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2010年7月23日 (金)

リスト考(11)「標題音楽」

oguraooi.jpg 2台のピアノによる「モーツァルトピアノ協奏曲全曲演奏会」第2回決定しました(京都7月3-4日、東京7月27日)。6月29日に掲載しましたが、バナーに大井さんのブログ記事をリンクしてあります。なお、門仲天井ホールで9月23日に「松下眞一《スペクトラ》全6曲(歿後20周年)+野村誠」演奏会が行われます(確定)。大井さんの新譜(ベートーヴェン:ヴァルトシュタイン・アパッショナータ)、HMVにリンクを貼ってあります。



リスト考 (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
     (9)(10)(11)
     番外(ショパン1)・番外(ショパン2)


さて、リストと同世代の、彼と接点のあった優れた音楽家たちを、素人なりに瞥見してきました。ただし、ドイツ圏のただ中にいたメンデルスゾーンとシューマンについては見ておりません。

シューマンは「作品に文学的標題をつける」・「楽語にドイツ語を使うことを促進する」ことで、幻想曲や交響詩の作家、ハンガリー人意識を表明し続けたリストと同時代色は強く持っていましたし、シューベルトを重視した点でも一見親近性はあるのですが、リストとは何か違うほうを見ていたように感じております。リストがハンガリー語を話せなかったのは有名な事実ですから、シューマンのようにナショナリズム的な発想はありません。

先輩のメンデルスゾーンは、音響面でリストに与えただろう影響がたいへんに大きかった可能性がありますが、風土としてリストと共有したものがなんだったか、は、極めて把握困難です。ただ、リストはどちらかというとベルリオーズの音響の直系の子孫である管弦楽作品群を作って行くことになったのですが、交響詩の一部においてはメンデルスゾーンのオーケストレーションから得たとしか思えないような透明度を示す部分が顔をのぞかせています(代表例は「レ・プレリュード」でしょうか?)・・・とはいえ、メンデルスゾーンはそれまでの二管編成を軸とした管弦楽という枠組みの中で二管編成が秘め持っているロマンチックさを引き出す、ある種総決算的な仕事をしていたのに比べれば、リストのそれはメンデルスゾーンのような高純度の仕事をしたのではなかった、と言ってしまってもいいでしょう。リストとメンデルスゾーンの精神的な連続体は、それぞれのオラトリオ作品を比べてみたとき、そちらでも浮き出てくるものがあるのではないかと思っております。

ベルリオーズ(「幻想交響曲」や「イタリアのハロルド」)・メンデルスゾーン(「ヘブリディーズ序曲【フィンガルの洞窟】」や「美しいメルジオーネ序曲」)の啓示を受けたリストは

「標題音楽」

なるプロパガンダを掲げ、彼に好感を持っていなかった陣営の嫌悪を強めることになります。反ヴァーグナーの先鋭だったハンスリックはリストとベルリオーズを並べて「音楽美論」の中で皮肉っています。

「器楽的作曲家は一定の内容の表現の事は考えない。もしそれをすれば誤った立脚点に立っており、(音楽のイデーは)音楽の中にあるというより音楽の傍にあることになる。彼の作曲は一つの標題(プログラム)を音に翻訳したことになり、だからその音はこの標題なしでは理解できずに終わってしまう。ここで我々はベルリオーズの輝かしい才能を不当視するのでも、過少視するのでもない。彼に続いてはリストが遥かに貧弱な彼の『交響詩』をもって従っている。」(『音楽美論』訳書89頁 岩波文庫 山根銀二訳・・・いまは古書でしか読めません)

「もしベルリオーズやリスト等の人々がこれ(一定の出来事や心的状態)が詩や題名や体験以上のものを持ちうると考えたなら、それは自己欺瞞である」(同書93頁)
・・・結局はベルリオーズをもおとしめているところが、なんだか笑えます。

