« リスト考(8)ベルリオーズの音響 | トップページ | モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K.338 »

2010年7月 3日 (土)

リスト考(9)天使としてのパガニーニ

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会〜終了
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。



oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。

リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)・(9)


少なくとも日本で受容されているヨーロッパ・クラシック音楽の価値観は、いまなおこのようでないかと思います。
すなわち、

バッハが小川ではなく大海だったとするならば、フランツ・リストは大海ではなく掃き溜めである。

リストについて眺めて来て、表面的には、彼の音楽に彼以後および彼以前が「雑多に」混じっている印象があるのは確かです。おおまかに整理しますと、

1)彼の音楽活動自体が、同時期のショパンとは違い、指揮にまで手を出した多面的なものであった

2)同時代人作品を編曲・編作したものが他者より圧倒的に多く、それらの普及に努めている

3)いっぽう、自身の作はメカニックに重点を置いたと見なし得るピアノ曲創作が数量上主流を占めていて、前世代の様式観を破壊していながらまだ整理しきっていない印象がある

4)様式観の破壊はシューベルト、ベルリオーズ、そして今回見るパガニーニから触発されていると見なし得る

3)の点については、これまでむしろこのように貶めるよりは前向きな姿勢を評価して来たのでしたが、前向き評価を決定的にし得る材料はまだ呈示出来ていないと思っております。
2)・4)は、リストが「近過去」の受容に人並みはずれて敏感だったことを暗示していると考えておりますが、この「近過去」の先人たちがどのようにそれ以前を継承しようとし、あるいは否定しようとしたかが明らかでないかぎり、リストの「掃き溜め」にそれらが蓄積された本当の理由は見えて来ず、これについては今度は後日、とくにシューベルトに焦点を当ててみることで、よりきちんと把握出来ないかと思案しております。
リストについては、
「では彼の音楽は本当に<掃き溜め>としか言いようがないものなのか?」
ということについて決着をつけておく必要がありますし、リスト観察の意義はそこまででいったん追求を終えておくべきかとも考えております。

とはいえ、その決着のためにだけでも、まだ見ておかなければならない問題点があります。

日本語で「練習曲」と訳されている一連の作品群がその問題の対象となるのですが、今回はパガニーニとの関連におけるリストの「練習曲」を採り上げて前フリとしておきます。

日本語訳で「6つのパガニーニ大練習曲」、英訳で"Six Paganini Studies"となるリスト作品はいま弾かれる/聴かれるものは1851年(リスト40歳)のものですが、初稿は1840年(リスト29歳)の出版で、シューマン夫妻に結婚祝いとして献呈されたものです。創作は1838年からなされていた、とされています。
そうした経緯はともかく、リストがパガニーニに感銘を受けたのは1832年4月だったことが明らかになっています。そして、その場所がパリであったことが、リストの「練習曲」の性質を考える上で大きな意味を持つことになるでしょう。・・・これについてはまた、もう少しショパンと並べて睨み合わせながら考えたいと思います。
注意しておきたいのは、リストがパガニーニについて思考を巡らし始めた地がパリだったということで、そうすると、上記「練習曲」はリスト内部でのタイトルとしてはフランス語の"Six Grendes Etudes de Paganini"がもっともふさわしかったのではないか、と言う点で、これは今回は「そうなのではないか」と申し上げておくにとどめます。

パガニーニから受けた衝撃をストレートに述べたリストの言葉(福田弥訳、「リスト」p.36所収)

「最初の傑作を目の当たりにしたときのミケランジェロは、『私も画家である!』と叫んでいます。・・・パガニーニの最新の演奏を聴いて以来、この偉大な人物の言葉が私の中を去来して止みません。なんという人物! なんというヴァイオリン! なんという芸術家! 神よ! この四本の弦に、いったいどれほどの苦悩、苦痛、堪え難き苦しみが込められていることでしょうか!」

リストがパガニーニの「華麗さ」に打たれているのではなく、むしろパガニーニの演奏の中に・・・おそらくベルリオーズの大音響と、そのあいだに挟まれた繊細さの極端な対立に感じたのと類似の・・・ある種宗教的とも言える精神性を聴き取っているのには、注目すべきではないでしょうか?

