品は使わなかったと思われますし、面会こそしたこともあり、作品を献呈されてお返しはしたりしているものの、本質的にはシューマンに対する興味すら抱かなかったかと想像されます(同書196頁参照)。

ショパンは、音楽に文学的解説を付したり、リストがその頃さかんに行なっていたような多数の聴衆向けの派手な装飾を徹底的に嫌ったのでした。

ショパンの嗜好を示す事実の記録がもうひと種類、あります。

先ほどのレンツが、ショパンのベートーヴェン(上記と同じ作品)を招待先で弾いたときの感想を「理想的な美しさだが女性的な演奏だ! だがベートーヴェンは男であり、男らしさを失ったことはけっしてない!」と評し(演奏そのものには陶酔させられている)、帰路ショパンに尋ねられてこの感想を正直に告げたところ、ショパンは腹を立てずにこうこたえたのだそうです。
「わたしはおよそのところを描くのであって、絵を完成させるのは、聴衆の役目なのです」(同書 346頁)
1835年のある評論は、ショパンの演奏についてこう記しているそうです。
「それにしてもショパン氏の演奏はなんとしても聞取りにくく、細部はほとんど聴衆には伝わるに至らなかった、と言っておかねばなるまい。ショパン氏の才能はもちろん完璧なものだが、あまりにも繊細で捉え難いニュアンスに富んでいるために、訓練を積んだ鋭敏な耳にしか理解されないものだ」(同書180頁)

こうした評価は、ショパンの音量が小さかったことに帰されるのが現在では一般的で、ショパン自身もそう思われていると感じていたようですが、本質的には多分音量の問題ではなかったのであろうことは、ミハウォフスキ【1851-1938、ポーランドのピアニスト、作曲家、教育者】が表明している意見から推測することが可能ではないでしょうか?
「《もしショパンが現代のピアノに触れる機会があったとしても、ピアノの音響効果をどこまでも追求するようなことはなかっただろう》(引用の括弧はブログの綴り手である私が付け足しました)という具合に想像出来るものだろうか? ミクリ(ショパンの弟子)の証言によると、ショパンは生まれつき深く豊かに響くタッチを備えていたそうだ。現代のベヒシュタインやスタンウェイなら、きっと、ショパンも、昔ならば力をこめて無理に不快な音を出すことでしか得られなかったようなフォルテを、出せたにちがいない。」(同書178頁・・・なお同じく43頁参照)

ショパンが弟子の大仰なフォルテを嫌っていたのは、彼がしばしばそれを「犬の吠え声」にたとえたように、濁った音響がもたらされたからだったからなのでしょう。であれば、ミハウォフスキの発言は素直に傾聴してよろしいかと私は考えます。

以上から、ショパンが自分の音楽に対する姿勢から弟子たちを教育する際に心を砕いたのは、

・(原点的なものとしての)音楽のオリジナリティを作為的に崩してはならないこと
・音響の混濁を起こすような演奏はしてはならないこと

に、おおよそ集約出来るのではないかと思われます。
裏付けとして、暗譜が得意だったらしい弟子が楽譜を持参せずにショパンのところへレッスンを受けに行ったとき、
「楽譜はどうしたんですか?」
と言って怒ったというエピソードなどを例に挙げてもいいでしょう。(同書44頁)
また、ショパンは弟子たちには、最初からゆっくりとレガートで練習するように、とも言い続けたようです。(同書同頁)

関連するかどうか・・・つい数年前から、音楽のレッスンの書籍も「脱力」をアピールするものが増えましたが、それらを読んで脱力の本質をほんとうに体で理解出来るのかどうかとなると、私は疑問に思っています。難解なのです。ですから、手に取ることはやめました。あるお一人の方についてだけは、おそらく余分なものを切り捨てた明快なご著作を出して下さるのではないかと希望を持っているのですが、それが出るまでは一切必要ないとさえ思っております。
ショパンが簡明に次のように述べているのを念頭に置くくらいしか、普通の私達には出来ないでしょうし、しかもそれで充分なのではないか、とも感じられるからです。

「足の先のほうまで、体全体をやわらかくしなさい」(同書46頁)

「手が自然に落ちるようにしなさい」(同書47頁)

