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2010年7月 4日 (日)

モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K.338

上田美佐子さん(中世フィドル・ヴァイオリン)コンサート
・5月30日(日)西荻窪のサンジャック〜終了
・6月16日(水)日本福音ルーテル東京教会〜終了
・7月11日(日)絵本塾(四谷)
です。ユニークです。是非足を運んでみて下さい。詳細は上記お名前のところにリンクしてあります。


oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。


ここまで読んできたモーツァルト作品の個々へのリンクを作成し直しました。ご利用下さい。


ザルツブルク時代最後のシンフォニーであると同時に、いわゆるジーグ風のフィナーレを持つ最後の作品でもあります。
同時期(時代ではなく)のシンフォニーのフィナーレがどのようになっていたかを統計的に見ていないので分かりませんが、1880年前後が、ドイツ圏に於けるシンフォニーのジャンル確立の分岐点だったのかもしれないなあ、と、最近漠然と思っております。
イタリアと比べてセクションが明確に独立しているのが、もしかしたらドイツ圏でのこのジャンルの最大の特異点だったのかもしれず、それはやはり組曲としてのオーヴァチュアーとの混在からもたらされた帰結であり、日本語訳にしたときの「序曲」の性質をイタリアから混淆したまま受容していたドイツ圏で、シンフォニーは楽曲としてはようやく「序曲」的性質を切り離した単独のジャンルとしての地位を獲得したのではないでしょうか?
ちなみに、イタリアでは「序曲」が<シンフォニア>である状況は19世紀にもなお続きます。しかしながら、同時期のドイツではもはや「序曲」が<シンフォニア>であることは無くなっています。

ジャンルの確立とともに、<シンフォニア>ならぬシンフォニーは、舞曲の組曲的な性質とも訣別を果たします。この点、シンフォニーには当初からSuiteの性質は無く、ただ【緩】ー急ー緩ー急の構成だけが原則として貫かれており、冒頭楽章が舞曲であることは無く(これはシンフォニーがフランス風序曲【オーヴァチュアー】の特質のほうを強く受け継いでいたことを物語っているように思われます)、中間に置かれる緩徐楽章もまた通常二もしくは三の部分からなる(いわゆる二部形式もしくは複合三部形式)、どちらかというと上級歌謡的な性質を持つものであり、その前か後ろにメヌエットを置き、終楽章にジーグを置くことで、18世紀前半の聴衆(まだ主に特権階級の人々だったでしょう)の趣味に合わせるかたちを保っていたがために、Suiteとの境界があいまいなまま放置されていた、と言ってよいのかも知れません。

モーツァルトのこの交響曲第34番は、彼が意識していたかどうかを問わず、モーツァルト自身にとっても、音楽の旧態に訣別を告げるのにふさわしい作品なのではないか、という感が強まって来て、どう観察していいのかに戸惑ってきました。それは、この後ピアノ協奏曲に創作の比重を高めて行く際の彼の戦略とは一線を画する面があるからです。同年の2台のクラヴィアのための協奏曲(これがモーツァルトのザルツブルク時代最後の協奏曲になるのですが)を例外として、これから数年間のモーツァルトのピアノ協奏曲には、むしろ保守的な面が窺える作風を示していますが、協奏曲は新天地での彼の死活を握るものであり、新しい聴衆となるウィーンの人々にウケなければならなかったからではないか、と、私は疑っているのです。

交響曲34番は、その点、「媚び」がありません。
終楽章が彼にとって最後の「ジーグ楽章」であることは前述の通りですが、名作である直前の第33番の終楽章(音楽としては非常に魅力的です)に比べて、34番の終楽章のほうが、創作の姿勢としては浮ついたところがありません。33番では2拍子と6拍子が混在していて・・・それが結果的に素晴らしい音響効果にも繋がったのではあったのですが・・・、おそらく創作当時の聴き手にとっては戸惑いを覚えさせる隙を残していたのに対し、34番のジグ(ジーグ)は拍子感が6拍子を強烈に貫いていて、聴き手に「ああ、よかったね」とも、「なんかちょっと流れが複雑だね」とも思わせる隙を一切与えないで、ただ人々の耳を圧倒するのです。
そこに、「イドメネオ」に賭ける覚悟を決めた、したがってザルツブルクへの訣別を既に無言のうちに固めていたモーツァルトの強い意志を感じるのです。
このジグは、むしろサルタレッロと呼んでいいのではないでしょうか?
音符を眺めれば眺めるほど、そしてAllegro Vivaceの標記にしては絶対に「緩い」テンポを認めない、むしろPrestoよりも急速でなければならないテンポを内包していることを感じるほど、このフィナーレは、あっさり聴き逃せない強烈さを持ち合わせているように思われてなりません。

第1楽章の和声感も、たいへん不可思議です。ハ長調とハ短調(属調においても同じ)の「不自然な」結合・・・13小節目や27-28小節からしてそうです・・・は、編成がこの調にふさわしいトランペットとティンパニを備えた定型的なものであるにもかかわらず、かつ、おそらくは何か祝典的な場で演奏されたためにこの調が選択されたのであろうと推測されるにもかかわらず、聴き逃すにはちょっとひっかかりのありすぎるゴツゴツした肌合いで耳に不快を覚えさせます。これは斬新です!!!