直後の創作から勘案するに、リストが衝撃を受けたのは、有名な「鐘(ラ・カンパネッラ)」の主題の終楽章を持つ協奏曲(パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番を中心にしていたのでしょう。4年前、シューベルトは同じ協奏曲の第2楽章のアダージョに「天使の声」を聴き取っていました。
で、衝撃を受けたばかりのリストのパガニーニに対するイメージは、前に引用したことがある、パガニーニが死去した際(1840年)のリスト自身の発言と矛盾します。

「未来の音楽家が、自己中心的でうぬぼれた役を喜んで放棄すべきことを願ってやみません。パガニーニは、そのような役まわりをした、最後の輝かしい代表的存在であったと思います。」(福田著p.38)

伝記的事実として、最初の発言からあとの発言までの8年間に、パガニーニとリストの間にどのような接点があり、どのような精神的効果を及ぼしたのかは私は知りませんし、このあいだか別の時期なのかも、いま文献としている福田著からは知り得ませんが、リストの内省は彼に

「技術は機械的な練習からではなく、精神から生まれるべきである」(福田著p.37)

という言葉を吐かせています。

すると、極めて技術的な困難度の高い「パガニーニ大練習曲」もまた、パガニーニとの出会いから6年を経てやっと手掛けられているのを勘案すれば、じつは「技術」ではなく、「精神性」を求めた作品群なのだ、ということになり、今日もおそらく一般には「高度な技術の披瀝のため」と評価されているであろう、リストの「練習曲」に対する視点も、ひょっとしたら変えなければならないのではなかろうか、と考えられることになります。
(着手時期が1826年だったという「超絶技巧練習曲」も、改訂が重ねられ、最終的には1851年に決定稿の完成をみています。)

現実問題として、リストの「練習曲」類は、間違いなく現行の一般的評価と違うこと無く高度な技術の持ち主以外には演奏に着手することすらできません。しかし、その技術の問題とリストが「練習曲」類に求めたものとは、区分して捉える必要があるのかもしれません。・・・困ったことに、そう考えるほうが妥当だとしても、リストにとっては高度な技術など朝飯前だったが故に、この分離は私達には無理があるように感じられてしまうのですが、それはそれとして、リストが内面に抱えていた「音楽そのもの」をフィルタ無しに把握する努力は、やりなおされて然るべきなのではないかと思います。

「6つのパガニーニ大練習曲」はリストが愛着を示した第3曲「ラ・カンパネッラ」だけが飛び抜けて有名ですが、リストの精神面を窺うヒントは第1曲のほうに顕著にありますので、パガニーニの原曲(「24のカプリース」の第5曲冒頭部及び第6曲を結合したものなのですが、第6曲のほうだけ)とリストの第1曲をお聴き比べ頂きたく存じます。

原曲(Midori【後藤みどり】 SONY SK 92764 )

リスト(Marc-Ander Hamelin hyperion CDA67370)

パガニーニは、とくに6つの協奏曲どれにも際立つ特徴として、ヴァイオリンの特性を生かすべく高音域への偏執狂的とも言えるこだわりがあるのですが、カプリースは純然たるヴァイオリン1丁の無伴奏作品であるが故に、そうした極端な傾向はありません。それでもリストは、パガニーニのオリジナルから受けたであろう感銘をさらに深めるべく、和声を拡張する試みを執拗に行なっているところに、私達は耳を傾けるべきであろうかと思います。

パガニーニ自身が、自分の楽器になんらかの音楽的限界を感じていたのではなかろうか、とは、パガニーニがベルリオーズに書き送ったメッセージから薄々と感じられてくることです。曰く、

「あのベートーヴェンを再生するものは、ベルリオーズを措いて外にありません。・・・尊敬のしるしとして何卒2万フランお受け取り下さい」

・・・自ら依頼しながら独奏部に期待した技巧が凝らされていないため失望した「イタリアのハロルド」を、それでも依頼の3年後に耳にして感銘を受け、妻の借金返済に四苦八苦していたベルリオーズに援助を申し出た際のものです。

リストにとって、パガニーニとベルリオーズは、リスト自身が「これから」の音楽を思索する上で一体となって大きな印象を与え、リストの音楽形成に正負共に大きな役割を果たしたのだということを、前回に続き、さらに強調しておきたいと存じます。


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

|

« リスト考(8)ベルリオーズの音響 | トップページ | モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K.338 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/208675/48779895

この記事へのトラックバック一覧です: リスト考(9)天使としてのパガニーニ:

« リスト考(8)ベルリオーズの音響 | トップページ | モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K.338 »