演奏していて、この2点が実現出来ていないことをきちんと感じ取れるように冷静に練習すれば、どうでしょう、事足りるのではないでしょうか?・・・もっとも、そう感じ取ることが非常に難しくはあるのですが。

ピアノ演奏、ということでさらにショパン伝授をまとめた、弟子マチアスの発言もあります。・・・他の楽器にも類推で利用出来る話でしょう。
「極端に言えばビロードのような手で鍵盤をこねるつもりで、鍵盤を叩くと言うよりは障り心地を確かめるようにするんですね」(同書49頁)

ショパンが黒鍵の多い調の音階練習から弟子に取り組ませたこと、なぜならそれが手のかたちにとっていちばん自然な鍵盤上での位置(ポジション)を体得させることが出来るからだと理解していたことは、これまで引いて来た「弟子から見たショパン」のほか、加藤一郎『ショパンのピアニズム』(音楽之友社 2004)などからも明らかになっています。
この有効性については、弟子の中に、ある期間ピアノを弾けずにいたにもかかわらず、再び鍵盤を前に出来たとき、すんなり弾けたことに驚いた、という類いの証言があることから証明されるでしょう(申し訳ないことに、どこに記載されているのを目にしたか失念してしまいました)。

で、弟子へのエチュードの与え方については、こうしたメトード的な(技術を身につけさせる)ものと、主にクレメンティの全調音階によるプレリュードと練習曲(全音による日本語版が出版されています)を軸としていたこともまた『弟子から見たショパン』ではっきりしることができます(とくに53頁の譜例を参照)。楽典への早い段階での理解も重視していたショパンが書きかけたままで終わった草稿は、『弟子から見たショパン』訳書258-266に完全収録されています(ほとんどが言葉による説明で、エマヌエル・バッハやテュルクの著作を連想させます)。
また、並行して、彼が傾倒していたセバスチャン・バッハの『平均率ピアノ曲集』から教材を選んで音楽性を養わせていたことも分かっています。

ショパン自身のエチュード(作品10と作品25)については、ショパンが高度と認めた弟子にしか使用をさせなかったそうで、彼が彼自身のエチュードで何をどのように伝えたかったのかは、私達には秘されたままです。
ただし、作品10の第1番については、シュトライヒャー【1816-1895】の証言が残っています。

「『このエチュードは役に立ちますよ。私の言う通りに勉強したら、手も広がるし、ヴァイオリンの弓で弾くような効果も得られるでしょう。ただ残念なことに、エチュードを練習しても、たいがいの人はそういうことを学びもせず、逆に忘れてしまうのです』と、彼は言うのです。/このエチュードを弾きこなすには、とても大きな手をしていなければならない、という意見が今日でも広く行き渡っていることは、わたしも先刻承知しています。でもショパンの場合には、そんなことはありませんでした。良い演奏をするには、手が柔軟でありさえすればよかったのです。」(『弟子から見たショパン』96頁)

この証言を参考にすると、とくに自習者にとってはもっとも親切であるとみなしていいコルトー版についての、コルトーの記述には、ちょっと用心しながら読む必要がある箇所が頻出するのが分かってきます。

第1番に関して言えば、たとえばこんなことばがひっかかります。

「まず手をいちばん良い位置に固定する。そして・・・強靭なタッチを養う。

「・・・手の筋肉の整然とした発達に必要な均衡を確保する。」

等々。

対照的なショパンの言葉を、少し引いて終わりにします。
(異稿についても若干のお話をしておこうかと思いましたが、まだ検討不足できちんと表現出来ません。ただ、とくに作品25のフランス版とドイツ版の相違点については、いかにショパンとはいえ、純粋な音響効果への個人的嗜好からだけではなく、「和声の禁則に未だ拘泥していた」フランス音楽界への気遣いもあったのではないかと感じております。もう少し検討を続けます。)

「・・・可能なかぎり美しい音を簡単に奏でて、長い音符も短い音符も弾きこなし、[どんな場合にも]高度な演奏能力を発揮する[ようになる]には、手が鍵盤に対して[最も具合のよい(つまり最も自然な)]位置を保つだけでよいのである。」(『弟子から見たショパン』訳書40頁)


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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