「リンツ」交響曲がハ長調であるにもかかわらず、トランペットもティンパニも含んでいないことを想起して頂きたいと思います。これは1880年以前のモーツァルトを眺めても、あるいはハイドンの交響曲を眺めても、また定型違反なのです。)この記述は誤りですね、ごめんなさい! 頂いたコメントを参照なさって下さい。(2016.3.16記)

第1楽章は、形式分析からいえばソナタ形式なのでしょうが、この点では見かけ上クリスチャン・バッハらの古形に戻っていることにも着目すべきです。すなわち、「展開部」相当部には、呈示部ないし再現部で用いられる主題は一切顔を出しません。かといって独立した中間部を形成しているわけでもなく、音楽的な一体感は、この楽章を「三部形式」と見なすことを許さないのです。ただし、このことをどう明言していいのか、は、今にいたって未だ言葉でどう表現すべきかを私は見いだせません。しかも、形態の上では尊敬した先輩であるクリスチャン・バッハのものに回帰しているとはいえ、決して「古形」でもない。

第1楽章もですが、33番に類似した音響を持つ、ただしよりシンプルな、弦楽だけの愛らしい第2楽章についても、反復記号が一切現れないところにも目を向けておくべきです。
モーツァルトは、このシンフォニーにおいて、狂躁的な第3楽章フィナーレのジグを除いて楽想の反復を可能な限り認めない方針を貫いている。どなたかが仰った「疾走するモーツァルト」を最も良く体現した、
「流れが淀む音楽への拒絶」
が、こんなに明示された作品は、後にも先にもないのです。

さらっと耳にしただけでは聴き逃してしまう、この点に、実はたいへんに衝撃を受け、魅せられてしまっていた、という次第です。

古くはラインスドルフやベーム、スウィトナーも名演の録音を残しています。
ホグウッドの録音も秀逸だと思います。

なかなか存在感が認められきっていない作品だとは思いますが、「イドメネオ」以降のモーツァルトの精神のいちばん底辺をかたちづくっている、貴重な作例だと、ここで断言しておきたいと思います。

したがって、主だった研究者のレポートを参照することも一切致しません。

第2楽章は弦楽のみ、他はオーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニが加わる

第1楽章:Allegro vivace、4/4、264小節
第2楽章:Andante di piu tosto Allegro、166小節(ファゴットは本来はいるべきではなかろうと思います)
第3楽章:Allegro vivace、6/8、304小節、134小節目に反復記号


oguraooi.jpg 日本で本場のカンツォーネを聴かせて下さることにかけてこれ以上の方はいらっしゃらない、青木純さんの今後のスケジュールは、こちらをクリックしてご確認下さい。

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コメント

はじめまして。いつも詳しい解説、楽しみに読ませていただいています。
>「「リンツ」交響曲がハ長調であるにもかかわらず、トランペットもティンパニも含んでいない」
「リンツ」というのが、K.425であるならば、トランペット2、ティンパニを含んでいます。というより、この曲は緩徐楽章にトランペットとティンパニを使った極めて初期の例です。
またハイドンの例で言うならば、初期・中期の曲ではハ長調交響曲でトランペットとティンパニは必ずしも必須とはなっていません。エステルハージではトランペット奏者を雇っていなかった時期が長かったからです。ランドン編さんのユニバーサル(フィルハーモニア)版では、より後期の筆写譜から補って付け加えていることが多いようです。

投稿: とおりすがり | 2016年3月 1日 (火) 12時48分

とおりすがりさま

ご指摘ありがとうございます。仰る通りで、恥ずかしい初歩的ミスです。ハイドンについてもそのとおりかと存じます。ご教示ありがとうございます。
本ブログ、打ち明けますと、私の家内喪失(10年前死去)と鬱リハビリで続けていたもので、ひとつひとつの記事を無我夢中でだだっと綴ったので、こうしたミスは随所にあるものと思います。今後とも是非どしどしご指摘下さいね。
幸いすでに鬱からは立ち直り、反比例で記事も少なくなっています。モーツァルトも中断したままです。楽しくいろいろ教えて頂ければ、とても幸せです!
重ねて御礼申し上げます。

(本文はとりあえず間違いをはらんだまま放置します。ハイドンの件も含めてきちんと直せるように調べなくてはいけませんね。)

投稿: ken | 2016年3月 1日 (火) 22時44分

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