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2010年7月29日 (木)

シェーンベルクがなしとげたこと(2)

大井浩明さんのリサイタル《新ウィーン楽派ピアノ曲集成》は2010年7月31日(土)午後7時から、公園通りクラシックス(渋谷・東京山手教会B1F)で。
門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。さらに日本人作曲家の作品多数を豊富に採り上げるシリーズを展開します。近々情報を掲載したいと存じます。



シェーンベルクがなしとげたこと:(1)(2)

大井浩明さんによる《新ウィーン楽派ピアノ曲集成》(7月31日(土)に渋谷:公園通りクラシックスで)は、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンのピアノ作品をほとんど網羅していると同時に、絶品のおまけ(いずれもシェーンベルク作品)がふたつ付くわけです。

おまけのひとつ目は川島素晴さん編曲による「黄金の仔牛の踊り」(歌劇『モーセとアロン』中の音楽、川島さんはCD "ACTION MUSIC"【fontec FOCD2548】をお出しになる一方日々精力的に「動き回っている」とお見受けする面白い・・・とは私のようなズブの素人が申し上げては大変失礼!・・・作曲家さんです)。
ふたつめは、こうした音楽には必須の絶対音感をしっかり身につけていらっしゃる(しかも歌手ではなく女優さん!)柴田暦さんの歌唱による『月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール)』(1912年)です。

で、じつは、この「おまけ」の前者と、プログラム中のヴエーベルンの作品、シェーンベルクの1921年以降の作品を除いては、「十二音技法」による音楽ではありません。

初回は「浄夜(浄められた夜)」をちょこっと聴いてみました。これは1899年、シェーンベルク25歳のときの作品。バリバリの後期ロマン派作品であることは、一聴してお分かりになる通りです。
ベルクのピアノソナタは1907年作。
シェーンベルクが「十二音技法」をまず私的に口にしたのは1921年、公けにしたのは1923年で、彼のピアノ作品では「3つのピアノ曲」作品11(1909)、「6つのピアノ曲」作品19(1911)は、「十二音技法」に則っているはずがないことは、作曲年からはっきり分かることです。

・・・となると、31日の大井さんのリサイタルは、「十二音技法」などという看板を意識から取り去って聴きに行くべきものだ、と考えておくことが望ましいわけです。

元来が、「十二音技法で書かれた」作品のどこが「十二音技法」なのかは、聴き手である私達には分かるようなもんではありませんし、分かって聴いたところで、技法の詳細が最重要であるわけでもなかろう、と、僭越にも私は思っております。

じつは、シェーンベルクは「十二音技法」を公にする1923年までほぼ10年、作品を発表していません。23年(実質は21年)になって「十二音技法」を唱えてから創作に復帰しています。ルドルフ・シュテファンという人が、そんなシェーンベルクについて、次のように述べているそうです。
「こうして再びソナタ、組曲、ロンド、変奏曲を作曲出来るようになった。これは彼が再び、あらかじめどのような加工が加えられるのかを予測出来る主題を作曲出来るようになったからである。」(エーベルハルト・フライターク『シェーンベルク』、宮川尚理訳、音楽之友社 1998)。

残念ながら、現在、演奏者の視点からシェーンベルクについて述べた日本語書籍は、普通にはグレン・グールドがラジオ番組で喋ったものをまとめたものの邦訳(『グールドのシェーンベルク』筑摩書房 2007)くらいしか入手出来ず、さらに残念なことに、グールドの話の内容は演奏に直接かかわるものではなく、シェーンベルク作品の特徴についての主観的な分析とでもいうべきものになっているのですが、それでも記述が対談形式である上に、途中に指揮者ラインスドルフ、作曲家コープランドやケージ、それにシェーンベルク夫人へのインタヴューを含みますので、目を通しておく高い価値があると思います。
かつ、十二音技法についてのグールドの見解は先のシェーンベルクの伝記とも共通しているので、妥当であるかとも思います(同書60-61頁参照)。

で、非常に興味深いことに、シュテファンが記述していることを裏付けるかのように、シェーンベルクが明確に十二音技法を貫いて書いた最初の作品である「ピアノ組曲」作品25は、なんと、バロック組曲(に類似)の骨組みを使用しているのです。このような構成です。(音響としては伝統的な和声では忌み嫌われた三全音に満ちあふれているそうです。が、聞き物としては前期の流麗な後期ロマン派ムードに比べると、およそユーモアとは縁遠かった人格の持ち主だったと思われるシェーンベルクの人の手になったとは信じられない愉快ささえ覚えます・・・そこがどう出てくるかが演奏の聞き所になるか、と感じてもおります。)

1.プレリュード
2.ガヴォット
3.ミュゼット(ダ・カーポでガヴォットへ)
4.インテルメッツォ
5.メヌエット
6.ジーグ

・・・1920年代当時最前衛の「技法」を披露するにあたって、ヨーロッパの伝統的な形式を用いなければならなかったシェーンベルクの精神は、どのような状態だったのでしょうか?

グールドが開陳している見方についてはご興味があれば実際に書籍でお読みになって頂ければよろしいかと思います。グールドの演奏(録音)では、私はこの作品を未だ耳にしていないから、でもあります。

大井さんのリサイタルに運良く伺えるようでしたら、精神、とは言わずとも、「十二音技法」を打ち出した直後のシェーンベルクが、たとえば『浄められた夜』や『月に憑かれたピエロ』とはまったく違う(と私が感じる)作風を打ち出せた秘密を、大井さん流にどうあぶりだすか、というあたりに、ワクワクしながら耳を傾けたい、というのが、私の今の楽しみです。

ただ、この作品25の書法は、新ウィーン楽派3人の中で唯一「十二音技法」にとことんこだわったヴェーベルンのミニマリズムに通じるものをも、長編に発展して行ったベルクの、言ってみれば聴衆に親和するための形式的な伝統保持に通じるものをも、まるで結晶のように併せ持っているのが、ユニークであると考えております。
シェーンベルク個人の「限界」を表わしているのかもしれませんが、それ以上に、ベルクやヴェーベルンに留まらず、あとの世代に引き継がれ、あるいは解体されて行くべき材料を、形式の面でも書法の面でも、これほど典型的に人前に呈示した作品は珍しいのではないかと思いますし、シェーンベルクの今日に持つ存在意義を手短ながら雄弁に物語っているとも感じます。

・・・尻切れとんぼで恐縮ですが、本日はこの程度綴るのが限界ですので、ご容赦頂ければ幸いに存じます。出来るだけ、のこるピアノ作品についても概観したいと思っております。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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