ブラームスもまたリストに反感をもったひとりですが、それは「標題音楽」というプロパガンダに対して、というよりは、1853年にヨアヒムの勧めを受けてヴァイマールのリストの元を訪問したときの、「リスト教団」(私が勝手に作った言葉ですが、この頃にはリストの周辺にはリスト崇拝者が群れ集まっていたようです)から与えられた鼻持ちならない印象・・・この訪問の最中にブラームスはそれまで彼を伴奏者にしていたヴァイオリニストのレメーニと決定的な仲違いをもしています・・・を引きずった感情的な理由からだったように見受けます。ブラームス関係のドキュメントでブラームスが「標題音楽」を理屈でこき下ろしたものはないようですし(あったらごめんなさい・・・ご示唆頂きたく存じます。福田弥著『リスト』に、ブラームスが標題音楽への批判者のひとりとして名前が挙げられているからには、もしかしたら何らかの史料があるのでしょうか?)、ましてブラームスは同時期にベルリオーズに絶賛を受けたことを素直に感謝もしており、リストへの嫌悪は相性の問題以上のものであったとは思いにくくもあります。

そんな次第で、ハンスリックの批判以外に具体的な反対者の声を見ることは私には出来ていないのですが、リストの標榜した「標題音楽」とは、いったいどんなもので、何を指していたのでしょうか?
福田著伝記の引用するところから、さらにダイジェストを作ってみましょう。

「標題とは・・・作曲家が、自らの作品の聴き手を、気ままな詩的解釈から守り、・・・自らの想念の方向性や、題材を理解するための視点を明示・・・さまざまな詩の形式に正確に対応する多様な性格を器楽音楽に添え」たものだ、したがって、形式は、変更出来ない規則によって決定されていた古典派音楽のようではなく、詩的想念によって決定される、そのような音楽が「標題音楽」だ、というのです。(96頁)

・・・ハンスリックの主張が、もし音楽にとって唯一無二の正解だとすれば(ハンスリックは「音楽美論」中では当時の最先端の自然科学の成果まで取り入れています)、ハンスリックの批判はよくリストの急所を突いていたことになるのが分かります。
ただ、今はいずれの見解が正であるかを主眼に置くつもりはありません。
リストはリストの、ハンスリックはハンスリックの、同時代への危機感から論をなしたのであって、そのベクトルが違っていただけだ、と申すにとどめましょう。
また、リストが「標題音楽」を標榜したのは1855年、ハンスリックの「音楽美論」の初版は1854年で、上記の翻訳の元本は1891年の第八版よりはあとのものであることが著者の序言から判明します(残念ながら正確な原典発行年は分かりません)。
したがって、リストの表明とハンスリックの批判の前後関係はじつのところ手にしうる翻訳からは分からない、ということはことわっておかなければなりません。
もしハンスリックが先だったのであれば、リストが標榜する以前に「標題音楽」なる用語は既に存在していたことになりますので、翻訳でしか上記のようなことを確認出来ない私達は、用語の誕生時期によって「標題音楽」が批判的な意味合いから生まれたものなのか、肯定的な意味合いから生まれたものなのか、を断定することは出来ないのです。・・・そういう意味では、ここまでの文の進め方は、ちとインチキ臭いとは言えます。

ともあれ、肯定的な意味合いをもって「標題音楽」を語ったリストは、この呼称で括られることになる交響詩は1855年以前には「タッソ」(1849)・「プロメテウス」(1850)・「人、山上にて聞きしこと」(1850)・「英雄の嘆き」(1850)・「オルフェウス」(1854)・「マゼッパ」・「ハンガリー」(1854)、と、全発表作の半数を書き終えています。

が、それらは、さて、標題を知らなければ音楽とは呼びえないシロモノでしょうか?
あるいは、標題を知ったからと言って「気ままな詩的解釈から守」られた聴き方をしてもらえる保証が得られるでしょうか?
私達にとっていちばんとっつきやすい標題を持つのは「オルフェウス」でしょうが、この標題と作品そのものがオルフェウスの何を描いているのかは、リストがどのような説明を加えているかによらず、ある種のストーリー性を聴き手の中に保証しますが、反面、ある「個」の聴き手の得たストーリー性が別の「個」の得たストーリー性と合同図形を描くことはあり得ない、ということは、ほぼ断言してもよいかと思います。
このあたりをもっと明確にしてくれるのは、「ダンテ交響曲」と「ファウスト交響曲」でしょう。これらから「神曲」なり「ファウスト」のテキストをそのまま想起出来るなどとは、まず考えられませんから。

合わせて面白いのは、交響詩の書法とまるきり同じと言ってもいい書法で、リストは彼の定義する「標題音楽」のルールに反する(すなわち、「標題」を持たない)作品を、1853年に産み出していることです。

ロ短調のピアノソナタです。

交響詩とピアノソナタに本質的な違いがないとすると、リストはあくまでポーズとして「標題音楽」を看板に掲げたのではないか、と疑われてきます。いや、リストがわざわざ「標題音楽」云々をした狙いは、実は「標題音楽」などというところにはなかったのではないか、とさえ思います。
リストがわざわざ看板にしなくても、すでにベルリオーズの「幻想交響曲」があり(・・・そしてハンスリックはベルリオーズを標題音楽作家と見なしており)、ハンスリックがそうは見なしていないメンデルスゾーンにも、序曲とは称しながら「フィンガルの洞窟」を「描写」した音楽があり、シューマンのピアノ作品は標題だらけでありました。あるいは、ショパンの「マズルカ」は単純に舞曲として書かれたものではない以上、「マズルカ」という「標題」を持った、一種の標題音楽群だと言う見方をすることもはずれではない気もします。
ただし、「行き過ぎ」だとは思いますが。(^^;

すなわち、リストが看板にしたからといって、またハンスリックが批判したからといって、「標題音楽」という区分けそのものは、本質的には、創作をしていないハンスリックにとっては重大問題のように見えていたにしても、創作家としてのリストにはプロパガンダ以上の意味は持っていなかった、リストには、作品が標題を持つことよりももっと別の大事な何かを強調したいという狙いがあった、と勘ぐってもよいのではなかろうか、と思えてくるのです。
「形式は、変更出来ない規則によって決定されていた古典派音楽のようではなく」
というあたりが、リストの最も訴えたかったことなのではなかろうか、が、私の下衆の勘繰りです。
「詩の形式に正確に対応する多様な性格を器楽音楽に添え」ることにリストが成功したかどうかはまた視点の違いから賛否両論が生まれるとは思います。「標題」のないリストのピアノソナタは、聴かされたブラームス・・・いうまでもなく、古典派の「形式(もし本当にそんなものがあったとすれば)」を一切再構築した作曲家です・・・は理解出来ませんでした。
正否より大きな問題だったのは、自分たちの先人の音楽が、果たして「形式」なるものに縛られていたのかどうか、だったのかも知れません。バロック~古典派期に書かれた音楽書、あるいは作曲家自身の書簡やメモに、たとえば「ソナタ形式」なる言葉があったのかは、浅学な私は知りませんし、見たこともありません。ただものの本に「ソナタ形式なる言葉は19世紀前半にベートーベンの作品を説明するためにある理論家が使い出した」と載っていたかと記憶する程度です。
記憶がそうズレていなければ、まさにリストの時期のことですから、

「音楽はそう窮屈な枠にはめて考えては誤りを犯すもとになる」

というあたりが、リストの警戒するところだったのであり、こんにちそうみなされがちな、「絶対音楽」なるものに対峙する概念として「標題音楽」なる用語を打ち出すのは必ずしも本意ではなかったのではないでしょうか?
ただ、何かの拘束から離れるには別の言葉をもってする、というのがこの時代の特質であり・・・ヴァーグナーの「楽劇」もまたしかり・・・、ハンスリックもこの点では同じ線上で読み直されるべきなのかも知れません。

「革命」の横行で、獲得したはずの「自由」が、かえって新たな拘束を生み出して行く・・・政治的にどうか、なる以前に、交通手段・運輸などの物流・通信手段の「革命」に今なおさらされているわたしたちにも、これは容易に実感されることではないかと思います・・・そんな拘束への警鐘の、リスト流表明でしかない、それが案外、「標題音楽」なる言葉のトリッキーな正体なのではないでしょうか?


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